釧路の新人看護師パワハラ裁判・低い医療安全管理意識

8月23日と24日に釧路地裁で行われた、釧路赤十字病院の看護師だった村山譲さん(当時36)の労災認定を求めた訴訟の証人尋問では、当病院の医療安全管理とコンプライアンスの問題点も浮き彫りになった。

釧路の新人看護師パワハラ裁判で杜撰な新人教育の証言
釧路赤十字病院の看護師だった村山譲さんの労災不支給取り消しを求めた訴訟の証人尋問が釧路地裁で行われた。被告側の4人の看護師と医師は「パワハラはなかった」と口をそろえたが、当病院の新人看護職員研修の欠陥、医療安全管理の問題点が浮き彫りになった。

インシデントレポートは1枚だけ

被告側として証言台に立った4人の看護師は、譲さんが複数の重大な事故を起こしていたことを認めたが、インシデントレポートは1枚しか提出されていなかった。その理由を、「気を遣って書かせなかった。焦りが見られたので」と弁明する。

インシデントレポートは,患者に実施されたが結果的に被害がなかったり、あるいは未然に防げたが患者に実施されたとすれば何らかの被害が予測されたりする「ヒヤリ・ハット」した出来事(インシデント)を報告するシステムだ。

1999年頃の相次ぐ医療事故をきっかけに、医療安全対策の必要性が高まり、2002年(平成14年)10月の医療法施行規則改正により、医療事故やヒヤリ・ハット等の報告制度がはじまった。
尋問で譲さんの母親であり看護師の村山百合子さんが、「インシデントレポートは、どのような状況でミスが起きたのか検証し、次にインシデントを起こさないように作成するもので、個人を責めるものではありません。大きな病院なら普通、医療安全対策チームが(インシデントレポートの)統計をとるはずです」と述べた通り、インシデントレポートは始末書ではなく、事故の再発防止に活用するのを目的とし、安全管理担当者によるレポートの収集・分析が求められている。

上司・同僚の看護師が証言した譲さんのミスには、「ヒヤリ・ハット」に相当する出来事が複数あった。

6月12日、麻酔の注射液の指示量は20ccだったが、21cc入れて投与した。注射液のミスは1回だけでなく、麻酔薬以外にも、注射液のミスは複数回あった。

6月27日には、手術中にベッドのコントローラーを動かしてロックを外してしまった。このときは大事に至らなかったが、執刀中にロックが外れると、患者の手足がベッドから落ちたり、ケガをしたりする可能性があり、非常に危険だ。

また、人工呼吸器のアラームを消したこともあった。「気管内挿管をしているとき、呼吸をしていないと機械が感知してアラームが鳴る。安易にアラーム音を消してはならない。理由を聞いてから消すことになっている」という。

酸素マスクの接続部分が外れていることに気づかなかったり、酸素をつなぐのを忘れたりすることもあった。「手術後の帰室のために患者がストレッチャーで移動するときにわかった」「私の目で見たのは1回。その後も1回あったとスタッフから聞いている」とD看護師長。

挿管解除の順番を誤ったともいう。患者が麻酔中に看護技術の手順が前後すると、呼吸ができない状況になり、重大なアクシデントになる。

それ以外にも、三方活栓の患者に固定する方向を何度も間違えた、患者に帽子をかぶせるときに髪が出てしまう、オルソラップを腕に均一に巻くことができない、挿管チューブがねじれたなどのミスがわかっている。

こうしたミスを重ねていたにもかかわらず、譲さんがインシデントレポートを書いたのは、2013年6月12日の注射液の量の事故だけだ。C看護係長は、労基署の聴取書に「あってはならない重大なミス」と記述していたが、尋問では、「麻酔薬を多く投与するのは、すごく重要ということはない」「聴取書に書いたことを覚えていない」と述べた。

これに対し、母親の百合子さんは、「麻酔薬を1cc多く投与しても患者に危険が及ばないといわれていますが、個人差があるので、ミスは重大です。患者に何も影響がなければ重大なミスではないという看護師は、安全管理を心得ていないのではないでしょうか」と憤る。

「注射液の量、手術台のロック外し、アラーム、酸素マスクの間違えなどは重大なミスで、インシデントレポートを書いて状況を調査するはずです」

百合子さんは、「インシデントレポートは書いたが、隠しているのでは」と疑う。もしくは、重大な事故に至る恐れがあったにもかかわらず、インシデントレポートを提出せずに放置した可能性もないとはいえない。

パワハラを否定する病院側の奇妙な対応

譲さんは、同期の看護師に、「ミスを繰り返していることやなかなか思ったように進めない」という悩みを打ち明け、指導担当の男性看護師にときどき相談していたが、上司は「村山さんが仕事で悩んでいたのは知らなかった」と言う。

出廷した上司の看護師2人は、チューター(ワンツーマンの新人指導担当者)の看護師が「もう村山さんの指導担当はできない」と苦慮していたのを知っており、当時眼科部長だったF医師に「指導が難しい人がいる」と漏らした看護師もいる。

労基署の聴取書には、譲さんが上司から無視されたり、冷たく叱責されたりし、周りのスタッフからも疎外されていたという記述があったが、証言した4人の看護師は、「人間関係を切り離されてしまったようには思わない」「医師や上司の厳しい言葉はあったが、パワハラや暴言はない」「こちらから歩み寄った」と言い張る。

一緒に働く看護師たちは気づかなかったそうだが、村山さんはうつ病を発症し、室蘭市の自宅で9月15日に自ら命を絶った。

遺書には、「ミスを連発し、言われたことを直せないでいました」と謝罪の言葉に加え、「F先生に『お前はオペ室のお荷物だな』と言われて、確信しました。成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。本当に申し訳ありません」とパワハラをにおわす記述があった。

