世界の庭(ヨーロッパ編10):公園の発達

19世紀、権力者はもはや大庭園を独占できなくなり、一般市民が寛ぐオープンスペースが必要とされ、レジャー向けの広場が次々と誕生した。

広々とした野原と帯状に植えた樹木で構成される風景式庭園が多く、樹木で囲んだ公園内には、いくつかの花壇を設けた。

世界の庭(ヨーロッパ編9):イギリス王立キューガーデン
国立キューガーデンは、1840年に本格的に一般公開された。オープン当時、年間300万人が訪れたそうだ。約3.5ヘクタールの植物園は、世界最大の植物コレクションを誇り、「鑑賞」「教育」「科学研究」という3つの目的は創立当初から変わっていない。

 

公園を散歩すると、穏やかな気持ちになる。忙しい毎日を送る現代人は、自然との触れ合いを求めている。

イギリス公園の出現は、近代社会の要望に応えた結果として登場する。

19世紀、ブルジョワ階級への不満が高まり、社会的矛盾を糾弾する動きが激しくなると、権力者はもはや大庭園を独占できなくなった。

また、産業革命の弊害で都市はゴミゴミと混雑し、一般市民が寛ぐオープンスペースが必要とされた。

こうして、レジャー向けの広場が次々と誕生することになる。

公園用に採用されたデザインは、広々とした野原と帯状に植えた樹木で構成される風景式庭園が多かった。

手入れが簡単で、しかも、たくさんの人が一緒に使用できるという長所があったからだ。

樹木で囲んだ公園内には、いくつかの花壇を設けた。

植物、樹木、潅木、花を効果的に見せるアレンジは、ガーデネスクと呼ばれ、今日の公園にも見ることができる。

この頃、花時計もポピュラーとなった。

町全体が広い公園のようなエディンバラは、18世紀末、町並みを整備する都市計画が実施された。

プリンセス通り一帯は、近辺に住む裕福な商人や貴族たちのプライベート公園に生まれ変わる。

実はこの場所、その昔は臭い湿った沼地で、魔女狩りのメッカだった。

入れ歯をして結婚にこぎつけた女性が、魔法の仕業だと有罪になり、罰せられたというエピソードもある。

西プリンセス通り公園奥にある色鮮やかな花時計は、1903年当時のまま残っている珍しいもの。

幅11mと大きく、季節やイベントによってデザインが変化する。

また、同じエディンバラにあるメドウズは、飾り気のない広々とした公園。

朝露で湿ったグリーンは、しっとりしていて美しい。スポーツを楽しんだり、ランチタイムのピクニックなど、いつも多くの人でにぎわっている。

太陽の日差しが気持ちのいい日曜の朝、リージェントパークでは、たくさんの人が散歩を楽しんでいる。

年配のカップルが、仲睦まじく歩いている姿が印象的だ。

果てしなく広がる緑、池で心地よさそうに泳いでいるカモメ、そして美しい声でさえずる野鳥。

クイーンズガーデンに入ると、芳しいバラの香りに全身包まれる。

五感すべてで自然を感じ、細胞が元気に生き返るようだ。

ピンク、赤、白、黄、オレンジ。満開のバラは、それぞれすべて違う色と形。

空の青さと若葉の緑が、バラの多彩な色と溶け合い、心が洗われるようだ。

ベンチに腰掛けて、ぼんやりバラを見ていると、ほのぼの幸せな気分になる。

リージェントパークは、ヘンリー8世の狩猟場だった場所。

リージェント王(後のジョージ4世)の友人ジョン・ナッシュが設計し、1811年に公園となった。

公園東側のテラスと南側のチェスター・テラスは、ナッシュの手によるエレガントな建造物。

島の浮かぶ湖、サギ群居、滝、スポーツ用の広大な芝生、カフェ、ボート乗り場、テニスコート、遊園地、野外劇場、ロンドン動物園などがある。

ハイドパークは、S字型のサーペンタイン池のある、緑あふれる公園。

のんびりブラブラ歩くと、さまざまな動物に出くわす。

人なつこいリスが、すぐ近くまで寄ってくる。あどけない顔で、目がかわいい。

リスが何か言っている。葉がすれあうような、くるみをこすったような鳴き声だ。

小さなリスは、ちょこちょこといつまでもあとをついてくる。

