国立キューガーデンは、1840年に本格的に一般公開された。オープン当時、年間300万人が訪れたそうだ。
約3.5ヘクタールの植物園は、世界最大の植物コレクションを誇り、「鑑賞」「教育」「科学研究」という3つの目的は創立当初から変わっていない。

「札幌でビールとジンギスカンを食べるのが楽しみなんですよ」
王立キューガーデンのスタッフが、こんなことを言っていた。
年一度は海外で植物採集をし、5年前にも北海道へ来たとか。
絶滅の危機にある植物を保護するため、種だけを採集する。
植物園で育てた植物を、自然に戻すこともあるそうだ。現在3500以上の種を保存しているという。
18世紀半ばに造られた植物園は、1840年に国立キューガーデンとして、本格的に一般公開された。
オープン当時、年間300万人が訪れたそうだ。
約3.5ヘクタールの植物園は、世界最大の植物コレクションを誇っている。

「鑑賞」「教育」「科学研究」という3つの目的は、創立当初から変わっていない。
まさに、生きた植物百貨事典そのものだ。
初期の頃に植えられたイチョウ、プラタナス、アカシアなどが残存し、1848年に完成した温室パームハウスには、樹齢百年以上のヤシの木や熱帯植物が育っている。
また、植物情報とマップを組み合わせてデータベース化し、20年ほど前から、園内の植物をコンピュータで管理。
樹木にはそれぞれ番号と記録を記した札を付け、どこにどの植物がどのような状態で育っているかが一目でわかるようになっている。
12の気候をコンピュータ制御する温室プリンセス・オブ・ウエールズ、地球誕生と植物の進化を紹介するエボリューションハウス、人間の衣食住と植物の関係を知る博物館と、いずれも斬新な演出で、楽しみながら学ぶことができる。
また、日本庭園には、1910年のロンドン万博のときに日本が贈った京都西本願寺勅使門模型の修復がある。
この庭園は、英国人好みになるのを避けるために、デザインと造園を日本人に依頼したそうだ。
19世紀、産業革命と自然科学の発達が、庭園の分野に大きな影響を与えるようになる。
イギリスでは、植民地を結ぶネットワークが完成し、各地の植物の移植、品種改良が進められていった。
プラントハンターが活躍したのもこの頃だ。
園芸に科学的手法を取り入れた先駆者ルードンは、公共広場に興味を持ち、1840年、自分の所有地を利用したダービー植物園をオープンした。
人工の小山を造り、その両側に樹木を植え、これらの木々には、展示品のようにラベルをつけた。
こうした植物をディスプレイする野外博物館が、植物園の始まりだった。
また、19世紀中頃には、すべてガラス張りの温室が登場。
すでに17世紀から温室はあったのだが、当時の温室(グリーンハウス)は、上に園芸家が住み込み、屋根はタイルだったため、植物の発育が悪かった。
園芸家たちは、光を取り入れる方法を思考錯誤し、ガラスを使うことで問題を解決した。
世界各地から手に入れたエキゾチックな植物を、冬の間温室で育て、春に花壇へ植え代えるという作業も一般的になった。
キューガーデンの園内は、どこを歩いても、目にしみるようなグリーンに覆われている。
イギリス人が植物にこだわるのは、日照時間が比較的短いという気候に関係しているのだろう。
植物や太陽に強いあこがれがあり、だからこそ植物研究が昔から盛んだったようだ。
植物園には、「ここが好きだった二人の思い出に。ご夫婦に捧げます」と、亡き家族や友人への追悼を記したベンチが置いてある。
イギリス人の庭園を愛する心は、こうして後世に伝えられていくようだ。
(2013-10-30 08:25:16)

