北海道へ「美心旅行」

『VoCE』2003年10月号に掲載された記事です。

今、最高の贅沢は、大自然に包まれて心と体を解放すること。
そんな望みをかなえてくれるのが北海道。
何も用意する必要はない。カラダひとつ、そこに存在するだけでいい。
凛と澄みきった空気、清流のせせらぎ、時を越えてそびえる山々。
さあ、五感が喜ぶ北海道の旅へ

大地の恵み

ラディッシュ、なす、スナックえんどう、ズッキーニ、カリフラワー、ほうれんそう。フレンチ料理のシェフ菅家さんは、顔をほころばせ、自らが栽培する野菜たちを紹介してくれた。土いじりをする姿は、とても楽しそうだ。野菜作りは、地元農家から学んだ。生ゴミの堆肥を栄養に、すくすく育った野菜は、旨みがギュッと凝縮している。

羊蹄山の麓は、道内でも有数の農耕地だ。南に広がる真狩村は、肥沃な土地に恵まれ、農業の町として知られている。生産されるのは、特に、じゃがいも、アスパラガス、クレソン、百合根などの野菜が中心だ。

この村に、オーベルジュ・マッカリーナがオープンしたのは平成6年のこと。失礼ながら、「こんなところに?」と疑ってしまうような、人里離れた場所にポツンと建っている。しかし、このレストランは、道内外の食通の間では、知らない人がいないほど評判だ。

この店のこだわりは、何といっても厳選された食材にある。魚介類は函館や余市で仕入れ、羊肉は隣り町で数頭のみ飼育されているサウスダウンを予約。冬場は、全国各地から、選りすぐった野菜を取り寄せる。

夏のBGMはカッコウの鳥の鳴き声。ときにはキタキツネやエゾリスたちが姿を現し、心躍るハプニングがあるのも、このレストランならでは。

お腹がいっぱいになったら、ニセコ周辺を散策してみよう。そこには、雄大な風景が果てしなく広がっている。大きく深呼吸すれば、大地の偉大なるエネルギーを吸収できるはずだ。

 

水の恵み

蝦夷富士と呼ばれる壮麗な羊蹄山。その麓には、数多くの水の名所が存在している。羊蹄山の山腹には渓流がひとつもない。浸水性が高く、雨や雪は山地に吸い込まれるためだ。地下水は、長い時間をかけて浄化され、熟成していく。そして、極上の名水に変わり、湧き水となって現れる。なかでも有名なのが、京極の水。昭和60年に環境庁の「名水百選」に選ばれ、全国的に知られるようになった。湧き出し口は、「ふきだし公園」として整備され、地元の人だけでなく、各地から来た人でにぎわっている。

「噴き出す」の表現がピッタリくるほどの勢い。京極の水はしぶきを上げて流れ出ている。水辺にたたずんでいるだけで、マイナスイオンに包まれ、癒されていく気がするから不思議だ。

清く澄んだ京極の水は、適度にミネラル分を含んだ軟水で、氷や割り水として最適なのだそう。この水でいれたコーヒーやお茶は格別だ。

また、真狩村に湧き出している羊蹄山の湧き水も、良質の名水として知られている。京極の水より軽い口当たりで、ここの水のほうがおいしいという人もいるほど。この湧き水を利用して豆腐作りをしているのが、湧水の里だ。

清らかな水と新鮮な空気。豆腐作りに必要な条件がここにはある。北海道の大豆は、糖度が高く、たんぱく質が少なめで、機械による豆腐作りには向かない。そこで、石臼で大豆を粉砕し、五右衛門釜で炊くという、昔ながらの手法にこだわっている。

雄大な懐で育まれた味の数々。水の恩恵への感謝を、忘れてはいけない。

京極のふきだし湧水

半世紀かけて深い地下水脈を流れる、甘くまろやかな北海道を代表する水

ふきだし公園内に、湧水口がある。ここの水量は一日約8万トンと、国内的にも最大級のスケール。水温は年間を通じて6.5度前後で、夏は冷たく、冬は温か。味は柔らかく、ほんのり甘い。年間100万人以上の人が、羊蹄山麓の水を汲みに来るという。売店で容器を購入し、持ちかえることも可能。名水プラザでは、名水を使ったコーヒーなどを販売している。

 

海の恵み

日本海、太平洋、オホーツクと海に囲まれた北海道。四方の海岸線はそれぞれ独特の風土を持ち、荒削りな自然をそのまま残している。国定公園に指定されている、積丹半島から小樽に続くルートも魅惑的だ。ユニークな形に浸食した岩が続き、まるで風景絵を見ているかのよう。太陽の光や風で微妙に変化し、絶えず感動を与えてくれる。

