『専門店』 2009年4月号に掲載された記事です。
アジア一の国際リゾートをめざし、観光ビジネスに取り組むニセコ地区
ここ数年、オーストラリアからのスキー客でにぎわい、コンドミニアム建設ラッシュだった北海道ニセコ地区。しかし、昨年秋の金融危機により、その過剰ともいえるブームにブレーキがかかった。それでも、スキー場はあいかわらず外国人にあふれており、ニセコ人気は落ちていない。地元では、この経済危機をチャンスととらえ、安定した地位確立をめざしている。シーズンのニセコ地区を歩き、現状を取材した。
9.11がきっかけでオーストラリア人が急増
1月某日、札幌発倶知安行きの一両編成のローカル線で、ニュージーランドからやってきた九人の若者と乗り合わせた。プロのスキーボーダーである彼らは、五週間の予定で滞在するという。「円高の影響? クレジット払いだから、さほど関係ないかな。それよりも、有名なニセコのパウダースノーが楽しみ」とひとりが興奮気味で述べた。
コンドミニアムが立ち並び、“オーストラリア村”とも称されているのは、倶知安町からバスで20分ほどの山田地区、ヒラフ・スキー場周辺だ。
ここに着いたとき、まず、外国人の多さに驚く。しかも、そのほとんどがオーストラリア人だ。昨年秋の金融危機で豪ドルが下落し、今年度はオーストラリア人スキー客が減少しているそうだが、それでも、行き交う人は圧倒的に日本人以外。すれ違うアジア人も、シンガポールや香港などからの観光客が多い。
モダンなスタイルのコンドミニアムや英語表記のパブやレストランが並び、この一帯は「日本」であること忘れてしまいそうな異空間といえる。
オーストラリア人のスキーブームは、2001年の9.11事件がきっかけだった。オーストラリア人はこれまでヨーロッパ、アメリカ、カナダでスキーをしていたが、爆破事件を案じてキャンセルが続出。そこで、ニセコの旅行会社が、ツアーを組んで売り込んだ。
ニセコ地区にはオーストラリア人経営のスキー旅行代理店が90年代から2社存在し、毎年10名ほどのオーストラリア人が訪れてはいた。プロモーションの結果、2002年1月には、200人ほどのオーストラリア人がニセコ地区にやって来たという。
それを機に、ツアー会社は営業に力を入れはじめ、また、自国に戻ったスキー客が口コミで「ニセコの魅力」を知人に広げていった。今回話を聞いたオーストラリア人のなかにも、「友人から聞いて知った」と何人かが答えた。その後、オーストラリア人観光客は年々増加していったのだ。
世界金融危機のおかげで過剰な投資に歯止め
ニセコ地区にヨーロッパやカナダのようなコンドミニアムが登場したのは2003年。その後、2006年に41棟、2007年で74棟と急増した。コンドミニアム第1号を建て、不動産ブームをつくった北海道トラックスは現在、50棟200ユニットを管理・運営している。
倶知安町役場の資料によると、外国資本によるスキー場周辺の家屋取得状況は、2006年に102だったのが、2008年には3倍の34軒に増加している。
オーストラリアは、中国経済の成長にともない、資源の輸出が好調で、好景気が続いている。オーストラリア人にはじまり、その後は香港などの投資家も参入し、この地区は外資による開発が急速に進んでいた。
乱開発を憂慮する声が上がるなか、今回の金融危機がおきた。そのため、地元では、「ニセコの投資バブル崩壊」を肯定的にとらえる見方が強い。経済的ブレーキが過熱気味の投資に歯止めをかけた、というのだ。
世界有数のスキー場ゆえ、外国人客は必ず戻ってくる
北海道には、「ニセコがオーストラリア人に占領される」と否定的な見方をする人もいるが、実際に町を歩き、オーストラリア人と話をしてみて、そうした不快感はさほど抱かなかった。地元もこのブームを歓迎しているようだ。
その理由のひとつは、この地区に進出したオーストラリア事業者は、自らスキーもしくはスキーボードの愛好家で、ニセコ地区への愛着が強いからといえる。
ニセコ地区にオーストラリア人が詰め掛けはじめたのは2000年に入ってからだが、ここの雪質の良さは、外国人のスキー愛好家の間で以前から評判だったという。「ニセコは世界で一、二を誇るスキー場」と高く評価されている。
観光客もリピーターが多いのが特徴で、「来年もニセコ」と決めているオーストラリア人に数人会った。最近では、シンガポールや香港といったアジア、そして、ヨーロッパからのスキー客も増加の傾向にあるという。
景気の変動で一時的に旅行客が減少するとしても、ニセコの価値が変わらない限り、ここは常時スキー客でにぎわうことだろう。
さらなる充実が望まれる、外国人の受け入れ体制
自治体も地元も認めているとおり、ニセコ・ブームは「こちら側がオーストラリアに売り込んだわけではなく、“自然に”はじまった」のである。
2003年から、オーストラリア観光客が急増したのだが、その当時、自治体も地元も理由はわからなかったという。
2005年の時点になってはじめて、これが一時的な現象ではないと気づき、外国人観光客向けの対応に力を入れはじめたそうだ。
それ以降、HPによる情報発信、英語表記やバスの英語アナウンス、光ファイバーの導入などを急ピッチに進めた。
こうした状況ゆえ、対応が後手に回っているのは否めず、インフラ整備はまだ十分とはいえない。ヒラフ・スキー場までのメインストリートの坂道は、車道と歩道がはっきり区別しないため、安全性に問題がある。ロードヒーティング化に着手するそうだが、早期の補修を望む声も耳にした。
また、建物の高さや色の制限規制を導入したのは昨年のこと。それ以前に、すでに多くの建造物ができあがり、苦情やトラブルも発生していたという。
ソフト面でいえば、言語の壁。今冬から、倶知安町の役場や病院、交番などでスカイプによる通訳システムを導入しはじめたが、その背景には、英語を使いこなす人材の不足がある。役場や病院で英語を流暢に話すのは一人程度だという。
官民による英会話教室など、英語教育にも力を入れているが、スキー場で働く英語が堪能な人のほとんどが道外出身者で、地元に根ざしているとはいいがたい。
倶知安町の人口は1万6千人で、外国人登録は422人(2009年1月現在)。
最近では、山田地区で働く外国人が、市街地のアパートを借りるケースも増加している。地元の学校に通う外国人も増えつつあり、共に暮らす体制作りを本格的に取り組み必要がありそうだ。