第一次大戦の戦場イーペルをイギリス兵の孫が訪ねる

イーペル(Ypres)は、ベルギー西部、フランデレン地域のウェスト=フランデレン州にある都市。第一次世界大戦中に、ドイツ軍と連合国軍の最前線として、第一次および第二次イーペルの戦いなどの長期戦闘が繰り返された。
街はほとんど壊滅したが、戦後再建され、「平和都市」となった。

イギリスBBCのインターネットラジオで放送された、イーペルのレポートです。
放送はいつだったか、忘れてしまいました。たぶん2009年ごろです。
ちょうど「浅茅野飛行場建設跡をどうするか」といった問題を考えたりしていたころなので、日本語に訳してみました。

市民による浅茅野飛行場の朝鮮人(徴用工)労働者遺骨発掘
旧陸軍浅茅野飛行場が建設された猿払村では、市民団体、地元住民、市民らによって実行委員会が結成され、2006年から。過酷な労働で犠牲になった朝鮮人犠牲者の遺骨発掘調査が行われた。『ビッグイシュー日本版』2010年8月1日号に掲載された記事。

以下、レポートです。

第一次世界大戦の間、ベルギー北部の小さな中世の街イーペル周辺で、50万人が殺された。
北ヨーロッパの暗くかなり冷え込んだ夜の中世の歴史的街。このあたりは、私のように広場のコーナーに向かって歩いている人はいない。
90年前、イーペルはフランス西部の一部だった。フランスの前線は、土地を横断して広がっていた。この街での4年間の戦闘で、50万人が殺されたと見積もられている。何千何百という人が消息を絶った。
それから、大英帝国がイーペルに侵攻した。

私は、イギリス軍の兵士だった祖父がドイツと戦った場所を歩いてみようと思い、このレポートを計画した。
イーペル周辺の広範囲で、いったい何が起こったのか。
まずは、戦争について展示しているフランドルフィールズ博物館を訪ねた。

「なぜドイツ軍はイーペルを攻撃したのですか?」
「前線に到達するためです。イーペルの周辺地域は、フランス西部全域の前線でした。ですから、ここを進撃しなければならなかったのです。イーペルはドイツ軍がそのルートに侵攻するのを止めました。ここは、イギリス軍のライフラインとなる重要なルートでした。これが概略です」
「人々は、最後の侵攻を防ぎ、海上を通させるために、ドイツ軍を止めなければならなかった。そして現在は、戦争に関するツアーがビジネスになっています。もしこのように大勢の人々を引き寄せることがなかったら、この街はどのようになっていたと思いますか?」
「フランドル西部のとても静かな伝統的な農業の街だったでしょう。いまでは、毎年30万人以上がこの街を訪れます」
「人口3万人のとても小さな街ですが、静寂さと多くの訪問者をどうとらえていますか?」
「この街では多くの死とともに暮らしています。平穏な生活はとてもいいのですが、それとはまったく対照的なものを目しなければなりません。静けさと死の重みを感じることができるこの土地をどう扱うか。それははっきりしています。生き延びるために、このコントラストが必要だと思います」

たしかにそうだろう。イーペルの戦闘の地は決して終わりがない。ここでは戦時中の塹壕を残そうとさえ考えている。現在、博物館だけがイーペルの戦争を展示した場所ではない。
やっと探していたものにたどりついた。「パラダイス」という店だ。ここには、本が何冊も何冊も積み上げてある。ショーケースには戦場の品。見事だ。パラダイスの店長に話を聞く。

「商売はどうですか?」
「おかげさまでうまくいっています」
「この店で売っているのは、本だけじゃないですよね。どんなものがありますか?」
「戦場の品です。ドイツ軍のものとか」
「それを売っているんですね?」
「そうです。観光客は土産にほしがるのです」

ショーケースを見る。ここにはヘルメットがつるしてある。刀剣もある。

「これらの品はどこから手に入れたのですか?」
「戦場跡を歩くと、数日でほしいだけのものが見つかります。いくつかは土のなかに埋まっています」
「このようなものを手に入れることができますか?」
「これぐらいのものなら、たぶんできるでしょう」

店長と戦場を調査することもできる。この街では毎日、たくさんのオプションツアーが用意されている。まず、イーペルの郊外の道路にあるイギリス人戦没者墓地に立ち寄った。ツアーガイドは、戦争に導いてくれる。

「ここに来た人たちは、何を探していると思いますか?」
「それはとても難しいです。ある人は、身内の足跡をたどるためにやって来ます。ここでその人に何が起こったのか。それがここにはあるからです。どこで彼は息を引きとったのか? どこでけがをしたのか? それを知るために。別の人は、歴史を知るためにやって来ます」

ここに来た人たちは、どのように歴史を感じるのだろう。「見て触れる」ために、みんなここにやって来るのではないか、と私は思う。

戦場を歩いていた私の祖父は幸運だった。彼は故国に戻ることができた。祖父は懸命に働いた。そして、フランス西部について語ったが、十分な貯蓄がありながらも、二度とその街に行こうとはしなかった。

ここは小さな英国教会だ。ここに入ってみる。戦場について、観光客にある種のことを教えてくれる時間を見出せそうだ。ここはかわいらしい教会である。

「なぜイギリス人はここを訪れると思いますか?」
「イラクやアフガニスタンの戦争があり、ここを訪れる人が増えています。人々は、苦しみに気づいたのだと思います。人々はこの場所から、第一次世界大戦中に祖父に何が起きたのか、自分の家族史に立ち返ろうとしています。それはとても興味深いことです」
「ここを訪れるイギリス人が増えているといいましたが、どのぐらいですか?」
「いい例があります。1963年、この教会は閉鎖されようとしていました。でも、復活したのです。教会にやって来る人は、年15,000人から50,000人に増えました」

(2013年11月26日)

90年代にロンドンの戦争博物館を見学したときの記憶
8月15日は終戦記念日。戦争は過去のことと片付けがちな日本人が多いが、旧ユーゴスラビア紛争をはじめ、現在でも戦争は続いている。ロンドンの戦争博物館は、戦争の残虐さと平和の大切さを、見て触れて体験しながら確認できる博物館だ。日本には国立の戦争博物館がない。

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