『日刊ベリタ』2007年7月8日に掲載された記事です。
映画監督ホーリーさんインタビュー
パレスチナ出身の女性ドキュメンタリー映画監督ブサイナ・ホーリーさんが来日し、6月25日の札幌を皮切りに、初作品「Women in Struggle ―視線―」の上映&トークツアーで日本を縦断した。イスラエルの刑務所に拘留された経験を持つ、元政治犯の4人の女性たちを描いた作品は、女性たちが釈放後も社会復帰ができず、果てしなく苦しみ続ける姿を浮き彫りにする。パレスチナ女性は、占領だけでなく、伝統や宗教、慣習とも闘わなければならないというホーリー監督に、パレスチナ女性の抱える問題について語ってもらった。
まずパレスチナ人に見てほしい
この映画はまず、パレスチナ人に見てもらおうと製作しました。女性が投獄されている事実は知っていても、どれほどひどい拷問を受けるのかは明らかになっていません。それだけでなく、刑務所での経験が、彼女たちのその後の人生に多大な影響を与えているという現実も知られていません。
想像することと、実際に人から話を聞くことは全く違います。本人が自分の言葉で語り、それを耳にすることによって、実体験できるというか、刑務所で過ごした女性と、普通の生活を送っている女性をお互いに近づけたかったのです。
刑務所での経験は耐え難いものですが、それがすべてではなく、社会に戻ってからの女性たちの苦しみもすさまじいのです。社会復帰は困難を極め、彼女たちを支援する制度や施設も存在しません。
パレスチナ社会では、文化、伝統、宗教、政治的および社会的制限などがひとまとまりとなって、女性の障害として襲いかかります。とにかく制約が多く、女性の行動は限定されがちです。これらはアラブの伝統やイスラム教と密接な関係があり、特に、アラブの伝統が女性の自由を制限しているといえます。
女性を縛る制約のひとつが、母・妻・姉妹といった役割の押しつけです。それとは違う生き方をするパレスチナ女性は、世間になかなか認められません。これはパレスチナ女性に限ったことではなく、すべてのアラブ諸国の女性にいえることですが、現在はパレスチナでより顕著に現れています。というのも、パレスチナは原理主義的思想が強まっているからです。
70年代にはスカーフをする女性をめったに見かけなかったのですが、このところ増加しています。スカーフどころか、目以外全身を覆っている女性さえいます。以前はこのような格好をした女性はいませんでした。
制約の多い女性団体の活動
もちろん、パレスチナにもかなりの数の女性団体が存在し、女性の権利を守るための活動をしています。
ただ、これらの団体は容認されてはいますが、ボーダーラインを超えない安全圏内で慎重に運動しています。あまりにもオープンに動くと、非難されるからです。
彼女たちが恐れているのは、政府というより、世間の目です。社会から受け入れられなければ、効果的な活動ができません。最も脅威なのは、普通に暮らす女性たちから拒否されることです。
主張はさまざまですが、なかには、「女性は働かなければならない」「女性は男性と同じ権利を持たなければならない」「すべてを自分でしなければならない」というフェミニストもいます。私としては、これは現実と矛盾している気がします。
なにもかもヨーロッパや国際社会の基準に合わせようとする人もいます。パレスチナの女性は非常に活発でパワフルですが、伝統や文化、宗教も維持していかなければなりません。アメリカナイズされたり、ヨーロッパナイズされることは求めていないのです。
西欧の女性に追随するのではなく、自国の伝統、文化、社会とバランスをとりながら、女性の権利を手に入れていく。難しい目標ではありますが、不可能ではないでしょう。
パレスチナの経済が発展すれば、教育システムが向上し、女性たちの社会進出も進み、伝統や文化と、女性の権利の両立が可能になるのではないかと思います。
西欧の女性の多くは、自分たちが良い模範だとは考えていないのではないでしょうか。彼女たちでさえ、守られるべき権利が侵害されています。たとえば、DV(ドメスティック・バイオレンス)は、米国にも欧州にも、世界中に存在します。
パレスチナも例外ではないのですが、誰もそれについて話そうとしません。とてもプライベートな問題で、隠しがたがります。それでも、ここ数年で支援団体が設立され、昔よりはよくなってきましたが。
次作のテーマは「名誉殺人」
占領された現在の状況では、女性を守る法どころか、パレスチナの法律の制定もできないのです。パレスチナでは、イスラエルかエジプトの法を適用しているのですが、そこにはDVといった犯罪に対する罰則はありません。
法律のないパレスチナでは、男性が集まって重要な事柄を決定していきます。人々は古いしきたり、男性が作り出した掟に従うしかありません。たくさんの間違いや失敗が生じていても、それが検証されることはないのです。若い世代は、ただ慣例に従うだけです。
男たちの独断によって引き起こされる悲劇のひとつが、パレスチナの名誉殺人 (結婚前に男性と関係を持った罪で、女性が家族に殺害されること)です。
現在製作中の新作は、まさにこの名誉殺人を題材にしています。この行為が殺人であり、犯罪であると訴えたいのです。
原理主義の高まりにより、こうした事件は以前より増加しています。貧しさ、教育の欠如、不安定な生活といった負の要素が重なると、社会は男性支配が強まり、弱者が抑圧されます。弱い立場にある女性はターゲットになりやすく、抑圧の連鎖として、このような事件は増えるのです。
名誉殺人はイスラム教だけに見られるのではなく、キリスト教にも存在していました。宗教以前の伝統で、パレスチナではそれがいまでも続いています。
私は次作で、「社会のプレッシャーは犠牲者を生み出す」ということを伝えたいのです。名誉殺人は、手を加える男性も殺害される女性も、どちらも社会の抑圧による犠牲者です。
人は誰でも家族やコミュニティー、グループに所属していたいと考えています。それは人間の抱く自然な感情です。そして、社会の一員として認められたいがために、人は暴力や殺人さえも犯してしまうことがあるのです。
このテーマを扱った映画は世に出ていないので、議論を巻き起こすきっかけになればいいと期待しています。さらに、法律の制定に一歩近づくことを願っています。いまこそ、女性の地位を向上させる、パレスチナの独自の法を作るべきときだからです。
ボストンで映画製作の学士号、写真の修士号を修得。欧州のテレビ番組向けに、パレスチナ女性としてはじめて中東をテーマにした作品を多数制作。2000年にMajd制作会社を設立し、パレスチナの視点からドキュメンタリー映画を撮りつづける。
「Women in Struggle」は、自らが製作・監督・撮影を担当した初の長編ドキュメンタリー映画。
日本もパレスチナ問題の解決に国際的責任を『日刊ベリタ』12月1日