世界の庭(ヨーロッパ編6):フランス式庭園

イタリアより約一世紀遅れてルネサンスが始まったフランスでは、イタリア式庭園の模倣時代がしばらく続い造園家アンドレ・ル・ノートルにより、フランス式庭園が確立していく。

ヴェルサイユ宮殿、シャンティイ城、パレロワイヤルなど代表的なフランス庭園が誕生。

世界の庭(ヨーロッパ編5):イタリア式庭園
イタリア式庭園は、15世紀、フィレンツェで生まれた。特徴は、イタリア露壇(テラス)式を斜面に沿って幾段かに重ねた立体的な構造にある。ピッティ宮殿の裏側に広がるボーボリ庭園は、イタリアはもとより、ヨーロッパ庭園のお手本となったイタリア式庭園だ。

 

「ベルサイユのばら」の舞台になった宮殿!

到着する前からドキドキし、あいにくの雨の中、急ぎ足で宮殿へ向かう。

目の前に出現した荘厳な宮殿に、思わず後ずさりしてしまいそう。

とにかく巨大。そして、見物客が多い。

混雑している宮殿内から庭園へ。

ここで、あまりの美観に、もう一度ため息をつくことになる。

ガイドブックで知ってはいても、幾何学模様の完璧なレイアウトを見ると、やはり身震いしてしまう。

それにしても、なんと広大な庭園なのだろう。

端まで来たと思っても、その先には延々と緑が続いている。

フランス史上、いや世界最高ともいえる、豪華な宮殿ヴェルサイユ。

広さ100ヘクタール以上の庭園もまた、ルイ14世の自慢の傑作だった。

王自ら書いた「ヴェルサイユ庭園案内の手引き」をたよりに庭園巡りを始めてみると…。

宮殿裏手のラトーヌの泉からスタートし、左回りに歩くと、いくつかの噴水を通り過ぎる。

しばらく行くと、アポロンの泉があり、その奥にはグラン・カナル(大運河)が広がる。

左右に設置されたいくつかの泉を通り、ネプチューンの泉にたどりついたら、ここをぐるりと回り、ラトーヌの泉へと戻る。

こう書いてしまうと簡単だが、実際に歩くとかなり時間がかかる。

この庭園を設計したのは、造園家アンドレ・ル・ノートルである。

彼いなくして、フランス式庭園は生まれなかっただろう。

イタリアより約一世紀遅れてルネサンスが始まったフランスでは、イタリア式庭園の模倣時代がしばらく続いた。

パリのリュクサンブール公園は、その流れをくんでいる。

ここは、イタリア・メディチ家出身マリーが、1620年に造らせた庭園だった。

その時代に植えられたマンナの木は、マロニエ、銀菩提樹、プラタナス、楓、桐に代わっているが、フランス式庭園や直線に植えられた並木は美しく、たくさんのパリ市民が集う。

