2011年6月に福島に行こうと決めたのは、福島の母親たちのお話を聞いたからでした。
東京で集会に参加し、福島からの3人のお母さんの訴えを聞きました。
福島の方々がどのような思いで日々暮らしているのか、その実状を直接耳にするのははじめてでした。
不思議なほど、福島からの声は、私たちに届きません。
メモもとらなかったので、うら覚えですが、お母さんたちのお話の一部を紹介します。
福島第一原発のある町が出身で、父親は東電の下請会社の社員だった。
原発の恐ろしさは、子どもの頃から知っていたが、反対運動には参加してこなかった。
結婚して福島県伊達市で暮らしはじめる。
原発からは50キロ離れているので、何かあったら逃げられるだろうとたかをくくっていた。
事故が起きたときは、周囲の人が驚くほど、子どもたちに完全装備させ、学校に通わせた。
まわりのお母さん、お父さんたちにも、原発の危険性を訴えたが、冷たい反応をする人もいた。
テレビに出演などしたため、無視されることもあった。
PTAの役員をやっている責任から、自分だけ逃げるようで、避難を決意するのをためらったが、最終的に札幌へ避難することにした。
福島市在住で、子どもは今年高校に進学。
希望する進学校に合格した息子を尊重し、福島にとどまる決意をする。
福島原発の電気が東京で使われていることも知らなかったし、原発についてはほとんど関心がなかった。
最初は御用学者の「安全」という言葉を信じていたが、学校の対応などの疑問から、自分で勉強をはじめ、さまざまな事実に気づいた。
この事故で、はじめて、市や県に問い合わせたり、直接職員にかけあったりした。
「子どもの20ミリシーベルト問題」では、文科省にまで出向いた。
福島県では、県産の農産物の安全性を謳い、東京などにも売り込んでいるが、福島産のものは食べないでほしい。
「息子が年下の女性と結婚するとしたら、今、学校給食を食べている世代かなぁ」と想像したら、給食に汚染された食品が使われるのではないかと心配になり、調べはじめた。
これまで何も知らなかったことを反省している。
今後も福島にとどまり、自治体を動かす力になりたいと思っている。
事故が起きた当初、御用学者の言葉を信じ、放射能の危険性には無頓着だった。
心配する知り合いに、「大丈夫だよ」となぐさめるのが私の役目だった。
インターネットの情報もいろいろで、真実がわかなかった。
子どもを守らなければ、と自らさまざまなツールを駆使し、正しい情報を収集していった。
自分で調べた結果、避難すべきだと決意した。
まわりの親たちにも説得しているが、多くがまだ安全だと信じている。
どうしていいのか、迷っている親たちもたくさんいる。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」には、「本当は安全じゃないんですよね?」と電話で聞いてくるお母さんが増えた。
そういう親に、できるだけ真実を伝えたいと思っている。
私には、子ども以外、失うものは何もない。
だから、放射能も怖くないし、国や自治体、東電も怖くない。
一筋縄ではいかないけれど、子どもたち、その孫、そしてその孫のために闘うしかない。
子どもたちは、「外で遊びたい」とも言わない。その聞き分けの良さが、かえって不安だ。
この反動がどのように爆発するのか、精神的なストレスを心配している。