観光地として名高い小樽は、ロマンティックな街というだけでなく、漁場としての顔も持っている。中心地から少し外れると、風情のある港町がひっそりと存在しているのだ。小樽はその昔、ニシンの漁場として隆盛を極めていた。そのひとつだった祝津には、当時の面影が残る豪奢なニシン御殿が保存されている。贅を競い建てられた邸宅からは、その頃の豪奢な生活をうかがえる。

忍路もまた、ニシン湾として栄えていた。小さな漁場だが、明治6年頃には、4000人程の住民がいたそうだ。小樽ゆかりの詩人・伊藤整は、「若き詩人の肖像」の中で、忍路について「淋しいところながらも、妙な魅力のあるところ」と語っている。

ハンマーヘッドは、湾を臨む最高の位置にある。もともとボート小屋だった建物で、内装はコツコツと手作りしたのだという。広々としたテラスは、夕陽を眺めるための特等席だ。

絶景をひとりじめするのは、もったいない。大切な人と再び訪れたい。忍路は、そんな思いを掻き立ててくれる。

忍路湾(おしょろ)

ロマン漂う漁港の町

赤い屋根の建物は、明治41年に設立された北大の臨海実験所。また、フルーツ街道へ向かう道は、のどかな田園風景に続いている。約3,500年前の縄文時代の後期に造られた、国指定史跡の忍路環状列石「サークルストーン」などの史跡もある。

 

花の恵み

雪解けを待ってましたとばかりに、札幌の花は開花する。梅、桜、チューリップ、パンジー、ライラック……。それに合わせ、花にまつわる祭りも開催される。厳しい冬の生活を強いられるからか、北海道人の花への思い入れは、人一倍強いようだ。

札幌は、本当に花が似合う。その理由は、この街のはじまりと関係があるのかもしれない。北大付属植物園は、東京の小石川植物園に次ぐ歴史を持つ。日本初の公園が整備されたのも、札幌だという。大通公園の花壇が造られたのは、大正5年のこと。ここ数年だけでも、百合が原公園、国営滝野すずらん丘陵公園など、花をテーマにした公園が次々と造られている。

ちざきバラ園は、400種のバラを観賞できる公園だ。開花時期は、6月下旬~8月上旬と、9月上旬~10月下旬の2回。また、市内有数の梅の名所で、5月上旬には見頃となる。

色鮮やかな花は、人々の心を豊かにしてくれる。花への愛情は、後世に受け継がれてゆく。それを感じさせてくれるのが、カフェレストラン・櫻月(サクラムーン)。この建物は、50年ほど前に、女教授の館として建てられた。草花を愛した彼女は、庭に桜や楓の木を植え、大切に育てたという。この桜に魅せられてしまったイラストレーターの鯨森惣七さんは、ここを改装し、素敵なカフェへと変身させた。桜に合わせて、空間が丁寧に作られていく。その優しさが伝わってくる。

花を愛する人々が集うところは、いつも温かい空気に包まれている。

 

街の恵み

札幌といえば、時計台や赤レンガ造りの道庁旧本庁舎などの歴史建造物を思い浮かべるかもしれない。明治初期、未開の地であった札幌には、実験的な洋風建築が次々と建てられた。そして、札幌スタイルという独自の様式を確立していくことになる。重要文化財として保存されている立派な建物以外にも、昔の札幌の雰囲気を伝える建築がかなり残り、その数は90軒以上といわれている。最近では、それらの建物を再利用しようとする動きが活発だ。

16年前にオープンしたキャプテン・ベーリングは、その先駆者的存在。この店のある一帯は、かつて日本有数のタマネギの産地だったところ。札幌駅北口から丘珠空港へ斜めに延びるタマネギ街道には、石造り倉庫がたくさん建てられた。今でも数棟が残り、カフェやFM局などとなり、現役で活躍中。

藻岩山ロープーウェイ入口近くにある旧小熊邸は、市民の署名活動によって、存続が実現した建物だ。昭和2年に建てられた、北大教授・小熊博士のこの邸宅は、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトの弟子・田上義也が設計した。文化人や芸術家が交友を深めたサロンは、コーヒーが自慢の喫茶店となり、その役目を継承している。

古い建物は、目新しさをプラスしてこそ、現代によみがえる。スープカレーの一灯庵は、茶室を上手に活用した。スープカレーは、いまや札幌人にとって常識のメニューだ。70年代に登場して以来、着実にファンを増やしている。

ストーリーのある建物で、次なる物語をつむぐ。それが札幌なのだ。

*お店などの情報は2003年10月当時のものです。

 

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