札幌地方裁判所で2020年9月15日、福島第一原発事故現場で復旧作業に従事し、3つのがんを患った札幌の元作業員の証人尋問が行われた。男性は、東電など3社に損害賠償を求める民事訴訟と、労災不支給取消を求める行政訴訟の原告であり、この日は、2つの訴訟の証人尋問となった。
※なお、2021年5月13日、札幌地方裁判所はこの2つの訴訟の請求を棄却した。
原発がれき撤去作業員訴訟、国や東電の責任認めず 札幌地裁『週刊金曜日』(2021年5月31日)
原告Yさんの証人尋問はもともと、2019年11月22日に、被告側の証人である原告の当時の上司にあたる元作業員Sさんと二人で行われる予定だった。ところが、Yさんは体調不良の出席できず、10ヶ月後の2020年9月15日、証言台に立った。
尋問は、原告側代理人に続き、被告側から、山崎建設代理人、東京電力代理人、国の代理人の順で行われた。
福島第一原発事故の張本人である東京電力の代理人は、原告の既往症や生活態度に関する質問のみに終始した。
原告のYさんは、2011年7月4日から同年10月31日までの約4カ月間、福島第一原発構内のがれき撤去業務に従事。翌年の2012年6月に膀胱がん、2013年3月に胃がん、同年5月に結腸がんを発症している。
Yさんは、がんを発症したのは作業中の放射線被曝などが原因として、2013年8月28日に福島県富岡労働基準監督署に労災を申請。しかし、2015年1月28日に不支給が決定する。審査請求も棄却され、2016年9月30日に再審査請求も棄却された。
2015年9月1日に、東京電力や元請けの大成建設と山崎建設を相手取り、計約6500万円の損害賠償を求める訴えを札幌地裁に起こした。
そして、2017年2月28日に、労災不支給処分の取り消しを求めて、札幌地裁に提訴した。
この日の証言台で、Yさんは、訴訟を起こした経緯を次のように語った。
「膀胱がんは、自分の病気かな、と思った。治療中に、厚生労働省から健康診断を受けるよう連絡があり、検査をしたら、3月に胃がん、5月にS状結腸がんが見つかった。東電に電話をしたら、『労基署に行け』と言われ、東電に門前払いをされた」
3つのがんは、転移ではなく、原発性だった。
「がんの既往症はなく、親族にもがんを患った者はいない。3つとも摘出手術をした。膀胱がんは、抗がん剤の副作用で膀胱が硬くなり、摘出。胃がんは食道に近く、内視鏡で全摘し、S状結腸ガンも摘出した。体重は65㎏から42㎏にまで減った。身長は163㎝。」
Yさんは、重機の遠隔操作を行う重機オペレーターで、長年この業務の請負をしてきた。2011年3月の福島第一原発事故後、大成建設の第二次下請けマイタックから、同原発構内のがれき撤去の仕事を持ちかけられ、そこの従業員として派遣された。
災害復旧工事は、東京電力が発注し、大成建設、鹿島建設、清水建設の3社共同企業体が元請として受注し、大成建設の第一次下請け山崎建設が工事を請け負った。
作業は、荷台に鉛で覆った重機の操作室を設置した10トントラックを放射線量が高い現場に停め、遠隔操作で重機を動かし、がれきを撤去する。
操作室は、重機オペレーターは3名、各所に設置されたカメラの遠隔操作を行うカメラオペレーターが1名、班長および残り3名は待機という班員8名体制。
Yさんは、この重機オペレーターとして雇用された。
記録に残されたYさんの被ばく線量は、4か月で56.41ミリシーベルト。
Yさんの業務は重機の遠隔操作だったが、ケーブルの敷設などの屋外作業を余儀なくされ、がれきを直接手で運んだこともあったという。さらに、線量計の警報音が鳴っても作業を続行し、線量の高い現場ではAPD(警報付き個人線量計)を外して作業したとも証言した。
東電代理人は、業務については触れず、遠隔操作室の配置、操作室内での服装、作業の前年やがんを発症する前の健康診断の内容などを質問した。
東電代理人の質問と原告の回答は次の通り。
-操作室はトラックに乗せられ、図面では13.2平米とある。黄、青、白に区分されているが、それぞれ何を行うのか?(図面を見せながら)
黄色の部分の3つは、ニブラやハサミなどの操作をする席。真ん中がハサミだった。座る場所は決まっていない。青色の部分はわからない。白色の部分は、カメラの遠隔かもしれない。
休憩時間はなかった。
-操作室での服装は? APDとガラスバッチはどのように身に付けていたのか?
APDとガラスバッチは、ストラップを首からかけ、左右のポケットに入れる。タイベックス(防護服)はフード付きだった。ヘルメットは、操作室内でも着用していた。APDははずしたときもあったが、ガラスバッチははずしていない。
-平成22(2010)年4月の健康診断で、生活習慣を改善したい、と答えている。改善したい内容は何か?
暴飲暴食、タバコ、かな。脂肪がついていたので、やせようとも思っていた。でも、運動不足は気になっていなかった。
-暴飲暴食とは?
食べ過ぎ、不規則な食事時間とか。
-寝る直前に食べることはあったか?
そういうこともあった。
-朝食を抜く、と書いてあるが。
食欲がなかったので。
-就寝時間はどうか?
8時間以上寝ていた。
-喫煙歴は、20~54歳、1日40本とある。
そうだった。
-趣味はパチンコとあるが。
少しだけで、いつもやっていたわけではない。
-平成2~13(1990~2001)年、30~40代のときは、トラック運転手とあるが。
8時間労働で、睡眠時間は8時間だった。
-昼夜生活が逆転することはなかったか?
長距離トラックではなく、ダンプの運転手。当時、道外<証言では県および市町村名>で自営をしていた。
-平成26(2013)年の北海道大学病院の健康診断では、アルコールを控えてみましょう、とある。
肝機能の数値が高かったので、助言を受けた。酒の量は多くない。毎日飲むのではなく、休肝日を作りましょう、というもの。
-先ほど、「膀胱ガンは自分の病気かな、と思った」と言ったが、それは放射能ではない、ということか。なぜそう思ったのか。何か思い当たる原因はあるか?
原因がわかれば、病気にはならなかった。だから、答えられない。
(2020年 10月 12日)