オランダ人写真家が撮ったインドネシア人の元「慰安婦」

フランスの雑誌『XXI』のサイトに掲載されていた記事(2012年5月29日)の抄訳です。


第二次世界大戦中、10万から20万のアジアの女性が、日本占領軍の性奴隷にさせられた。80代になった今、何人かが初めて写真撮影に応じてくれた。ヤン・バニングが撮った彼女たちのポートレートが、フランスのセットで開催中の写真フェスティバル(festival Images Singulières)で6月3日まで展示されている。

https://www.janbanning.com/gallery/comfort-women-2/

インドネシアのエンプラワスで、彼らはサバイバーを見つけることができると期待していた。太平洋の真ん中にあるインドネシアの島に面した小さな集落にたどりつくまでに、オランダ人カメラマンのヤン・バニングとジャーナリストのヒルダ・ヤンセンは2機の飛行機をチャーターし、酔った船長が操縦するモーターボートに乗って突き進むまでに、ボートを8日間も待った。世界の果てのそこには、人から聞いていたように、数十年も前から「慰安婦」が身を隠して生活していた。

1930年代から第二次世界大戦の終戦まで、中国、朝鮮、フィリピン、ヴェトナム、インドネシアで、10万から20万の若い女性が日本占領軍の性奴隷にさせられた。暴力的に誘拐されたり、仕事があるとだまされ、彼女たちは、軍隊が部分的もしくは直接運営する隔離された施設「慰安所」に閉じ込められた。数か月、ときには数年にわたって毎日、彼女たちはそこで数10人の兵士たちが次々に現れるのを見た。参謀部の目的としては、一般市民へのレイプ、反日感情の盛り上がり、性病の感染を防ぐことにあった。

エンプラワスで、オランダ人たちは最初何も見つけることができなかった。南西アジアのどこでも同じように、「日本人に関わったこと」を隠している。村長が妨げる。辛抱の末、ヤン・バニングとヒルダ・ヤンセンは住民に受け入れられ、80歳を超える2人の女性にやっと会うことができた。「私たちが外国人であり、死ぬ前に話すという緊急性に直面していたので、彼女たちは打ち明けてくれたのだと思います」とカメラマンは言う。

アントネッタとドミンガスという2人の女性は、1944年に起きた村人の虐殺、「戦利品」として日本軍に連行された集落の12人の娘たちのかたわらで生き延びたこと、平和が戻った後の数回の流産……。彼女たちは最後の生存者である。

2年間で、ヤン・バニングとヒルダ・ヤンセンはインドネシア中を回って未公開の50もの証言を集めることができた。家族や夫が真実を知らないこともしばしばあった。2010年、彼らは、18人の写真と話をまとめた「慰安婦」を出版した。この本は、長い間タブーだったスキャンダルを露わにしている。

1991年に初めて、ひとりの韓国人が日本政府に被害を訴えた。そして、日本兵の証言が増えていった。彼らは、軍がどのように慰安所に入るために避妊具とチケットを供給したかを語った。いくつかの公文書が再浮上した。日本は「慰安所」の存在と若い女性を強制的に集めたことを認めた。

日本政府は調査をはじめた。その1年後、官房長官の談話(河野談話)で口先だけの謝罪を述べた。直接被害者に補償することなく、民間寄付を資金とするアジア基金という基金の創設に同意した。インドネシアでは特に、「慰安婦」たちは一銭も受け取らなかった。そのお金は、「女性と家族の名誉を守る」ための高齢者施設の建設資金に使われた。

14年後、売春婦組織の本質が、日本ではまだ論争になっている。2007年に安倍首相は、被害者を強制的に連行したことを証明する「証拠」の存在を否定した。彼は発言を撤回する騒動になったが、日本の多くの学者が彼の立場に賛成し、一方では、被害者は2万人に過ぎないと見積もる人たちがいる。

カメラマンのヤン・バニングにとって、「慰安婦」問題は家族の問題でもある。彼の両親は、オランダの植民地インドネシアに定住し、日本の国際捕虜キャンプに入れられていた。2005年、カメラマンはすでに、ビルマとスマトラの鉄道建設工事の現場の男性生存者のポートレートのシリーズを発表している。この本で最初に証言しているアジア女性は、父が若いころの恋人である。

ドミンガス:1928年、インドネシア・ババル島のエンプラワス村生まれ。1944年10月、日本軍が村を襲撃。虐殺の生存者であるドミンガスは、軍隊に連行され、16歳で強制的に「慰安婦」にさせられる。戦後、出産したが乳児で亡くし、二度と母親にはなれなかった。

アントネッタ:1929年、インドネシア・ババル島のエンプラワス村生まれ。ドミンガスとともに、エンプラワス虐殺で生き残った12人の若い女性たちのひとりで、強制的に「慰安婦」にさせられる。日本帝国軍に村人800人が虐殺された。

パイニ:1930年、インドネシア・ジャワ島のゲタサン生まれ。13歳のとき、日本軍に動員され、昼間は兵士の宿舎の世話をし、夜はレイプされた。

ワイナム:1925年、インドネシア・ジャワ島のMojogedang生まれ。自宅で日本兵に連行され、戦時中、「慰安婦」を強いられた。

(2014年6月22日)

 

紛争時の性暴力撲滅に逆行する日本の「慰安婦」問題
旧陸軍兵士に監禁されたフランス人女性2人が性暴力が明らかに。日本は「慰安婦」を否定しているが、世界的には紛争時の性暴力の撲滅を目指す国際的な動きが活発化している。『The Japan Times』2015年3月5日に掲載された記事の邦訳。

「慰安婦」問題に関する記事一覧

植民地問題に関する記事一覧

「慰安婦」は世界の性暴力被害者救済の原点『日刊ベリタ』2008年6月28日
「少女像」作家が来日講演――日韓合意の「撤去」批判 金曜アンテナ『週刊金曜日』2015年3月4日号

 

朝鮮人徴用工問題の記事一覧

 

タイトルとURLをコピーしました