3癌併発の福島原発作業員の労災・賠償訴訟で証人尋問 2

札幌地方裁判所で2020年9月15日、福島第一原発事故現場で復旧作業に従事し、3つのがんを患った札幌の元作業員の証人尋問が行われた。男性は、東電など3社に損害賠償を求める民事訴訟と、労災不支給取消を求める行政訴訟の原告であり、この日は、2つの訴訟の証人尋問となった。

原告Yさんの証人尋問はもともと、2019年11月22日に、被告側の証人である原告の当時の上司にあたる元作業員Sさんと二人で行われる予定だった。ところが、Yさんは体調不良の出席できず、10ヶ月後の2020年9月15日、証言台に立った。

3癌併発の福島原発作業員の労災・賠償訴訟で証人尋問 1
2019年11月、福島第一原発事故現場で復旧作業に従事し、3つのガンを併発した札幌の元作業員が、労災不支給取消と、東電など3社に損害賠償を求めた2つの裁判の証人尋問が行われ、男性の当時の上司にあたる元作業員が被告側の証人として証言台に立った。

尋問は、原告側代理人に続き、被告側から、山崎建設代理人、東京電力代理人、国の代理人の順で行われた。

福島第一原発事故の張本人である東京電力の代理人は、原告の既往症や生活態度に関する質問のみに終始した。

原告のYさんは、2011年7月4日から同年10月31日までの約4カ月間、福島第一原発構内のがれき撤去業務に従事。翌年の2012年6月に膀胱がん、2013年3月に胃がん、同年5月に結腸がんを発症している。

Yさんは、がんを発症したのは作業中の放射線被曝などが原因として、2013年8月28日に福島県富岡労働基準監督署に労災を申請。しかし、2015年1月28日に不支給が決定する。審査請求も棄却され、2016年9月30日に再審査請求も棄却された。

2015年9月1日に、東京電力や元請けの大成建設と山崎建設を相手取り、計約6500万円の損害賠償を求める訴えを札幌地裁に起こした。

そして、2017年2月28日に、労災不支給処分の取り消しを求めて、札幌地裁に提訴した。

この日の証言台で、Yさんは、訴訟を起こした経緯を次のように語った。

「膀胱がんは、自分の病気かな、と思った。治療中に、厚生労働省から健康診断を受けるよう連絡があり、検査をしたら、3月に胃がん、5月にS状結腸がんが見つかった。東電に電話をしたら、『労基署に行け』と言われ、東電に門前払いをされた」

3つのがんは、転移ではなく、原発性だった。

「がんの既往症はなく、親族にもがんを患った者はいない。3つとも摘出手術をした。膀胱がんは、抗がん剤の副作用で膀胱が硬くなり、摘出。胃がんは食道に近く、内視鏡で全摘し、S状結腸ガンも摘出した。体重は65㎏から42㎏にまで減った。身長は163㎝。」

Yさんは、重機の遠隔操作を行う重機オペレーターで、長年この業務の請負をしてきた。2011年3月の福島第一原発事故後、大成建設の第二次下請けマイタックから、同原発構内のがれき撤去の仕事を持ちかけられ、そこの従業員として派遣された。

災害復旧工事は、東京電力が発注し、大成建設、鹿島建設、清水建設の3社共同企業体が元請として受注し、大成建設の第一次下請け山崎建設が工事を請け負った。

作業は、荷台に鉛で覆った重機の操作室を設置した10トントラックを放射線量が高い現場に停め、遠隔操作で重機を動かし、がれきを撤去する。

操作室は、重機オペレーターは3名、各所に設置されたカメラの遠隔操作を行うカメラオペレーターが1名、班長および残り3名は待機という班員8名体制。

Yさんは、この重機オペレーターとして雇用された。

記録に残されたYさんの被ばく線量は、4か月で56.41ミリシーベルト。

Yさんの業務は重機の遠隔操作だったが、ケーブルの敷設などの屋外作業を余儀なくされ、がれきを直接手で運んだこともあったという。さらに、線量計の警報音が鳴っても作業を続行し、線量の高い現場ではAPD(警報付き個人線量計)を外して作業したとも証言した。

東電代理人は、業務については触れず、遠隔操作室の配置、操作室内での服装、作業の前年やがんを発症する前の健康診断の内容などを質問した。

東電代理人の質問と原告の回答は次の通り。

-操作室はトラックに乗せられ、図面では13.2平米とある。黄、青、白に区分されているが、それぞれ何を行うのか?(図面を見せながら)

黄色の部分の3つは、ニブラやハサミなどの操作をする席。真ん中がハサミだった。座る場所は決まっていない。青色の部分はわからない。白色の部分は、カメラの遠隔かもしれない。
休憩時間はなかった。

-操作室での服装は? APDとガラスバッチはどのように身に付けていたのか?

APDとガラスバッチは、ストラップを首からかけ、左右のポケットに入れる。タイベックス(防護服)はフード付きだった。ヘルメットは、操作室内でも着用していた。APDははずしたときもあったが、ガラスバッチははずしていない。

-平成22(2010)年4月の健康診断で、生活習慣を改善したい、と答えている。改善したい内容は何か?

暴飲暴食、タバコ、かな。脂肪がついていたので、やせようとも思っていた。でも、運動不足は気になっていなかった。

-暴飲暴食とは?

食べ過ぎ、不規則な食事時間とか。

-寝る直前に食べることはあったか?

そういうこともあった。

-朝食を抜く、と書いてあるが。

食欲がなかったので。

-就寝時間はどうか?

8時間以上寝ていた。

-喫煙歴は、20~54歳、1日40本とある。

そうだった。

-趣味はパチンコとあるが。

少しだけで、いつもやっていたわけではない。

-平成2~13(1990~2001)年、30~40代のときは、トラック運転手とあるが。

8時間労働で、睡眠時間は8時間だった。

-昼夜生活が逆転することはなかったか?

長距離トラックではなく、ダンプの運転手。当時、道外<証言では県および市町村名>で自営をしていた。

-平成26(2013)年の北海道大学病院の健康診断では、アルコールを控えてみましょう、とある。

肝機能の数値が高かったので、助言を受けた。酒の量は多くない。毎日飲むのではなく、休肝日を作りましょう、というもの。

-先ほど、「膀胱ガンは自分の病気かな、と思った」と言ったが、それは放射能ではない、ということか。なぜそう思ったのか。何か思い当たる原因はあるか?

原因がわかれば、病気にはならなかった。だから、答えられない。

(2020年 10月 12日)

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