告別式を終えた翌日、両親の村山豊作さん・百合子さんら遺族は釧路まででかけ、病院の関係者に遺書を見せた。

「院長先生は、『F先生に確認する』と言い、総務課長さんも、『真摯に対応する』と…」 そう百合子さんは証言する。

「10月10日、病院側がF医師の手紙を持って自宅を訪れました。コピー用紙3枚、封筒にもいれず、院長からそのまま手渡されました」

そして、病院関係者と3回目に面談したとき、看護師長から、「息子さんは適応力がなかった。ミスが多く、何度指導しても仕事ができなかった」「チューターの看護師が困っていた」と報告を受けた。

11月に入ると、「忙しいので」と病院側から文書での問い合わせを求められた。手紙を送っても、返事が届くまでに1ヶ月近くかかり、譲さんの勤務状況や職場での様子を問い合わせには回答がなかったという。

「同僚や同じ職場の方に会わせていただきたい」と釧路赤十字病院に電話をしたが、「村山さんの件で複数のスタッフが体調を崩しているので、業務に支障があるため、面談はできない」と退けられた。

手術室の看護師をはじめ、病院が譲さんの遺書の内容をどう受け止め、どのように対応したのかは謎が多い。

看護師長から遺書を見せられたという上司の看護師は「上層部からは、看護指導についての報告を求められなかった」と言う。

驚いたことに、釧路赤十字病院は、譲さんが希望退職して引っ越し、生きていると偽っていた。その事実が判明したのは、11月末、室蘭の自宅に届いた譲さん本人宛の2通の文書からだった。看護協会と看護連盟から次年度会費納入呼びかけの文書が、釧路の住所から転送されたのではなく、譲さんの名で実家宛に郵送されたのだ。

会費の振り込み用紙には、勤務先の欄に印字されていた「釧路赤十字病院」が手書きで「個人会員」に変更され、取り消し線が引かれた釧路の住所の横に、実家の住所と父親名の「様方」があらたに書き添えられていた。誰かが無断で変更手続きをし、譲さんは死後も会員として登録されたままになっていたのである。

両親がすぐに両団体の本部に問い合わせたところ、「釧路赤十字病院から『一般退職し転居した』との連絡があった」と説明された。

釧路赤十字病院にその理由を問いつめたが、病院の事務方は「看護部の話なのでわからない」と言うだけで、事実確認しようとしなかったそうだ。

遺書に名前のあったF医師は、「遺書は院長から見せられた」が、「院長から事情聴取は受けたり、どうするかといった対応を検討したりしていない」と言う。「病院として遺族に事情を説明するべきだと考えなかったのか」と原告代理人が問いただすと、「ない」と即答し、「それは四役(院長、副院長、総務部長、看護婦長)が決めること」と言い切った。

遺族への手紙は、「誰にも相談しないで書いた」「自分の名があり、自死の原因のような遺書だったので、『そんなことはありません』と伝えるつもりだった」と説明した。

遺書にあった「F先生に『オペ室のお荷物だな』と言われて」については、「医者としてやさしくしていたのは僕だった。僕は特別な存在だったから、そういう言葉が出たのではないか」と述べる。
F医師が譲さんを知ったのは、5月の連休明け。手術後の看護師との雑談中に、「今年の新人はどうですか?」と尋ねたら、「少し遅れている人がいる」と聞かされたのがきっかけだった。

それからは、「廊下ですれ違いざまに、『がんばってるか』とあいさつ程度に声をかけた」が、「6月に込み入った話をした。更衣室から出るときに、深刻な顔をして村山さんが入ってきた。『私はそんなに評判悪いですか』と聞かれ、『どうしてそんなことを言うの?』と聞いたら、『先生はいつもやさしいから』と答えた」そうだ。

遺族宛の手紙には、「あらあらまた怒られちゃったの?」と言葉をかけることもあったと書かれているが、それについては、「誰から怒られたのかはわからない。顔つきでそう言っただけ。看護師から聞いていたので、『また』と言った」と釈明する。同医師は「親しげに話したことはない」と断言し、証言に立った4人の看護師も、F医師と譲さんの接点をかたくなに否定した。

F医師は自身を、「釧路赤十字病院の年間手術総数年間の半分にあたる3000件という“破格”の数の手術をこなしている」ことを得々として語り、「まさに病院の屋台骨を支えている」と自認する。
ところが、副院長としての立場でありながら、同医師は、「今からでも同僚や病院スタッフが直接遺族に説明するよう要求できるのではないか」と質問され、「できると思う。病院に聞いてほしい」と発言し、「病院はしっかり事情を検証し、事実を明らかにする必要があるのではないか」と聞かれ、「ないと思う。私の事情なので」と回答した。

法廷で母親の村山百合子さんは、「これは息子だけのことではないのではないかと」と訴えた。「新人看護師が安心して働ける病院であるべきです。釧路赤十字病院は、もっと変わらなければならないと思います。それが、私たちが闘いつづけている理由です」

(2021年9月21日)

パワハラか?釧路の男性看護師がわずか半年で自殺(1)
高校時代からの夢だった看護師として第二の人生を踏み出した村山譲さんは、北海道釧路市の釧路赤十字病院に入職後、たった6ヶ月で自ら命を絶った。本人がA4の紙に綴った自筆の遺書には、パワハラの告発ともとれる文章が記されていた。母親が心境を語った。

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