パリの都市計画と商店街 乱開発から伝統重視へ 2/3

『専門店』2010年9月に掲載された記事です。

乱開発から伝統重視へ 都市計画の迷走と反省

フランス初の都市計画法は、一九一九年に成立した「整備・美化・拡張計画」(コルニュデ法)である。ただ、当時の都市整備は、オスマン期の景観の継続にすぎなかった。

この流れを劇的に変化させたのは、第二次世界大戦から一〇年ほど経て、一九五八年に制定された二つの規制だった。戦後の復興と経済高度成長への対応を目的とした、パリ地方圏整備・組織化計画(PADOG)と指導都市計画(PUD)である。

指導都市計画は、伝統的な町並みを無視した計画として悪名高い。その概念の根底を流れているのは、一九三三年に若手建築家が集まって提唱したアテネ憲章の精神である。「住む、働く、憩う、移動する」という四機能を備えた、巨大空間に垂直的な建物を配置する機械的な都市を理想としている。

界隈の価値に注目したパリの都市計画と商店街 1/3
その地域の特質を生かした都市計画が実施された二つの街路、モントルグイユ通りとムフタール通りは元気づいている。「界隈」の価値や魅力を尊重し、保全・活用する都市計画「界隈の土地占用計画」がパリで打ち出されたのは、1990年代に入ってからのことだ。

この指導都市計画により、一九五〇年代後半~七〇年代のパリは建設ラッシュに沸いた。多くの古い建物が破壊され、グラン・ザンサンブルと呼ばれる大団地に取って代わられたのだ。まさに日本の団地ブームと時期が重なる。

無味乾燥なベッドタウンが、地域の特徴やコミュニティ、歴史性に配慮することなく、相次いで造られていった。暴力的な開発は、景観を崩壊させただけでなく、治安の悪化といった社会的問題を引き起こし、市民の不満や拒否を強めた。

六〇年代に入り、こうした現象に憂慮した専門家たちが、都市計画の再考をはじめる。そして、一九六七年十二月三〇日、ラディカルな都市計画法を廃止すべく、土地基本法(LOF)が公布された。オスマン期の街区を模範とし、伝統的価値を尊重する概念に立ち戻ったのである。

土地基本法を構成するのは、土地利用を規制する土地占用計画(POS、現PLU)、都市計画マスタープランの基本計画(SDAU、現SCOT)、容積率制度(COS)、整備協議地区(ZAC)などである。

土地占用計画は最も重要な制度で、都市的地区(Uゾーン)と自然的地区(Nゾーン)に土地をゾーニングし、それぞれをさらに、UA、UB、UC…、NA、NB…と区分して、土地の活用を規制する。

基本計画は、国家レベルの国土整備に関する指針と基礎自治体の土地占用計画の間に位置づけられ、基礎自治体が土地占用計画を策定するときの根拠となる。

土地基本法から一〇年の一九七七年、パリでは、パリ基本計画とパリ土地占用計画が市議会で承認されるにいたった。

パリ土地占用計画は、指導都市計画による乱開発の反省から、既存の都市構造や形態、組織を尊重し、日常的な景観を保全するための計画だ。一九世紀および二〇世紀初頭の建築物や街区の価値に注目し、保護の必要を提示したのである。

単一目的のエリアから 複合要素を備えた街へ

ここで特筆すべきは、居住・商業および産業・オフィスのバランスを調整する戦術として、容積率制度を活用していることだ。指導都市計画での容積率制度では、第三次産業の経済成長促進を目的に、業務系容積率が優遇されていた。しかし、一九七七年のパリ土地専用計画では、業務系容積率を大幅に減らし、逆に、居住系はほとんどの地区で三〇〇%台を確保している。夜間は砂漠化するオフィス街を減らし、都心での居住を可能にするための措置だ。

第三次産業の高度成長期は一九七〇年半ばにピークを迎え、一九七七年の土地占用計画は、オフィス街化の抑制にある程度の効果を発揮した。中心市街地において、オフィス建設のための建物取り壊しや新築に歯止めをかけ、居住と産業を保護したのである。

しかし、一九八〇年代後半になると、ミッテラン大統領本人に代表されるように、開発志向が強まっていった。国家的には、ルーヴル美術館のピラミッド、バスティーユのオペラ座、デファンスの新凱旋門など、大規模はプロジェクトが次々と進められた。

パリ土地占用計画も、業務系の地区の拡充や容積率の緩和へと向かった。八〇年代はまた、失業者の増加と第三次産業成長の減速が顕著になり、パリの経済活動促進の必要性に迫られる。こうした状況から、一九八九年の見直しで、近代化と開発に対応すべく、業務系の容積率は拡大していった。

ただ、それは長く続かず、一九九四年に見直しが実施され、業務系の拡大は再び制限された。

第三次産業以外の産業に関して、一九七七年のパリ土地占用計画では、建物の一階に小売店などの店舗を割り当てるという容積率制度戦略で、居住者と第三次産業以外の産業の共存を促進し、発達させていった。

こうした過程を経て、一九九〇年代に登場したのが、「界隈計画」と称されるパリの都市計画である。界隈計画は、存続が危ぶまれる商店街を含む界隈で、商業活動の継続と発達に有効な都市計画といえる。

パリの都市計画と商店街 街づくりも住民参加で 3/3
パリでは、1991年からの10年間で7の「界隈計画」が市議会で承認され、実施された。モントルグイユ/サン・ドゥニ界隈計画では、居住者の流出を防ぐために2階以上にオフィスや事業所などの新規開業を禁じ、駐車場の新設を認めず、上下可動式の車止めを設置。

 

パリの市場事情から日本の「市場」を考える 1/2
パリの市場事情から日本の市場を考える 2/2
若者への優遇措置でフランスの商店街に活気を
フランスでは住民参加で商店街に活気を

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