19世紀末、美術界で印象派画家が活躍し始めた頃、園芸の分野では、ワイルドガーデンが新しい様式として注目されるようになる。
植物そのものからのインスピレーションに頼る手法の感性豊かな庭園が、フランスのアーティストを中心に造られることになる。
睡蓮シリーズで知られるモネの庭園は、まるで日本画の世界だ。
日本庭園を見習っただけあり、優しい曲線とアンバランスなレイアウト。
藤がからまる日本橋、枝垂れ柳、竹林。睡蓮の花は夏が見頃だが、どの季節に訪れても、趣きのある情景が広がっている。
モネは、一連の作品を描き始めるまでに、20年以上の時間を費やしたという。
花そのものではなく、水の反映と変化する光を追求し、透明感のある作風を確立していった。
19世紀末、美術界で印象派画家が活躍し始めた頃、園芸の分野では、ワイルドガーデンが新しい様式として注目されるようになる。
植物をグループにして植えることで、コントラストを強調し、作り物でないように再現する。
植物そのものからのインスピレーションに頼る手法は、微妙なニュアンスを大切にする印象派と結びついていった。
このような感性豊かな庭園が、アーティストを中心に造られることになる。
1883年、モネは、フランスのジヴェニーに移り住んだ。
そして、館の前に広がるノルマンデー庭園と隣接する水の庭園を自分好みに仕上げていく。
庭いじりが大好きだった彼は、珍しい植物の種や球根に多くの費用をかけたという。
ノルマンデー庭園は、四季を通じカラフルな花にあふれ、訪れる人を温かく迎えてくれる。
規定や不自然さを嫌うモネは、植物をなるべく自由奔放に茂らせ、花の色がきれいに見えるよう工夫した。
庭園は、モネの絵画そのもので、どの位置から見てもバランスがとれていて美しい。
よく見かける花に珍しい品種を組み合わせてレイアウトしたり、果樹や装飾品を効果的に配置するなど、アーティストらしい演出もほどこされている。
庭園芸術の先駆者フレスティエは、パリ市所有のバガテル庭園の設計を担当した。
画家モネの友人だった彼は、印象派の絵画のごとく、微妙な調和をかもしだす庭園を作り上げる。
モネの睡蓮に魅了され、バガテル庭園にも睡蓮の池や340種のアイリスが咲く庭、そしてバラ園を造っていった。
バラ園が位置するのは、ナポレオン3世の乗馬場だった場所。
王妃が王のレッスンを見学したキオスクは、今も残っている。
フレスティエは、著名なバラ職人たちの協力を得て、この庭園に数百種のバラを植えた。
その数は年々増え、今では数万本となり、ありとあらゆる種類のバラがそろっている。
多種多彩のバラを際立たせるために、レイアウトは飾り気のないシンプルな直線が基調だ。
また、1907年から毎年、バガテル・バラ国際コンクールが開催され、参加した新しいバラは、この庭園に仲間入りする。
オランジェリー前の花壇には、前回のコンクールで受賞したバラが集められている。
1986年には、2つめのバラ園が完成した。
セザンヌは、亡くなるまでの4年間、南仏のアトリエで製作に没頭した。
彼のアトリエは、エクス・アン・プロバンスの中心街から、坂道をしばらく上った、閑静なところにある。
入口側には、斜面を利用した庭園が広がり、さらに裏手にも広大な庭が続いている。
セザンヌが座って過ごしたテラスは、裏庭の奥のほうにある。
質素な造りだが、テーブルと椅子が在りし日のままの形で置いてあり、今にもセザンヌが現れそうな雰囲気だ。
気取ったところがなく、それでいて洗練されたハーモニー。
セザンヌの鋭い感性が、この庭に生かされている。
セザンヌは、感覚だけに陥らず、物質の存在感をも表す独自の技法で知られる。
この庭もまた、彼にインスピレーションを与えたに違いない。
晩年に描かれた庭の風景から、彼の庭に対する愛情がうかがえる。
(2013-11-12 08:35:58)