西洋庭園2:イギリスの城郭庭園

朝もやの中に浮かぶ神秘的なネス湖。

湖水のくすんだ青色と、周囲の山の緑色は、太陽の光の加減で微妙に変化し、同じ表情を見せることはない。

その美しさを活字で表そうとすると、どうしても陳腐になってしまう。

アンソニー・シールドは、この城の近くでネッシーを見たという。

湖の北岸には、荒涼とした廃墟の城がたたずんでいる。

スコットランドの北端に位置するアーカート城は、1200年代から残酷な争いの舞台となり、何度も城主が交代した。

14世紀頃、スコットランド王が大幅に改装したが、その後も、血なまぐさい戦いは続き、スコットランド王ジェームズ7世(イングランド王ジェームズ2世)の国外追放により、城は完全に放置され、二度と修復されることはなかった。

中世の城砦の面影を残すアッカート城。

外敵を防ぐための石壁を持つ戦闘向けの武骨な建物は、この時代を代表する建築様式だ。

ローマ滅亡後のヨーロッパは、ゲルマン人の侵入が相次ぎ、略奪が繰り返される。

権力争いが激化し、ヨーロッパ各地にこのような堅城が造られた。

このような城砦の建設にともない、城郭庭園が発達していく。

初期の城郭庭園は、城郭内の狭い空地を利用して草木を植える程度のものだったが、次第に花壇や小道を造るなど、レイアウトにも目を向け始める。

世の中が少し安定する14世紀になると、より大規模な庭園が登場した。しかし、園芸知識は乏しく、草を刈るということを知らなかった。

数年ごとに掘り起こすというのが、唯一の手入れ法だった。花壇といっても草が生えているだけで、ボール遊びのグランドとして使われたという。

同じくスコットランドのエディンバラ城も、ゴツゴツした勇ましい城砦だ。

厳しい外見に威嚇されそうだが、キルトと帽子のかわいい制服姿の守衛を見て、少しホッとする。

氷河時代にできた岩の上にそびえるエディンバラ城は、スコットランドの歴史そのものだ。

7世紀に建てられて以来、崩壊、再建、改築を繰り返し、現在の形に落ちついた。

その間、軍需品工場、兵舎、宝庫、刑務所、王宮などさまざまな機能を果たしてきた。

三方からの襲撃を防ぐことができる立地条件は、要塞として最適で、食料不足で陥落したことはあっても、殺戮が原因だったことは一度もなかったという。

城をぐるり一周してみると、実際に使用されていた攻城砲の置き場はあっても、広々とした庭園は存在しない。

しかし、眼下に広がる古い家並と緑あふれる公園が、この城砦の庭のようでもある。

ヨーロッパの人々が庭園に凝り始めるのは、動乱がおさまり、社会が安定する時代まで待たなければならなかった。

(2013-09-02 08:20:18)

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