原子力について良い質問をしよう

8月19日のTerra Ecoに掲載されたポール・キレスの寄稿です。

ポール・キレスは、社会党政権時代、都市計画大臣、防衛大臣、郵政・通信大臣、内務・治安大臣を歴任し、現在はコルド・シュル・シエル市長。政治家や組合、市民団体、ジャーナリストによるクラブ「ゴーシュ・アヴニール(左派の未来)」の立ち上げ人でもある。


「良い質問をして人に何かたずねると、それぞれの物事の真実を自ら発見する」

このプラトンの素晴らしい助言を、現代の民主主義体制における政策決定者は、固定観念としてとらえていないようだ。民主主義の目的が「ものごとの真実」を見出すのではなく、共同利益を憂慮しつつ人類共同体を優先的に管理することにあるのであれば、後者が追及すべきことは、管理者の根本的な懸念であるべきだ。とはいうものの、「良い質問をする」のを心配し、有権者の矛盾を管理する方法を知らないという恐れと、自分たちに都合のいい解決策を押しつけようという意図から、本来追及すべきことに立ち向かうのを拒否するといったことが、管理者たちにはよく見られる。

我々と次の世代の生活にとって非常に関係の深い重要な課題について、真実を隠蔽するための確固たる選択を普通に隠し、巧妙に管理された混乱をいきわたらせるといったことが起きる。とにかく、未来を約束する政策が、実際の議論なしに決まり、実施されることが可能なのだ。原子力を例にとってみよう。この言葉は、人類の最先端の科学や技術を想起させる言葉だが、同時に、恐ろしい記憶をよみがえらせ(広島や長崎の原爆による20万人の死、チェルノブイリや福島の原発事故)、深刻な不安にもつながっている。いまだに10数の国が無視できないほどの核兵器を保有し、核軍備拡大や核を利用したテロの危険性をはらみ、原発施設の原子炉の安全性にも不安が残る。

おもしろいことに、核兵器開発と平和利用の原子力開発は、大きく異なった懸念を含んでいるにもかかわらず、政策決定者は、この問題に取り組むとき、同じ逃げ口上で訴えている。誤った証明、決まりきった表現、沈黙、「言ってない…」

核兵器

「使用しない兵器」は抑止としての兵器の存在で、東西の「恐怖の抑止力」と呼ぶものがあった時代、40年間にわたる栄光の歳月を有していた。平和の保障とみなされたこの抑止力は、幻想的で費用のかかる軍備競争と解釈されながら、次第にレベルを上げていった(宇宙での使用を管理する意思もそこに含まれる)。フランスでの核兵器の保有は、アメリカとNATOと関係しながらも独立の意思を確実にする方法として、50年前から存在している。ある意味で正当化しながら、国連の安全保障理事会の常任理事国は、核兵器を唯一公式に保有でき、アメリカ、旧ソ連、中国、イギリス、そしてフランスの5カ国は“サロン”に参加することで、大国のステイタスを維持しているという感覚を持っている。

現在の国際社会は、過去の国際社会とはもはや似てはいないことを、誰もがわかっている。核抑止力の特性はもはや支持されないことは明らかだ。誰を対象にしているのか? テロリスト集団を懸念しているからではことはよくわかっている。では誰か? 中国か? ロシアか? イランか? “生命維持に不可欠な利益を脅かすであろう”あらゆる存在は、ヨーロッパとNATOへのフランスの帰属に関して危険な賭けにでるという、公式な回答である。“大国のステイタス”を正当化するために核兵器を保持するという必要性は、世界の流れに影響を与えている列国間の現実的な力関係の認識に逆らうことはできない。新しい大国が出現している。国際協調においてフランスよりすでにとても大きな力を持つ国が存在し、それは核兵器の保有とは関係のないことである。いくつかの国(特にフランス)は黙秘しているが、この進化を充分考慮すると、国連の安全保障理事国の構成は終焉を迎えるだろう。

