研究目的で盗掘されたアイヌ遺骨の返還を求めて訴訟

『The Japan Times』 2018年7月26日に掲載された記事です。

Japan's indigenous Ainu sue to bring their ancestors' bones back home
Activist group's hardball tactics expose rifts in the Ainu community over the fate of bones held at universities.

先住民族アイヌの土地、蝦夷は、150年前に北海道と命名され、その後1世紀以上にわたり、日本への同化が進められていった。

今年は北海道命名150年を記念して、多くの企業、団体、自治体が連携し、北海道150年事業が行われている。北海道は、2018年度予算で、2億6800万円をこの事業にあてている。

日本がアイヌ民族を日本の「先住民族」と認めてから10年経った今、アイヌの土地を植民地化し、アイヌの人々と文化を抹殺してきた歴史を振り返るべきときといえる。しかし、アイヌ文化の発信が150年記念事業の目的であり、“先住民族”という日本語は、この事業の広報物のどこにも見当たらない。

日本政府は、北海道・白老に建設中のアイヌ文化の復興を目的とした民族共生象徴空間の促進に力を注いでいる。国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設を有するこの新しい複合施設は、100万人の来場者を目標に、東京オリンピックの3か月前の大安吉日、2020年4月24日にオープンの予定だ。

象徴空間は結合のシンボルとなるべきものにもかかわらず、特に北海道に住むアイヌの人々の間に不和をもたらすことになった。北海道周辺の埋葬地から盗まれたアイヌの遺骨に関する問題を葬るはずの施設が、昔からの恨みを掘り起こし、困難な状況を浮かび上がらせ、北海道のトップレベルの大学を相手取った訴訟へと発展し、アイヌ民族の団体が互いに対抗する事態になっているのだ。

象徴空間の遺骨

象徴空間の慰霊施設は、1930年代から発掘され、現在も日本中の大学に保管されているアイヌ遺骨の受け取り先がない遺骨を保管するよう設計されている。施設は、伝統的な慰霊行事のための空間と納骨堂で構成され、納骨堂には、学問研究といった要請で取り出せるように、2300箱ほどのアイヌ遺骨を収納可能な棚を備えることになっている。

日高地方の新ひだか町出身のアイヌ民族による団体、コタンの会(コタンは集落、トライブの意味)の代表である清水裕二さんは、この計画に憤る。

「人間の骨は、倉庫のような棚に置かれるのではなく、故郷に埋葬されるべきだ。象徴空間への集約の前に、できるだけ多くの遺骨を取り戻したい。我々アイヌ民族にとって、土から生まれ、土に戻るのが最高の幸せです」

象徴空間への遺骨集約の計画は、一部のアイヌ民族の反対を引き起こした。北海道大学だけでなく、東京大学、京都大学、大阪大学でも、遺骨返還に向けた話し合いの要求が起きている。

アイヌ政策のために設置された内閣府のアイヌ政策推進会議は、2017年4月、12の大学に1.676体の遺骨が保管され、北海道大学は1,015体と大多数を占めていることを発表した。さらに、12の博物館や施設が76体の遺骨と、27箱の個体に判別できない遺骨を保管している。遺骨は頭骨から全体骨まであり、約半分が頭骨である。

1930年代ごろから、軍国主義の日本政府は、アジアでの西欧勢力との競争に対抗するため、科学の発展促進に力を入れはじめた。研究者たちはアイヌ民族の人骨収集をはじめ、研究のためにときには墓から盗掘した。墓地あさりは、1960年代までつづいた。

遺骨返還問題は、これまでアイヌ民族にとって非常に重大な問題だった。1980年代の返還を求める集中的な運動が実を結び、1985~2001年に34体の遺骨がアイヌ民族に引き渡された。

2011年に象徴空間の計画が明らかになって以来、アイヌ民族および団体は北海道大学を相手取った4件の訴訟を起こし、北海道大学からの遺骨返還という和解が成立した。一番最近では、旭川アイヌ協議会の和解が5月29日に成立し、先月、北海道大学から遺骨が返還された。

