『The Japan Times』2015年3月5日に掲載された記事の邦訳です。
この時代、次のようなケースが戦争犯罪であり、こうした行為が深刻な国際人権法違反であることを否定する人はいないだろう。
侵略軍の兵士であるX大尉は、戦場で出くわした2人の若い姉妹のうち、姉をレイプし、下着と洋服、小銭を彼女らから奪い取る。
そして、この若い女性たちを自分の部下が寝起きする宿舎に7週間監禁し、部下による女性たちへのレイプを組織し、黙認していた。さんざん虐待した後、大尉は2人の女性を拳銃で撃ち殺した。
この事件は、東京の国立公文書館に所蔵されている公文書に記されている。大尉は、28歳の日本陸軍兵士、2人の犠牲者はフランス人の姉妹で、妹は14歳だった。この事件が起きたのは、日本軍がインドシナを侵攻した1945年3月(訳注:明号作戦)。東南アジアのインドシナは、現在のヴェトナム、カンボジア、ラオスで、フランスの旧植民地だった地域だ。
旧日本軍によるフランス人女性への性暴力が公式に明らかになったのは、これが初めてである。この公文書は、1999年に法務省から国立公文書館に移管された。2007年に一般公開されていたが、昨年夏になって初めて研究者が検証した。
裁判記録の原本は、第二次世界大戦後に行われたフランスのBC級裁判、サイゴン(現ホーチミン市)軍事裁判で交付された。文書によると、1947年1月にX大尉は、殺人、性暴力、性暴力共犯、詐欺の罪で有罪となった。余罪として、40人以上のフランス人捕虜の殺害も含まれている。裁判所は死刑を言い渡し、1947年8月12日に死刑が執行された。
ニュルンベルク裁判と東京裁判は、連合国が第二次世界大戦の戦争裁判を裁くために設立された最初の国際戦犯裁判である。東京裁判では、女性への性犯罪についてほとんど言及されなかったが、87点の性暴力に関する証拠書類が提出され、そのうち8点が「慰安婦」に関連する書類である。
BC級裁判では、30件以上の性暴力が戦争犯罪として起訴され、すべての被告人に有罪判決が下されている。35人のオランダ人女性への強制売春行為で日本兵が有罪判決を言い渡されたバタビア(現ジャカルタ)裁判については、関東学院大学の林博史教授がすでに明らかにしている。
東京裁判は、1907年のハーグ条約と1929年のジュネーブ条約が適用された。このハーグ条約は性暴力を非合法化した最初の国際条約であり、捕虜の扱いを定めた1929年ジュネーブ条約では、女性捕虜に対し「婦人は女性に対する一切の斟酌を以て待遇せらるべし」と明記している。
とはいえ、第二次世界大戦中にこれらの条約は女性の性暴力防止にほとんど機能しなかった。そこで、1949年のジュネーブ条約で次のように改定された。「女子は、その名誉に対する侵害、特に、強かん、強制売いんその他あらゆる種類のわいせつ行為から特別に保護しなければならない」 こうした動きにともない、紛争時の性暴力を禁止する国際法が確立していった。
1990年代には、旧ユーゴスラビアとルワンダの国際戦犯法廷で、レイプやその他あらゆる性暴力が国際法違反と認められた。2000年代に向けて、紛争時の性暴力防止は国際的な人権および治安上の問題へと発展していった。
紛争時の女性の人権保護への関心が高まり、対策がとられるようになったのに合わせ、日本政府はこの流れへの協力を強調している。2014年6月、紛争時の性暴力の撲滅を目指すグローバル・サミットがロンドンで開催された。こうしたテーマでの史上最大のイベントに出席した岸信夫外務副大臣は、140以上の参加国の前でこうスピーチした。「これらの犯罪に問われた者は、国際的な規範と整合した形で、裁きにかけられるべきです。……また,性的暴力の被害者対策も急務です」
このサミットは、日本ではほとんど話題に上らなかった。皮肉なことに、この時期に国民とメディアの注目の的は、1993年の河野談話の内容を検証した調査結果だった。
日本の現政権は認めたくないにしても、「慰安婦」が世界中の紛争時の性暴力防止に多大な貢献をしたのは事実である。レイプやその他の性暴力が第二次世界大戦前にすでに国際的な犯罪だと考えられていたにもかかわらず、「慰安婦」の被った強制や虐待は、敗戦後も数十年にわたって、気安くオープンに議論されることはなかった。1990年代にやっと、声が上がりはじめたのだ。1991年12月、3人の韓国人女性が東京地裁に提訴し、慰安婦、つまり紛争時の性暴力が公式な課題として取り上げられるようになった。女性、特に性暴力の犠牲者は、半世紀にもわたって耐え忍んできた恥を、基本的人権の問題へと変えたのである。
それにしても、なぜ日本では、紛争時の性暴力の問題と「慰安婦」を結びつけて考える人が少ないのだろうか?
その理由のひとつは、「慰安婦」問題が単に韓国と日本の外交問題として扱われる傾向にあるからだ。実際には、「慰安婦」はアジア全域で募られたのであり、アジア大陸だけでなく、世界各地で、女性の人権や正義にかかわる多くの人々を苦境に追い詰めている問題だ。しかし、いまだに男社会の日本では、国家主義者の言い分をフィルターにかけたり、基本的人権や女性の権利の問題に目を向けたりするのが難しいようだ。
2014年9月、安倍晋三首相は、69回国連総会一般討論演説でこう述べている。「21世紀こそ、女性に対する人権侵害のない世界にしていく。日本は、紛争下での性的暴力をなくすため、国際社会の先頭に立ってリードしていきます」
日本政府は、歴史的事実を客観的に検証したり、「慰安婦」に対する日本の責任を認めたりすることを拒否しており、首相のこの主張と矛盾する。
安倍首相とその国家主義支援者は、河野談話に関し、「慰安婦」の証言に信ぴょう性がないとの理由で疑問を投げかけている。一方、この分野の専門家たちは、個人の証言を重要な証拠とみなしている。なぜなら、レイプや性暴力は女性にとって語りづらい体験だからだ。元慰安婦たちが証言しなければ、戦時中に何が起きたのかを誰も知らずにいただろう。国際社会では、性犯罪の告発過程における証拠や証言の収集を非常に貴重だととらえ、それが共通認識になっている。
大阪の橋下徹市長は2013年5月、「慰安婦発言」についての釈明会見で、「(6月に英国北アイルランドのロック・アーンで)開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します」と述べた。「慰安婦」番組や論争の縮小が相次いで起きるなか、日本こそが率先して、日本兵がアジア侵略時に女性や少女に対してどのように振る舞ったかを検証する責任を負っている。さらに、日本がリーダーとなり、他の国、特に元植民地帝国による、アジア大陸の現地の人々への非道な扱いの検証を要求すべきだ。たとえば、フランスが行ったBC級裁判では(フランス人の被害だけが扱われ)、インドシナの地元住民の被害は扱われていないからである。
不幸なことに、第二次世界大戦中の女性への恥ずべき行為により、日本は世界の人々に紛争時の性暴力を認識させ、告発させた。敗戦70周年を迎え、日本もまた、この国際的規範から逃れられないことを心しなければならない。
「慰安婦」は世界の性暴力被害者救済の原点『日刊ベリタ』2008年6月28日
「少女像」作家が来日講演――日韓合意の「撤去」批判 金曜アンテナ『週刊金曜日』2015年3月4日号