『THE CARD』1998年10月号に掲載された記事です。
スウィンギング・ロンドンといわれた60年代。マリー・クワントのミニスカートが一世を風靡し、イギリスのファッションはセンセーションを巻き起こした。その後、パンクなどのストリートファッションが話題になったものの、しばらくロンドン・ファッションはなりを潜めていた。
90年代に入り、イギリス人デザイナーたちは、モード界の中心人物としてトップの座に踊り出る。ディオールのジャン・ガリアーノ、ジバンシィのアレキサンダー・マックィーン、クロエのステラ・マッカートニー。ファッションの都パリのメゾンでは、イギリス勢の活躍がいちじるしい。
こうしたデザイナーの多くを輩出しているのが、ロンドンのファッションスクール、セント・マーティンズである。
ロンドンの中心地、劇場や映画館、パブやカフェが集中し若者でにぎわう繁華街ソーホーに、このアートスクールはある。華々しいイメージに反し、校舎は灰色の地味な建物で、それと気づかずに通りすぎてしまいそうなほど、目立たない。構内は古くて薄暗く、普通の学校という印象を受ける。ほんとうにここから有名なデザイナーが誕生するのか、と疑いたくなる雰囲気だ。
しかし、この学校の歴史は、ここ数年にはじまったことではない。アートスクールだったセント・マーティンズにファッション部門が加わったのは、50年代のこと。60年代にはファッションスクールとしての評判が定着した。ブル・ジブやキャサリン・ハムネット、ブルース・オールドフィールド、キース・ヴァーティ、リファット・オズベックなどがここで学び、活躍する。
ファッション科は、3年間の大学コースと、さらに1年間の修士コースで構成されている。1年目でファッションの基礎を学び、2年目にカッティング、3年目にマーケティングについて勉強。最後の1年は、自分のコレクション作りに費やされる。
ファッションについて学ぶといっても、縫い方うんぬんが重視されるわけではない。ここでは、それぞれの個性を発展させる教育方針がとられている。60年代に自らこのスクールで学び、現在は教師として指導しているコース・ディレクターのウィルティ・ウォルターズさんは、こう説明する。
「授業はリサーチが中心です。自分のアイデアをとことん突きつめ、新しいアイデアを発展させていきます。たとえば、50の襟を描き、何が自分のイメージする襟なのかを探るといったように」
生徒たちに一つの課題を提示する。“白はあなたにとって何か?” ある人は「清潔」をイメージし、そこから医療ウェアを作ろうと考える。ここからリサーチに入り、実際に病院へ行って調査する。また、ある人は「雪」と答え、ロマンチックな白雪姫を選び、別の人は「白鳥」を想像し、バレエを見て研究する。
「我々は、アイデアのポイントを選び、進むべき方向へと導く手助けをするだけ。“創り出す”のは、生徒自身なのです」
ここのもっとも特徴的な指導方法といえるのが、生徒同士で批評をしあうこと。
「それぞれのアイデア、できあがった洋服は、ほかの生徒の前で発表して、徹底的に批評をしあいます。世界各国から集まった、バックグラウンドの違う生徒たちが、それぞれ自分の意見をぶつけることで、お互いに成長していくのです。これは、先生から学ぶことより、大きなものだと思いますよ」
アレキサンダー・マックィーンのように、セント・マーティンズ卒業のデザイナーは、そのカッティングを注目されることが多い。洋服作りに大きく影響するカッティングを、ここでは徹底的に学ぶそうだ。さらに、ファッションをビジネスとして考え、マーケティングも必須になっている。
「70~80年代にも、パリ、ミラノ、ニューヨークのメゾンで働いていたイギリス人デザイナーはいたのですが、有名になることはありませんでした。今、イギリスにもトップデザイナーとなる人材がいることが気づかれ、彼らに活躍の場が与えられたのです。大きなメゾンは、セント・マーティンズで学ぶ新しいクリエーターを探しにやってくるほどです。学校の評判は、生徒たち自らが作り出したもの。この若い才能は、次の世代のファッションを担っていくことでしょうね」