戦時中に旭川の学校で起きた生活図画という弾圧事件

生活図画事件とは、旭川師範学校および旭川中学の美術部を中心に、教員や生徒など関係者が、治安維持法違反で弾圧された事件。生活綴方事件は全国各地で起きたが、生活図画事件は北海道だけで、あまり知られていない。

生活画家事件では25人が検挙され、3人が実刑、13人が執行猶予付き有罪となる。
これ以外にも何人か取り調べを受けたと推測されている。

取り調べでは、教育方針や手紙の中身を捏造させられ、拷問を受けたとの証言がある。

戦後になっても名誉回復はされておらず、生存者3人が、2010年5月、国会で名誉回復を訴えるという。
元高校教師の宮田汎氏がこの件について調べ、ブックレット(自費出版)を発行している。
絵画はほとんど没収されたが、写真は残っている(ブックレットに数点掲載)とのこと。

生活図画とは?

東京美術学校から旭川師範学校(現・教育大旭川校)に赴任(1932年)した熊田満佐呉教員(藤原惟人に師事)と旭川中学校に赴任(1927年)した上野成之教員の指導で行われた美術教育。
自分の身のまわりの生活を、現実のままにリアルに描き、その生活がどうしてあるのか、変えるためにはどうしたいいのかを議論しながら、絵を描いていく手法。

治安維持法による弾圧

1941年1月10日、熊田教員が、生活綴方教師53人とともに検挙される。美術部の学生5人が「軍事教練が不可」の理由で留年。1人が「天皇に対して不敬」で退学。
同年9月20日、上野教員を含む関係者24人が検挙される。
1943年、熊田教員、上野教員、本間教員の3人が実刑判決。執行猶予付き有罪が13人。

弾圧の口実

根拠は治安維持法第一条で、「共産党もしくはコミンテルンの目的に役立つ、その遂行のための行為」に基づき弾圧された。

たとえば、熊田教員の「焦燥」と題する絵画は、「迫りくるファシズムと軍国主義のなかで煩悶している青年(かたわらに裏返しになった本)」が描かれているが、官憲は、青年が読んでいる本を「唯物論全集」だとし、「マルキストたる作者が時局に重圧に深刻に悩む主観的絵画なるが、かたわらの『唯物論全集』により画面を特に階級的に深めあり」と記す。

また、本間教員が描いた、吹雪の中を子どもたちが登校してくる絵画を「貧農の子らが吹雪を突いて通学する場面なるが児童の深刻なる表情は作者の意欲を表し横殴りの吹雪は客観的資本主義社会の現実をもって象徴したるもの」と違反の証拠としている。

(2013年11月10日)

 

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