オランジュリー(オレンジ用温室)、彫像、池、噴水などもある。

イタリア色の強かった庭園は、やがて、天才園芸家の手で、平面幾何学式のフランス独特のスタイルへと移行していく。

イタリア式庭園が立体的なのに対し、フランス式は、平面的かつ大規模に構成されている。

中心となるモチーフが、厳格なシンメトリーで広がっていく。

建物正面の主軸から、両サイドにそれぞれ対照に福軸を延ばし、その福軸もまたシンメトリーを描く。

庭園の周りは密集して植えた樹木でシャープに囲い、道に平行して樹木を並べることで主軸を強調する。

また、ツゲやイチイ、色とりどり花、カラフルな土や砂利でアレンジした、さまざまな形の花壇を配置する。

このような花壇は、パルテールと呼ばれている。

この時代、光の効果への関心が高まり、庭園にもそれが生かされた。

水に映る空で広がりを演出しようと、長方形のカナルが必ずといっていいほど造られた。

フランス国王がル・ノートルに注目したのは、シャンティイ城の庭園がきっかけだった。

ロマンティックな白い城に無限に広がる庭園。

まるで映画のセットのようで、この庭園を歩いていると、主役になったような気がする。

1643年、ブルボン・コンデ家ルイ2世にデザインを依頼され、ル・ノートルはグラン・カナルとパルテールのある庭園を設計した。

この庭園では連日パーティが開催され、モリエールの芝居を上演したり、舞踏会や花火大会でにぎわった。

文学サークルにはラ・フォンティーヌらが集まり、庭を囲む並行の2本の散歩道は、それにちなんで「哲学の道」と名づけられた。

フランス革命後、城は取り壊され、公園は荒廃したが、その後、修復。19世紀に国の所有となり、一般公開された。

ヴェルサイユ宮殿を手がける前に、ル・ノートルは、現在サン・クルー公園となっている約400ヘクタールの庭園を設計した。

起伏を利用した露壇の多い公園は、とても表情豊かだ。

高台からは、円錐に刈り込まれた樹木のレイアウトが眺望できる。

また、ル・ノートルが1667年に製作した巨大な滝は壮観だ。

この庭園は、ルイ14世の弟フィリップ・オルレアンの豪奢な城に併設して造られた。

フランス革命で没収されるが、ナポレオンが気に入り、ブリュメールのクーデタ計画や、マリー・ルイーズとの再婚の誓いなど重要時に使用した。

ナポレオン3世が即位を表明した場所でもある。

城はプルシア戦争のとき全焼したが、大噴水、U字型の池などが残存している。

パリを一望できるテラスは、ナポレオンの滞在を市民に知らせるランプに由来し、ランテルヌ(ランプ)のテラスと呼ばれている。

パレ・ロワイヤル庭園にも、ル・ノートルの痕跡を見ることができる。

庭園を囲む建物には、カフェやショップがあるにもかかわらず、ここだけは静寂に包まれた空間だ。

1636年にこの敷地を手に入れたリシュリューは、パリ最大の庭園を作った。

その後、ルイ13世が受け継ぎ、幼いルイ14世は母親とここで幼児期を過ごした。

ヴェルサイユ宮殿が建設される頃、ル・ノートルはパレ・ロワイヤルの庭園作りにかかわった。

彼の意見は、パステールに生かされたという。

花壇には、現在も色彩に富んだ花が咲いている。

きちんと剪定されたプラタナスは、夏は緑、秋は黄色と変化し、趣がある。

ル・ノートルはまた、ルイ14世の宰相コルベールの庭園も手がけた。

初公開式には王も出席し、ラシーヌの芝居が上演されるなど、派手なパーティが開催されたという。

広さ152ヘクタールの土地は、現在ソー公園となっている。

起伏に富んだ土地をシャープに改造し、徹底的にフランス式にこだわったデザイン。

剪定された樹木のレイアウトが、重要なポイントになっている。

丘の側面から引いた水をふんだんに使っているのが特徴で、グラン・カナルは全長1030メートル。

ヴェルサイユ宮殿の小カナルと同じ長さだ。

ロダンの彫刻を飾った十段の滝を流れる水は、巨大な池に注ぐ。

この池に沿ってプラタナスが植えられ、十メートルの高さにいたる噴水がある。

この公園では、毎年水の祭典が開催されている。

また、華麗な彫刻装飾のオランジュリーは、冬に三百本のオレンジの木を収容した温室で、夏はパーティに使用された。

フランス革命で没収された土地は、1922年に一般市民に解放され、その後は住民の憩いの場となっている。

ルイ14世が毎年秋に滞在したというフォンテーヌブロー城でも、ル・ノートルのパルテールを見ることができる。

この庭園は、16世紀、フランソワ1世が、松の庭園と、イタリアで流行っていたグロットを造ったことに始まる。

「女王の庭」と呼ばれるディアナ庭園は、カトリーヌ・ド・メディシスが造らせたもの。

狩姿の女神ディアナの噴水は、その当時のまま残存している。

アンリ4世は、その頃はまだ珍しい品種だったプラタナスを植え、8角形の小さなパビリオン、鯉の池を加えた。

彼が造らせた1200mのカナルは、17世紀初めに改造され、今は釣堀になっている。

ルイ14世は、太陽王を演じるにふさわしい舞台として、壮大なヴェルサイユ宮殿を築いた。

フランス式庭園は、単に傍観するだけのものではなく、非現実的な日常生活を演じる場を提供していたのだ。

(2013-10-14 09:16:28)

世界の庭(ヨーロッパ編7):フランス式庭園の影響
ヴェルサイユ宮殿の完成後、フランス式庭園が大流行となり、イギリスでもその影響を受けた庭園が多数生まれた。イギリス人園芸家は、フランス様式を自国の風土に適応させた。ハンプトンコートおよびケンジントン宮殿の庭園、グリニッジパークなどにそれがみられる。

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イスラム庭園6:アルハンブラ宮殿(グラナダ)
アラビアンナイトの幻想の庭園は、アルハンブラ宮殿に実存しています。どの位置からも草木が目に入り、いかに庭園と親密な関係だったかがよくわかります。麗しいアーチ型の窓が外の美景と調和し、一枚の絵のよう。イスラム建築では自然は重要な要素なのです。
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