福島第一原発事故で町民が故郷を奪われた楢葉町を訪ねる

2014年11月23日、福島県の楢葉町に行ってきました。

まず山田浜地区へ。津波でこの一帯の家は流され、基礎だけが残っています。

周辺に茂るススキなど草が、3年の月日を物語っています。

放射能汚染のため処理ができず、被害にあった家もそのまま放置されていました。

元町議の松本喜一さんの案内で、ご自宅があった土地へ。

冷蔵庫のドアを閉め忘れた、と戻り、行方不明になっている方もいると…。

楢葉町の木戸川は、太平洋側一の鮭の収獲量を誇っていたそうです。
毎年1800万の稚魚を放流し、多いときには10万匹が川に戻ってきたといいます。
震災の前日に放流した鮭が今年戻ってきました。でも……。

澄んだ川に浮かぶ息絶えた鮭。橋の上でも腐敗臭が鼻につきました。

「人が住んでいれば苦情が出て、処理するんだけど」と松本さん。
放射能は無臭ですが、魚の腐敗臭として記憶されました。

天神岬から臨んだ南地区。津波で根こそぎ流されました。

天神岬には温泉施設も。美肌の湯だそうです。今は町民以外も無料で入浴できます。
この裏手に除染作業員の宿舎があり、作業員は仕事の後、ここで一風呂浴びたとのこと。

元除染作業員のAさんが、楢葉町の除染の状況を説明してくださいました。

19歳女性除染作業員の思い 福島原発事故の放射能汚染
福島原発事故後、道路や宅地などの放射線量を減らすため、国の除染事業がスタートした。放射能のリスクが男性より高いといわれる女性も、除染作業員として働いている。2人の女性除染作業員に話を聞いた。『週刊女性』2014年3月11日発売号に掲載された記事。
女性除染作業員の取材追記 原発事故から3年の福島市
福島原発事故後、国の除染事業がスタートした。「除染作業員のなかに、女性もいますよ」と聞き、2014年2月に福島市を取材。除染作業は、放射能に対する感覚がマヒしたかのような環境のなかで、一般の道路工事や草刈りの延長のように行われていた。

楢葉町の除染作業は丸2年かけて終了したのですが、いたるところに大量の黒い袋(フレコンパック)。この袋1個のなかには、約1トンの放射能汚染廃棄物が詰まっています。
双葉郡全体で175万袋あるといい、楢葉町だけで56万袋だそうです。

楢葉町役場の前には、復興商店街ができていました。

ここの主な利用者は除染作業員。そのため、岩手県などの復興商店街のように、レンタルビデオ屋などの娯楽はなく、食堂やスーパーなど、作業員の食事をまかなう店がほとんどなのだそうです。

昨年、この近くにコンビニもオープンしました。原発に一番近いコンビニ。
こちらも、作業員が食料品を買うのによく利用するそう。

そして、福島原発事故後、東京電力の作業員の拠点となっているJヴィレッジでランチ。

施設内のレストラン「ハーフタイム」のランチは、一般の人も利用できます。
とても複雑な気持ちでお昼ご飯を食べました。正直なところ…。

ここは2002年の日韓ワールドカップの際、アルゼンチン代表の合宿場だったそうです。
しかし、サッカーの輝きはなく、無残。

現在Jヴィレッジは東電が借りていますが、東京オリンピックで2018年をめどに福島県側に返還するそうです。

食事の後、いわき市で開催されている「第68回 福島県高等学校 演劇コンクール」で会津若松の大沼高校の「パラダイス」を観劇。

会津若松には楢葉町や大熊町の住民が避難しています。

「町民の5割が戻らない」避難指示解除後の大熊町の現状
2019年4月、福島県大熊町は福島第一原発の立地自治体のなかで初めて、一部地域で避難指示が解除されたが、10月31日現在の町内居住率は1%。3月に発表された大熊町民のアンケート調査結果をみても、「戻らないと決めている」人は55%を占めている。

帰宅困難区域の女性「帰ったら危ない」で町民に叩かれる『週刊女性』3月24日号

受け入れる側の複雑な思いを高校生がお芝居で表現。レベル高い演技でした。

「大沼演劇&浜通り視察ツアー」(ウシトラ旅団主催)に参加

(2014年12月3日)

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