パリの都市計画と商店街 街づくりも住民参加で 3/3

『専門店』2010年9月に掲載された記事です。

 

都市計画は基礎自治体で 分権改革により実現

フランスの地方分権改革についても触れておきたい。というのも、パリはもちろん、都市計画の全権を託されているのは基礎自治体で、その権限委譲は地方分権と深く結びついているからだ。

フランスが地方分権を導入したのは、一九八二年から八三年にかけてである。分権改革にともない、多くの権限が地方自治体に移譲された。都市計画の権限は、基礎自治体であるコミューン(市町村)が引き継いだ。

コミューンとはフランスの基礎自治体で、三万六〇〇〇以上あり、フランス革命時代から、その数はほとんど変わっていない。フランスのコミューンの特徴は、規模が小さく、半数が人口四〇〇人未満、人口三五〇〇人以上は全体の七%で、人口一〇万人以上は〇.一%にすぎない。

フランスではコミューンへの愛着が強く、日本のような市町村合併は取り入れていない。その代わり、小規模コミューンが集まって広域行政組織を形成し、行政サービスの提供などにあたっている。現在、約八割のコミューンが広域行政組織に参加しているという。

また、フランスには一〇〇の県(デパルトマン)と、二六の州(レジオン)がある。州や県の責任者「地方長官(プレフェ)」は大統領が任命し、分権改革以前には、「官選知事」と呼ばれていた。ちなみに、パリ市に対する国の行政監督権が部分的に撤廃されたのは、一九七五年末のことだ。それまでパリ市は官選知事に統治されてきたが、市長の設置が可能になり、第一代市長として、一九七七年三月にシラク市長が就任した。

都市計画に関しては基礎自治体が権限を持ち、土地占用計画は、コミューンが策定する。その他、基本計画の策定、協議整備地区および地区整備計画の指定も、コミューンが行う。コミューンだけでは対応しきれない場合、広域行政組織で行われることもある。

都市計画における国の役割は、国土整備指令の策定など、国土の土地利用に関する指針を示すことにある。

フランスには、日本のような権限配分のヒエラルキーはないといっていい。日本では、国―県―市町村といった力関係が存在しているが、フランスは、国―コミューン、国―県、国―州とそれぞれが並列関係にある。

フランスの分権改革は完璧ではないにしても、国と地方自治体の関係は、「平等」を原則にしている。

街づくりも住民参加で 公聴会と協議が義務化

もうひとつつけ加えておきたいのが、「地域の都市計画を地域住民で作る」基本を守るための住民参加である。フランスの特徴として、コンサルタシオンと公開意見聴取があげられる。

都市計画の手続きに際しては、初期の段階から、徹底した情報開示や広報活動が行われ、住民に十分周知させなければならない。

事業主体、地元住民、職業団体などによる協議(コンサルタシオン)は、一九八五年に法的義務として制定された。コンサルタシオンの結果は、説明会や展示会、印刷物といった手段で、住民に情報が開示される。ときには、住民投票で賛否を問う。

公開意見聴取は、議会の最終審議の前に行われる。審査委員が住民の意見を吸い上げ、報告書としてまとめて議会に提出するのだ。公開意見聴取実施にあたっては、地元で愛読者の多い日刊紙二紙以上に記事掲載するなど、徹底した広報が規定されている。意見の収集は、役所の窓口での回収に加え、期間中に数回の直接意見聴取が開かれる。

きめ細やかな土地規制で 界隈の弱点を補う

話を「界隈計画」に戻そう。パリでは、一九九一年からの一〇年間で、七つの「界隈計画」が市議会で承認され、実施された。

モントルグイユ/サン・ドゥニ(二区)、ビュットー・カイユ(十三区)、シャンゼリゼ周辺(八区)、ムフタール/アレーヌ・ド・リュテス(五区)、フォブール・サンタントワンヌ(十一・十二区)、グラン・ブルヴァール(一~三・八~一〇区)、モンマルトル(一八区)である。

モントルグイユ/サン・ドゥニの界隈計画は、一九九一年にパリ市議会で承認された。この地域では、自動車の交通過多と居住者の減少が深刻化していた。ここ一帯の狭い通りは、大通りの渋滞を避ける抜け道となっており、交通公害が懸念されていたのである。環境の悪化が原因で、居住者の数は減るいっぽうだった。

そこで、界隈計画では、居住者の流出を防ぐために、二階以上にオフィスや事業所などの新規開業を禁じた。また、駐車場の新設を認めず、上下可動式の車止めを設置。配達用の車両の一時駐車は許可するシステムを導入した。さらに、道路を白大理石で舗装して美観を整え、一二〇ほどの建物を保全対象として認定した。

現在、モントルグイユ通りの一階部分のほぼ全てで、何らかのショップが営業活動を行っている。一階の店舗と二階に掲げてある看板が一致しないところもあり、昔の外観を残したまま建物を保存している様子がうかがわれる。

ムフタール/アレーヌ・ド・リュテスの界隈計画は、一九九四年に市議会で承認され、工事がはじまった。この地区の課題は、観光産業の拡大を防ぐことにあった。そこで、二階以上にオフィスや事業所の新設を認めず、一階を住居やオフィスに使用するのを禁じた。また、大規模ホテルやスーパーマーケットの出店を抑えるために、いくつかの通りには進出禁止を定めた。さらに、外観の規制を厳格化して派手な看板を出しにくくし、観光産業の出店を退ける戦略を打ち出した。この界隈の約二五〇の建物が、文化財として保護対象となった。

界隈の土地占用計画も万全とはいえず、修正を加えながら、進化している状況である。今後、その効果や影響などが検証され、手直しされていくかもしれない。

しかし、先にも述べたように、二〇年前に比べて、この界隈は明らかに活気を取り戻し、魅力あふれる地区に変化していた。

二〇年といえば、日本では「失われた」と表現される歳月である。その間も、日本では、スクラップ・アンド・ビルド型の開発が繰り返された。

壊したと思ったら、あっという間に新しいビルを建設し、景観をめぐるしく変化させることで経済成長を目論む日本。それに反して、社会科学的な視点と分析を汲み入れ、長期的なスタンスで町づくりに取り組み、経済の活性化を目指すフランス。両国の手法は大きく異なる。

どちらが人を幸せにするか。モントルグイユ通りやムフタール通り界隈のにぎわいは、最新の技術と近代的なデザインに勝る輝きを放ち、正直、まぶしかった。

界隈の価値に注目したパリの都市計画と商店街 1/3
その地域の特質を生かした都市計画が実施された二つの街路、モントルグイユ通りとムフタール通りは元気づいている。「界隈」の価値や魅力を尊重し、保全・活用する都市計画「界隈の土地占用計画」がパリで打ち出されたのは、1990年代に入ってからのことだ。
パリの都市計画と商店街 乱開発から伝統重視へ 2/3
1950年代後半~70年代のパリは建設ラッシュに沸いた。多くの古い建物が破壊され、大団地に取って代わられたのだ。まさに日本の団地ブームと時期が重なる。60年代に入り、専門家たちが都市計画の再考をはじめる。伝統的価値を尊重する概念に立ち戻った。

 

パリの市場事情から日本の「市場」を考える 1/2
パリの市場事情から日本の市場を考える 2/2
若者への優遇措置でフランスの商店街に活気を
フランスでは住民参加で商店街に活気を

地域活性化に関する記事一覧

タイトルとURLをコピーしました