新ひだか訴訟

コタンの会は北海道大学に対し、これまでで最多の195体の遺骨返還を求めて提訴し、札幌地方裁判所で5月18日、第4回口頭弁論が行われた。

北海道大学医学部は、1956年の都市計画による静内駅前の墓地移転の際に静内町(現・新ひだか町)の要請で、発掘された遺骨195体のうち161体を受け取った。1972年には、別の墓地の移転で32体を受け取り、東幌別からは2体をよくわからない状況で受け取った。

コタンの会はまた、静内から掘り出された193体の遺骨の再埋葬を怠ったとして、新ひだか町も提訴した。アイヌの団体が遺骨問題で自治体を提訴したのは今回がはじめてである。新ひだか町は、「墓地、埋葬等に関する法律」に従い、新しい埋葬地を提供し、再埋葬する義務があると、原告側は主張している。

静内で生まれ育った清水さんは、1956年の墓地移転を覚えているという。

「高校生のときでした。日本史の担任の先生が、生徒何人かと発掘に参加していました。私は2回その現場を見に行きました。ですから、見過ごすわけにはいかないのです」と清水さんは憤慨する。

清水さんは、アイヌ遺骨を故郷に戻す運動の代表だ。コタンの会は30人ほどの小規模な団体だが、北海道大学の遺骨を返還させて故郷に再埋葬するという4件の訴訟のうち3件は、この会を通して実現された。

しかし、今回、コタンの会は、象徴空間への遺骨集約に賛成している新ひだかアイヌ協会の反対に直面している。北海道で最大のアイヌ団体であり、政府の会議に参加している、札幌拠点の北海道アイヌ協会、それから、各地域の49のアイヌ協会の多くが、大学における遺骨の悲惨な保管状況などの理由から、象徴空間への集約を支持している。

アイヌ政策推進会議作業部会の議事録によると、北海道アイヌ協会は、2009年の推進会議発足以来、遺骨を故郷に埋葬すべきであると繰り返し訴え、遺骨問題の解決を求めつづけている。その一方で、地方には遺骨を受け入れる体制がなく、地方によっては会員がアイヌ人口の10%ほどしかいないアイヌ協会もあることを認めている。

2017年の最新調査によると、北海道に住むアイヌ民族の公式数は、13,118人で、4年前より3,668人減少した。日本全土に住むアイヌ民族の数はわからない。アイヌ民族への差別があり、アイヌ民族であることを隠している人もいるという。

北海道大学アイヌ・先住民研究センターの所長で、アイヌ政策推進会議の委員でもある常本照樹教授は、こうしたアイヌ協会の会員数の低下を懸念する。これらの訴訟の問題点は、裁判の結果で大半のアイヌ民族が発言権を行使できないことにある、と彼は考えている。

「原告と大学の間の交渉だけでの決定は、関連地域に住む他のアイヌの人々が、自分たちの意見を発言する機会を失うことを意味する」と常本教授は言う。

新ひだかアイヌ協会のこうした立場のなか、この訴訟の原告の何人かは、新ひだかアイヌ協会とコタンの会の両方のメンバーだ。すべてのアイヌ民族が怒りを分かち合う根源であった遺骨問題は今、予期せぬ形で、団体や地域を分断しようとしている。

遺骨返還の方針の変化

遺骨返還問題の理解するうえで重要なポイントは、1868年の明治時代以前に存在していたアイヌの自治社会、コタンにある。アイヌ民族は個人が遺骨を管理するのではなく、コタンがそこに属する人々の遺骨を管理していた。和人が北海道に大量に移住し、アイヌは強制的に日本社会に同化させられ、コタンは不必要とされ、消滅させられた。

「こうした現在の状況は、明治以降、アイヌ民族の権利を無視し、専横的に植民地化した結果だ」と新ひだか訴訟およびそれ以前の北海道大学を相手取った訴訟の原告弁護団代表の市川守弘弁護士は主張する。「コタンの墓を管理する権利は、すべてのアイヌ民族の権利のひとつである。遺骨返還の権利に対する訴訟は、政府に先住民族の権利を認めさせる闘いでもある」 コタンは自治組織だったが、アイヌ民族の多くがそのコタンの歴史になじみがない、と市川弁護士は指摘する。