ロンドン最大の公園ハイドパークは、ヘンリー8世が造った王立公園で、ジェイムズ1世の時代まで王室の狩猟場だった。

18世紀、この辺りには追いはぎがよく現れ、サーペンタイン池はロンドン北部住民の下水だったそうだ。

ここが注目されるようになったのは、1851年に開催されたロンドン博覧会のとき。

公園は整備され、クリスタルパレスが造られた。

ニューヨークのセントラルパークやパリのブローニュの森は、この公園を見本にして造られたという。

ボート乗り場、乗馬場、音楽堂、そして、ランチやお茶を楽しむカフェもあり、楽しみ方はいろいろだ。

この時期、巨大な公園ばかりではなく、小規模な広場や教会や寺院の周りも整備された。

地元住民が休息をとるための快適な空間が、次々と造られていく。

スコットランドのインバネスは、ネス川が流れるのどかな街。

青々とした木々にあふれ、川の両岸に古い家並が続く。この町にいると、心が浄化されていきそうだ。

無理してここまで来てよかった。そう実感する。

この町には、シェイクスピア作品「マクベス」の舞台になったとされる城があったという。

シェイクスピアを訪ねてストラットフォードとロンドンへ
シェイクスピアをなくして、イギリスのルネッサンスは語れない。数々の素晴らしい作品を残したシェイクスピアだが、その生涯は謎に満ちている。演劇活動に燃えたロンドン、生まれ育ち、晩年息を引き取るまで過ごしたストラットフォード・アポン・エイヴォンを訪ねた。

1040年、スコットランド王ダンカン1世を殺して王位に就いたマクベスは、ここに理想の城を建設した。

ヨーロッパ大陸旅行で目にした、イタリアの洗練された建物を再現したかったようだ。

しかし、あの物語のように、マクベスはダンカンの息子に殺され、その伝説の城は跡形もなく消えてしまったという。

18世紀、新たに城館が建てられ、ネス川のほとりにはセント・アンドリュー大聖堂が造られた。

緑に包まれた美しい教会は、地元住民の安らぎの場となっている。

ロンドンのテムズ川沿岸にある教会の広場も、有名ではないが、地元の人に親しまれている場所だ。

パットニー・ブリッジ北岸にあるオール・セント教会は、19世紀に再建されたものだが、15世紀からこの地に存在していたという。

ここの墓地には、ロンドンの14人の主教が埋葬されている。

パットニー・ブリッジは、オックスフォード対ケンブリッジの大学対抗ボートレースの出発点。

南岸の石には、スタート地点のマークがついている。

パリのノートルダムに隣接して広がるジャン23世広場は、かなり前から存在していたらしい。

1844年、パリ知事が整備し、この地区最初の公共庭園となった。

ナポレオン3世の時代には、ノートルダムに訪れた多くの旅行者が、植物が豊富なこの広場で、一休みしたという。

寺院の裏手には、ゴシック様式の聖女の噴水がある。

このように、イギリスで誕生した都市公園は、ヨーロッパ各国に波及していった。

(2013-11-04 08:21:10)

世界の庭(ヨーロッパ編11):フランス印象派の庭
19世紀末、美術界で印象派画家が活躍し始めた頃、園芸の分野では、ワイルドガーデンが新しい様式として注目されるようになる。植物そのものからのインスピレーションに頼る手法の感性豊かな庭園が、フランスのアーティストを中心に造られることになる。

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イスラム庭園9:オスキュラ&アロンソ(マラガ)
マリーナ広場から海沿いに続く緑あふれる公園通りと、アルカサルのそびえる小高い丘の間に位置するのが、プエルタ・オスキュラ&ペドロ・ルイス・アロンソ庭園。たくさんの種類の植物が育ち、樹木の深い緑がとても印象的です。公園は夜遅くまで人々でにぎわいます。

 

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