「これを持っているということは、うまくできなくて、練習をしたんだろうな、と…」
譲さんの遺書が見つかったカバンには、点滴チューブに接続する三方活栓が1個だけ入っていた。看護師の百合子さんは、「通常なら簡単に覚えられる」ものだという。
釧路赤十字病院の手術室に配属された新人看護師の譲さんは、働きはじめて3ヶ月足らずで、「適応力がない」「ミスが多い」と言われた。
「息子に適応障害などの問題があり、看護師に向いていないというのが本当なら、辛いけれど、私たちも『いいよ、がんばったんだから、ここまで自分の人生短かったけど』とあきらめがつきます。でも、絶対何かがあるんじゃないか、と」
新人看護師を追い詰める過酷な教育システム?
譲さんが室蘭に戻り、自殺したのは、9月の連休中だった。そのため、釧路赤十字病院には、警察から連絡が入ったという。
院長らから参列したいと申し入れがあったが、葬儀は家族だけですませた。
そしてすぐ、両親と妹弟4人で釧路に向かい、病院に迷惑をかけたことを詫び、譲さんの退職の手続きをした。
アパートも片づけた。譲さんのパソコンは自ら水をかけてあり、データは消去されていた。
譲さんの自死の原因を知る唯一の手掛かりは、働いていた釧路赤十字病院の手術室のスタッフからの話だ。
しかし、対応したのは一部の上司看護師のみで、同僚などには誰にも会わせてもらえなかった。「この件で病院のスタッフもみなショックを受け、仕事を休む人もおり、業務が大変なのだ」といったニュアンスのことをやんわり言われたという。
11月には、病院側が「忙しいので来られても困る」と言い出し、文書でのやりとりになった。両親が手紙を送っても、返事は遅れ、1ヶ月近くかかって届いたという。
病院との話し合いの際、関係者からは、「譲さんは適応力がなく、ミスが多かった。そのため、新人4人のうち譲さんだけ、次のカリキュラムへ進めさせなかった」と言われた。
「どんな失敗ですか?」と聞くと、「オルソラップを腕に均一に巻くことができない」「三方活栓の取り扱いも何度注意しても間違える」などのミスを挙げた。
病院に提出されたインシデントに関する報告書は、6月のプロポフォールのものだけだった。「ミスはたくさんあるが、本人が落ち込むのでレポートはプロフォポールの1枚のみ」と数人が聴取書に記載していたという。
「仕事ができなくて、覚えられないのなら、表情に出るでしょう?」と百合子さんが聞いたら、「何も変わった様子はなかった」「ごく普通だった」との返答だった。
新卒看護師には、入職3~4年目の看護師がつき、ワンツーマンで指導するプリセプター制度を多くの病院が採用している。釧路日赤では、指導者をチューターと呼び、同様のシステムで新卒看護師の指導にあたっていた。
社会人経験のある36歳の譲さんのチューターは、ひとまわり下の入職3年目の女性だった。チューターは、自分の業務にも追われ、なおかつ、「教えた通りにできず、理解が悪い」譲さんの指導に悩み、上司に相談していたらしい。
3ヶ月で適性がないとさじを投げられ
譲さんの4月、5月の評価表の「評価・感想」欄には、指導者の「来月も頑張りましょう」「一緒に頑張っていきましょう」「できる限りサポートしていきたい」など前向きなコメントが書かれているという。
しかし、6月以降は、譲さんの書き込みは「責任感が欠如しているのかとも考えた」「相手の気持ちを理解することの能力がかけているのではないかとも考えた」「今月も、麻酔係として成長することができなかった」と自己批判の表現が目立ち、指導者からの励ましのコメントも一切ないそうだ。
譲さんが「安全に装着できるようになった」といった記載に対し、上司たちは、「できてますか?」「わたしはまだできていないと思います」「先輩たちが『できてるね』というのは『とりあえず今は』という意味が含まれます」「可能となったと記載していますが、具体的には、どこをみて、どのように判断し行うようにしていますか?」と厳しい評価が並ぶ。
評価記載欄以外にも、「どうして?」「なんで?」「どういう風に?」「なぜ?」という詰問が埋め尽くすほど数多く記されているという。
「詰所で、仕事ができない村上さんについて、複数の看護師が話をしていた。村上さんが廊下でばつが悪そうにしていたので、聞こえていたと思う」「村山さんが挨拶をしても上司は無視した態度をとり、周りのスタッフも、村山さんに関わるのが恐怖になり、疎外し、無視するようになっていました」といった証言もあり、譲さんは「人間関係からの切り離し」というハラスメントを受けていたとみられる。
こうした職場の雰囲気に加え、長時間労働と持ち帰り残業によっても精神的に追い込まれたようだ。釧路日赤の職場にタイムカードはなく、時間外労働は5ヶ月半で「1時間」のみとなっているが、看護師の慣例として、指導などは時間外に行われ、「自己学習をしている」と親に話しているため、時間外労働が1時間であるとは考え難い。
譲さんは、看護師になって3ヶ月も経たない時期に、「適性に欠ける」と判断され、次のカリキュラムへ進ませてもらえなかった。
釧路日赤では、4~6月に新人看護師のオリエンテーションが1週間ほどあり、他部署で研修も受けることになっているという。休日もあるため、手術室で働いたのは実質2ヶ月強ぐらいだったのではないか。その短い期間で、「できない」と刻印を押されたのだ。
両親は、看護予備校と北見市の看護大の教員にも、譲さんに何らかの精神障害などが見受けられたか、尋ねて回った。いずれの学校も、「問題があれば卒業できないし、看護師の資格も取れなかったでしょう」という返事だった。
父親で大工の豊作さんは、「見習いで入った人間が一人前になるには、何年もかかる。奨学金を払って入れたのだから、根気よく育てるのが当然だろう」と言う。
新卒を育てるフォローのしかたに問題があったのではないか。百合子さんは自らの看護師の経験を踏まえ、「指導者とうまくいっていないとわかったら、変えるべき」と言う。
新人看護師が悩んでいないか、落ち込んでいないか心を配り、相談にのることも必要だ。現在の部署に適していなければ、配置換えを考えることもできたのではないか。
「新人看護師がたくさんミスをしているのに、『何も変わった様子がなかった』なんて、ありえない。何にもない子が、自死しますか?」
北海道では同じ時期に、3人の新人看護師が自死している。看護師不足といわれる現在、命を扱う医療現場で、新人の過酷な教育実態を指摘する声も多い。
譲さんは、9月13日に振り込まれた最後の給料を引きだしていなかった。
遺書には、「『お前はオペ室のお荷物だな』と言われて、確信しました。成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません」と書かれていた。
次の仕事に進めないのなら、夜勤も遠のく。看護師の基本給は高くなく、夜勤がつかないと、奨学金の返済も厳しくなる。
「奨学金の返済や将来の生活を憂い、追い詰められのでしょう。他の病院で働くという選択肢もあったのに…。私たちとしてはやはり、『命を落とすほどの何をしたのか、“お荷物だ”と言われた内容は何なのか』を知りたいんです」
(2019年 10月 26日)