2006年9月から半年、札幌の病院で研修をしたイラク人小児科医との会話です。
アンサムさんと札幌の書店の海外雑誌コーナーをぶらついた。
彼女はひょいと映画雑誌を取り上げ、「この人好きなの」と言う。
表紙を飾っていたのは、ジョージ・クルーニー。アメリカ俳優を「好き」と言ったことに驚いた。
「ブラット・ピットもイラク女性には人気よ」
「アメリカ映画はよく観るの?」
「もちろん」
「映画館で?」
「とんでもない、映画館は危ないわ。家のテレビで観るの」
「テレビで?」
「衛星放送よ」
イラク人がアメリカ映画を喜んで観るというのも奇妙である。しかし、政治と文化は違うということらしい。
ジョージ・クルーニーが意外だったため、私が周りの日本人に話したら、ことあるごとにアンサムさんは「ジョージ・クルーニー」ファンと“からかわれる”ことになってしまった。
「ERは病院もののテレビドラマだから、毎回観ていたの。ジョージ・クルーニーは小児科医の役だし、職業柄見逃せないわ」
アンサムさんの受け答えはあざやかだ。笑顔でそう答えてはいるが、もしかしたらイヤな思いをしているかもしれない。
「ごめんね。私が話したから、みんなジョージ・クルーニーのことばかり……」
「気にしないで。本当にジョージ・クルーニーが好きなんだから。でも、他にも好きな俳優はいるけどね」
「たとえば?」
「ケビン・コスナー。なんだっけ、あの映画……」
「“ボディ・ガード”でしょ?」
「そうそう。あの映画のケビン・コスナーは最高!」
「うんうん、わかる」
「それから、ほらあの人?」
「誰?」
「とても有名な俳優。すごくロマンティックな映画に出た……」
「もしかしたら、リチャード・ギアとか?」
「当たり! 彼も好きだわ」
「あの映画でしょ? ジュリア・ロバーツと共演した」
「そう、あ~タイトルが出てこない」
アンサムさんと映画の話をしていると、彼女が戦争のあった国から来ていることを忘れてしまう。
「イラク人の映画監督はいないの?」
「いるけど、この間会った劇団の人たちみたいに奇妙な作品ばかり」
アンサムさんが言う“劇団の人たち”というのは、バグダッドから来日した演出家のアルカサーブ氏と劇団ムスタビール・アリスのことだ。
札幌での初演を観たのだが、前衛的すぎて、アンサムさんは面喰ってしまったようだ。
「彼らはイラク人だけど、私たちとはちょっと違う種類だわ。私たちが正統だからね」と何度も言っていた。
「そういえば、エジプトの有名な監督がいるよね?」
「あー、あの監督でしょ。彼も奇妙な映画を作るわよね」
アンサムさんは、アメリカ映画のほうが好きらしい。なかでもラブロマンスが好きなのだという。目をきらきらさせて、彼女は映画の話を続ける。
「メリル・ストリープと共演した俳優も好きなの」
「ロバート・デニーロでしょ? “恋に落ちて”の」
「ううん、そうじゃなくて。でも、ロバート・デニーロも素敵よね」
「セクシーな俳優だよね」
アンサムさんに向かって、「セクシー」は禁句だろうか。ちらりと後悔してみる。
「セクシー! まさにその言葉がぴったり」
アンサムさんはキャッキャとはしゃいだ。
「メリル・ストリープが出た映画、“橋”が登場する……」
「あー、“マジソン群の橋”」
「そーそー。相手役の俳優、なんて名前だっけ?」
「あの人、うー思い出せない。ここまで出てるんだけど」
二人でしばしイライラしていたが、なかなか名前が出てこない。近くにいたHさんに、助けを求めた。
「それはクリント・イーストウッドよ」
アンサムさんと私は大きくうなずき、声を合わせて叫んだ。
「クリント・イーストウッド!」
(2007年1月30日)