常本教授は、現状を根拠に、アイヌ民族は現実的になるべきだと反論する。

「存在していたコタンを崩壊させた責任が国にあるのは事実だが、コタンは消滅しているのが現実だ」と彼は言う。「コタンの代わりとして、地域の人々に遺骨を返還する最もふさわしい方法を見いだす努力をしている」

日本政府は長年、遺骨はコタンに戻すのが理想だが、コタンはもはや存在していないため、葬儀や慰霊儀式を行い、埋葬後は墓を管理できる祭祀継承者に遺骨を返還すべきだとしていた。これは、人間の遺骨は集団ではなく、個人、伝統的には長男、のみが受け取ることができるという、明治時代に制定された民法に則っている。

政府が地域のアイヌの団体に返還する考えを議論しはじめたのは、最近になってからだ。アイヌ民族やその支援者からの訴えの増加の影響とみられ、遺骨問題は、2012年以降のアイヌ政策推進会議作業部会の議事録の議論の中心になっている。

2013年に、アイヌ政策推進会議は、遺骨問題のガイダンスを発表した。個人が特定できる遺骨は、墓参りなどの慰霊といった普通は遺族が行うようなことができる個人に返還し、個人が特定できない遺骨は、象徴空間の慰霊施設に集約する。

そして、5月14日にやっと、アイヌ政策推進会議は、地域の団体への遺骨返還の問題に関する草案を明らかにした。コタンという表現は削除され、慰霊儀式や責任を遂行できるアイヌ民族の団体へ遺骨を返還する提案がなされた。

苫小牧駒澤大学の教授で、『学問の暴力―アイヌの墓はなぜあばかれたか』の著者である植木哲也さんは、地域への返還という提案を評価しながらも、遺骨を受け取ったアイヌの団体に慰霊行事を要求することに疑問を投げかける。

「この基本方針では、遺骨を受け取った団体が、慰霊儀式を行うことを義務づけている。しかし、政府は、そうした個人的な問題に口を出す権利はないはずだ」と彼は言う。例えば、伝統的に、アイヌ民族は和人のように、祖先の墓参りをしたりしない。

これら提案の基本は、個人が特定されない遺骨は、発掘された地域に住む、もしくは縁のあるアイヌ民族2人以上の団体に返還されることになっている。同じ地域で2つ以上の団体が名乗りを上げた場合は、どちらが遺骨を受け取るか、団体同士で話し合わなければならない。象徴空間については新しい草案には記されていなかった。

政府の新しいガイダンスによると、新ひだか訴訟の遺骨を争う2つの団体、コタンの会と新ひだかアイヌ協会、は話し合いで解決すべきことになる。

新ひだかアイヌ協会の代理人の橘功記弁護士は、新ひだかアイヌ協会と北海道アイヌ協会は、コタンの会が盗まれた遺骨の子孫として認められるべきか懐疑的だと言う。

「新ひだか出身のメンバーが何人いるのか定かではない」と橘弁護士は言う。「コタンの会の要求は、遺骨の遺族や新ひだかのアイヌ民族の総意に基づいているのか確かではない」

6月22日の弁論準備手続で、橘弁護士は、新ひだかで亡くなったアイヌ民族の遺族を特定するための遺骨のDNA鑑定を提案した。

「遺骨を返還すべき適切な人物をはっきりさせるために、アイヌ政策推進会議は、慰霊施設に集約した遺骨のDNA鑑定を行う方向で議論を進めている。その手始めとして、新ひだか訴訟でそれを実施する」と橘弁護士は言う。橘弁護士は、遺骨のDNA鑑定の可能性についての準備書面を準備中だという。

結論

1899年に北海道旧土人保護法で政府が同化政策を正当化してから100年後の1997年、アイヌ文化振興法が制定された。

それから20年経た現在も、日本人はいまだアイヌの歴史や先住民に対する差別についてほとんど知らない。2016年3月の調査によると、日本人の74%が、アイヌ民族やアイヌ文化に触れたことがないと答えている。2013年の世論調査では、民族共生象徴空間を知っている人は13%のみだった。

