世界の庭(ヨーロッパ編3):修道院野菜園

中世の修道院庭園の原型をとどめているのが、ヴェランドリー城の野菜庭園だ。

西洋ネギの青、紫キャベツとビートの赤、にんじんの葉の緑などの天然色が、彩り豊かなレイアウトを作り出している。また、低い潅木で作るラビリンズ(迷路)も見ることができる。

世界の庭(ヨーロッパ編2):イギリスの城郭庭園
ヨーロッパでは中世時代、城砦の建設にともない、城郭庭園が発達していく。初期は、城郭内の狭い空地を利用して草木を植える程度のものだったが、次第に花壇や小道を造るなど、レイアウトにも目を向け始める。14世紀になると、より大規模な庭園が登場した。

 

「野菜ってこんなに美しかったの!」 ヴェランドリー城の野菜園を見ると、そう思わずにはいられない。

中世の修道院庭園の原型をとどめている庭園が、ここに存在している。

庭園は7つの長方形にそれぞれ違う幾何学模様のデザインがほどこされている。

西洋ネギの青、紫キャベツとビートの赤、にんじんの葉の緑などの天然色が、彩り豊かなレイアウトを作り出している。

主役を演じている野菜は、太陽の光を浴びて、とても得意そう。

中世の修道士がバラを育てていたように、この庭園でも360ものバラが栽培されている。

さらに、30種の薬草を植えたハーブガーデンもある。

中世時代、ヨーロッパ文化は、キリスト教の影響を強く受けることになる。

園芸の中心となったのも、修道院だった。

6世紀頃から、多くの修道院が各地に造られ、修道士たちは自給自足の生活をするために、野菜や果物の栽培に精を出した。

どの修道院にも、野菜園、果樹園が設けられ、修道士がプロの園芸家だった。

また、修道院は診療所でもあり、薬草栽培に力が注がれた。

園芸はあくまでも食料調達や医療を目的とし、祭壇に飾る花を栽培するという考えは浮かばなかったらしい。

ヴェランドリー城のあるロワール川地方一帯は、13世紀、イギリス領だった。

この城は、そのときに重要な役割を演じ、二つの文化の交流点でもあった。

その後、16世紀に城を改装し、庭園は20世紀に改造されたが、中世とルネサンスの伝統を今に伝えている。

ヴェランドリー城にあるのは、野菜園だけではない。

15世紀半ば以降にヨーロッパで流行した、低い潅木で作るラビリンズ(迷路)を見ることができる。

恋愛をテーマにした刈り込みの幾何学模様庭園がそれだ。

この庭園の全景を見るには、かなり高いところに上らなくてはならない。

テラスからこの庭園を眺めると、ディテールにまでこだわったデザインに感動する。

しかも、ラブストーリーになっているというからロマンティック。

庭園は4つの正方形で構成されている。

「悲恋」を描いたボックスは、愛する女性を賭けた決闘。潅木で剣を、赤い花で戦いの流血を表現している。

「移り気な恋」は、コロコロ変わる女心を表す4つの扇と、浮気な女性が恋人に送るラブレター。黄色の花は、無垢な心を象徴している。

「優しい愛」のコーナーは、ハートと舞踏会の仮面。

「狂った恋」では、情熱と破局をたくさんのハートで暗示している。複雑に絡んだツゲの迷路は、恋に翻弄されて乱れ舞う姿を表している。

シンプルで実用的だった修道院庭園や城郭庭園は、少しずつレイアウトが工夫され、装飾がほどこされるようになる。

次の世代の庭園は、すでに生まれつつあった。

(2013-09-12 08:08:25)

世界の庭(ヨーロッパ編4):ノットガーデン
シェイクスピアが晩年暮らしていた、ストラットフォード・アポン・エイボンのニュー・プレイスの庭はノットガーデンという。中世後期から庭園は明るく陽気な雰囲気をまし、長方形の花壇を組み合わせたのが典型的様式のノットガーデンが造られはじめた。

世界の庭の記事一覧

イスラム庭園の記事一覧

イスラム庭園3:アルカサバ(マラガ)
マラガの小高い丘にそびえる、ひときわ目立つ巨大な建物アルカサバ。アドリアナ広場から階段を上り城、イスラム美術館となっている城へ。途中にローマ時代の劇場跡はあるが、庭園はない。それでも、深い緑とブーゲンビレアの赤い花が砂色の城壁映え、みごとな景観。
タイトルとURLをコピーしました