評価の基本要素を公衆の面前に持ち込むことが必要だ。政治的責任者は、1960年代初頭からフランスの“核抑止力”を正当化するような、儀礼的で形式に、根拠もなく単純に繰り返している。しかし、公衆の面前に持ち込むことで、それをあまり還元させないながらも、より正直な言葉を使うよう、政治的責任者を導くことになるだろう。そして、“核兵器のない世界”の予測した国際レベルへ向わせる努力に対し、フランスはなぜそれをほとんど評価しない主義なのか、またそれに対してなぜ無気力にみえるのか、政治的責任者はそのことを知るための鋭い疑問を自ら問うことになるだろう。

市民の原子力

ここにもまた、電力生産の資源が70年代に石油依存からとって代わって以来、公式議論として、どれだけのいい加減さとウソが広められたか! 原子力使用のメリットはよく知られている。電力生産コストが比較的安いこと、炭化水素の重要性の低下、温暖化効果ガス排出が少ないこと。同時にまた、都合の悪さも持ち合わせている。投資額が莫大なこと、核廃棄物貯蔵の複雑さ、原発施設解体の手間、事故の危険性。しかし、徹底的な研究に基づいた真剣な議論はこれまでされず、矛盾は戯画的な対立とスローガンの交換の段階を超えて表現されることはなかった。一般の人々は責任ある意見を述べ、納得できるような意思表示をするような状態にないのだ。にもかかわらず、決定された選択を認めなければならず、どんな結果でも引き受けなければならない。

30年前、この問題に関して、残酷な失望を経験した。1973~1981年の期間に、右派政権が不透明性なまま原発建設計画を加速させて推し進め、その後、左派政権はエネルギー政策に関する公開議論を約束した。この必要不可欠な議論は、残念なことに、1981年の秋に、議会でのみ討議されるにとどまった。その結果、本当の意味での公開議論を実現させようという自覚とはほど遠いものになってしまった。

ここでもう一度、核兵器と同様に、世界は変化したことで、一般市民に充分な情報公開が欠かせなくなり、矛盾するようだが、それが必要になった。なぜなら、人々は意思表示を求めているからだ。当然ながら、問題は複雑になり、(“賛成”と“反対”の)断固たる立場間の対立を避ける試みがされなければならない。最近の左派と環境派の議会では、電力生産における原子力の今後の位置づけについて、可能性のある3つのシナリオという方法で提案された。

シナリオ1:原子力による電力生産の現在の傾向のまま発展を継続し、予定されていたEPR原子炉の建設を維持し、4世代原子炉に着手し、ITERの研究を続ける。

シナリオ2:2020年までに原発の出力を60%へと徐々に減少させる目標に向けて、2012年から全ての原発施設を停止し、解体していく。フラマンヴィルのEPRの建設を中止し、パンリーのEPR計画をキャンセルし、原発施設の解体と施設区域の再生に向けた産業活動を発展させる。

シナリオ3:2020年から、寿命を迎えた(1977~1985年に建設された原子炉)施設の新たな取り替えをせず、その時点で状態を再点検する。

これらのシナリオからひとつを選ぶ際、分析プロセスを経てから決定を下すのが条件となる。この決定を導く研究委員会は、シナリオを正しい方法で詳述でき、特に投資および消費の経費、エネルギーの代替資源の開発、日程表、雇用についての将来の結果を完全に分析すべきである。この作業の結果は一般に公開され、フランス人は国民投票で意見を出すことができ、好ましいシナリオに関して明快な方法で意見を述べることができる。

核兵器と市民の原子力という2つの非常に難しい基本要素に関して、“質問をする”のが民主的な健全な機能にとって有益であると知ることで、一般の人々ははっきり見通して、将来を約束する選択への意思表示ができる。

 

原子力の誕生は民主主義の概念と両立していない
放射能汚染を明るみにし、防護策の改善を訴えつづけている独立研究所クリラッドのブルーノ・シャレロン(原子力物理技術者、クリラッドの研究部門長)が、原子力大国フランスの“非民主的な”問題点を語った。2012年6月22日に日仏会館されたシンポの記録。

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