日本は、先住民族の権利に関する国際連合宣言(UNDRIP)に署名しているが、自国の先住民族に対してその文書で宣言されている権利を与えていない。

日本のアイヌ政策は、UNDRIPの11条にある、伝統と文化の側面の保護と促進が中心だ。しかし、自己決定権や自由に暮らす集団権のように、アイヌ民族の個人および集団的権利の保護については無視している、との批判も聞こえてくる。日本は、26条で約束されている権利、土地や資源、領域に関する権利、を整える行政手続きに向けた動きはこれまでみせていない。

「例えば米国では、アメリカの先住民族トライブは自治を実行し、自分たちの権利を行使している」と常本教授は言う。「残念ながら、こうした仕組みは日本には存在せず、今の段階では、土地や資源、自己決定に関する先住民族の権利を求めるのは無理がある」

「まず、アイヌ民族がトライブのようなものを確立しなければならず、それを実現するために、日本政府はアイヌ民族を支援するプログラムを導入すべきだ」と常本教授は言う。「先住民族にとって最も重要なのは、政府と同等の立場で議論し、自分たちで決定できるようになることだ」

2016年5月、政府は、日本の「先住民族」とアイヌ民族と指定し、アイヌ民族の生活および教育を向上させるための新しい法律を制定すると発表した。今年5月14日に、アイヌ政策推進会議は、新しい法律について、生活向上および教育は外し、「地域振興」および「産業振興」の措置を含ませることを発表した。

福祉と教育を置き去りにし、ビジネス中心へとシフトしたのは、日本の先住民の政策にとって、アイヌの利益ではなく、政府の利益が重要だからだ。皮肉にも、2008年6月に北海道で開催されたG8サミットの数日前に先住民族としてアイヌ民族を認定する閣議決定をした。似たような「国際的偶然」で、民族共生象徴空間は、2020年の東京オリンピックに合わせて、グランドオープンする予定だ。

東京が開催国に選ばれた2日後、菅官房長官は、アイヌ政策推進会議で次のような開会あいさつをしている。

「オリンピックが2020年の7月24日から始まりますので、その前には(象徴空間を)完成させて、アイヌという先住民族について私たち日本人としてしっかりと守り、そして、推進している姿を海外の皆さんにも見ていただける良い機会にしたいと思っており、国際理解が進むことも極めて大事なことだと考えております」

象徴空間の設立と所有権を国が担うということはまた、そこでアイヌ民族が慰霊儀式を行うという点で、憲法上の厄介な問題が生ずると、市川弁護士は言う。

「慰霊儀式は、精霊や神の信教を意味し、宗教の問題である。公共施設でアイヌ民族が宗教儀式を行えば、日本国憲法に違反することになる」と、首相や議員たちが戦死者の慰霊のための訪問が憲法違反と批判される、東京の靖国神社の状況と比較して、市川弁護士は言う。「靖国神社の場合と同様、政教分離に抵触する。違憲を避けるために、象徴空間での慰霊儀式は、観光イベントとして行うだけになる」

コタンの会の副代表の葛野次雄さんは、象徴空間には各地のコタンから祖先の魂を集約せれるため、そこで行われるワンパターンの慰霊儀式には何の価値もないとみる。

「アイヌ民族の尊厳を尊重して慰霊儀式を行うと言うが、それぞれのコタンにはそれぞれの儀式や祈りの言葉がある。さまざまなコタンから集められた遺骨に対し、象徴空間でアイヌの精神的な埋葬儀式がどうやってできるのか?」と彼は問いかける。

「我々はいつも裏切られ、搾取されてきた。先住民族としてアイヌが認められて10年経つが、何も変わらない」 コタンの会の訴訟の闘いについて、葛野さんはこう言う。「これは遺骨返還だけの闘いではない。本当に意味でのアイヌ民族の権利を手に入れるための行動なのです」

 

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