『週刊金曜日』2017年3月24日号に掲載された記事です。
「学ぶことで人は変われる」時代背景に戦争や貧困の影
5年の歳月をかけたドキュメンタリー映画『まなぶ』の監督・太田直子さん。
義務教育を受けられなかった高齢者らの姿を通し、学ぶ場の大切さを問う。
「それまでは義務教育を受けるのは当たり前だと思っていました。撮影中に自分自身が驚き、学んだ”答え”がこの作品です」
太田直子さんは2009年から5年間、東京都千代田区神田一橋中学校通信教育課程で学ぶ高齢者の姿を追った。そして完成したのが、ドキュメンタリー映画『まなぶ 通信制中学60年の空白を越えて』。3月から上映がはじまる。
ここに登場するのは、戦争の混乱や貧困などで義務教育の機会を奪われた高齢者たち。就職し、家庭を築き、人生を重ねながらも、学校へ行けなかった欠落感が、彼らの生活に影を落としつづける。
たとえば、12歳で奉公に出され、職人として働いた70代の男性は、ひとりでやる仕事は得意でも、人との打ち合わせができなかった。
「どう話しかけたらいいのかわからず、ぶつかっちゃうんですよね」
最初は硬い表情で取材拒否オーラを出していた人も、月2回、日曜日の授業に通ううちに、心に余裕が生まれ、柔和になっていった。
「人前で話せるようになった、とみんな言うんですよ。いくつになっても、『学ぶことで人は変われる』と教えてもらいました」
前作『月あかりの下で ある定時制高校の記憶』では、若い生徒たちが成長していく姿を撮影した。今回、まさか高齢者が変わるとは想像していなかったという。
「定時制の生徒と通信制の高齢者は、授業に対する熱心さに違いはあっても、傷ついた子ども時代を送ってきた点が共通しています」
計算に頭を抱えたり、休み時間に屈託なく笑ったり、学び場で青春を取り戻す喜びが描かれる一方で、「負の部分も知ってほしい」と太田さん。学校に行けなかった大きな理由は戦争。作品ではその歴史的事実もしっかり伝えている。
「戦争について代弁してほしかったんです。変な言い方ですが、普通の人でも主人公になれる。あの世代の人は誰もが戦争の傷跡を背負っている、ということを…」
もともと戦争に関心があった。社会派に目覚めたのは、中学3年のとき。映画『死刑台のメロディ』を解説するドキュメンタリー番組を観て、「社会の不条理」に憤った。
ドキュメンタリーの初仕事は、高岩仁監督の『教えられなかった戦争・侵略マレー半島』の助手。
「東南アジアの旅先で高岩さんと偶然お会いしたんです。それが縁で、1991年夏の約1か月、マレーシアの撮影に参加しました」
戦争の混乱期、義務教育を受けられなかった人のために、公立中学校の通信制過程はつくられた。いま残っているのは全国に2校のみ。しかし、学校に行けない人がいなくなったわけではない。
「国勢調査で、15~19歳の小学校の未就学者が増えていて、とても気になります。約6000人と少ないので、見過ごされていますが」
貧困家庭が増えている現実を学校も意識し、義務教育にもう少し手をかけるべきだと考える。
「18歳選挙権になったじゃないですか。15歳までに主権者になるための基本的な学力を子どもたちに定着させてほしい。義務教育拡充の教材として、この映画を活用してもらえたら、と思います」
1964年、東京生まれ。高校の非常勤講師、出版関連会社勤務などを経て、映像ディレクターに。前作「月あかりの下で」(2010)は文化庁映画賞ほか受賞。「まなぶ」は3月25日から 新宿 K’s cinemaで上映。