世界の庭(ヨーロッパ編4):ノットガーデン

シェイクスピアが晩年暮らしていた、ストラットフォード・アポン・エイボンのニュー・プレイスの庭はノットガーデンという。

中世後期から庭園は明るく陽気な雰囲気をまし、長方形の花壇を組み合わせたのが典型的様式のノットガーデンが造られはじめた。

世界の庭(ヨーロッパ編3):修道院野菜園
中世の修道院庭園の原型をとどめているのが、ヴェランドリー城の野菜庭園だ。西洋ネギの青、紫キャベツとビートの赤、にんじんの葉の緑などの天然色が、彩り豊かなレイアウトを作り出している。また、低い潅木で作るラビリンズ(迷路)も見ることができる。

 

シェイクスピアは晩年、生まれ故郷のストラットフォード・アポン・エイボンで余生を過ごした。

巨匠が1616年に没するまで暮らしていた家ニュー・プレイスは、現在では一般に公開されている。

併設する庭園には、赤、紫、ピンクといった明るい色の花が咲き、とてもカラフルだ。

木製の垣根にからんだ果樹には、リンゴなどの実がなっている。

シェイクスピア自身も、桑の木を植樹したそうだ。

その切り株から芽を出したという樹木は、大木に育ち残存している。

大劇作家が庭いじりをする姿を想像してみるのも面白い。

このノットガーデンは、チャペルストリートとチャペルレーンのコーナーにある。

庭への入口は、ナッシュ・ハウスにつながっている。

この屋敷は、シェイクスピアの孫エリザベス・ホールの最初の夫トーマス・ナッシュが所有していたもので、チューダー朝の内装がすばらしい。

シェイクスピアを訪ねてストラットフォードとロンドンへ
シェイクスピアをなくして、イギリスのルネッサンスは語れない。数々の素晴らしい作品を残したシェイクスピアだが、その生涯は謎に満ちている。演劇活動に燃えたロンドン、生まれ育ち、晩年息を引き取るまで過ごしたストラットフォード・アポン・エイヴォンを訪ねた。

中世後期になるとヨーロッパは次第に安定し、もはや城砦に立てこもる必要はなくなってきた。

また、黒死病や百年戦争で生活は荒廃し、人々は威厳よりも慈愛を重要視するようになった。

現実の家庭生活に幸せを求める傾向は、ライフスタイルにも変化をもたらす。

庭園は、明るく陽気な雰囲気が増していく。

典型的様式は、長方形の花壇を組み合わせたノットガーデン。

背丈の低い潅木の垣根で囲みを作り、その中に、幾何学模様にデザインした花壇を置く。

このような庭は、テラスや丘の高い位置から見ることを意識して造られ、冬の間も楽しむことができるのが特徴だ。

マメに手入れをする必要があったにもかかわらず、ノットガーデン作りは積極的に行われた。

快適な暮らしに執着しはじめた裕福な貴族たちは、権力の弱まった修道院の土地や建物を買収し、豪勢な邸宅を建てていく。

修道院庭園は完全に主役の座を受け渡すことになる。

宮廷社会も花開き、庭園はますます価値が高まっていった。

木製の装飾手すりや白塗りの彫刻で飾り、花壇のデザインに凝るなど、趣向を凝らした庭園も登場する。

花に対する認識も大きく変わり、この頃から、花柄のモチーフが頻繁に使われるようになった。

ピサネルロの「エステ家の姫君の肖像」のように、肖像画に花が描かれはじめたのもこの頃だ。

(2013-09-25 08:01:17)

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イスラム庭園4:ザフラー宮殿(コルドバ)
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