異例の労災不支給決定取り消し 新人看護師過労死(1)

北海道・札幌の新卒看護師の杉本綾さん(当時23歳)の過労死の労災認定を求める裁判は、結審を間近に控えた2018年10月17日に、被告の国が不支給決定取り消しを伝えてきたことで終結した。弁護団によると、係争中に行政庁が自らの決定を取り消す「自庁取消」は異例だという。

11月12日、原告である看護師の母親は、「訴えの取り下げにあたっての意見陳述」で、「綾も安堵していることと思う」と述べながらも、「労災申請をしてから約5年の月日が流れ、この期間に費やされた時間と努力と心労は取り戻すことはできない。最初の段階で、もっときちんと労働実態を深く調査していれば」と口惜しさをにじませた。

過重労働と先輩の冷淡な態度に心を病み

「あの病院最低」 Nさんは、最後に一緒に過ごした日に娘がそうつぶやいたのを覚えている。その1週間後の2012年12月2日、綾さんは自ら命を絶った。「自分が大嫌いで……苦しくて 誰に助けを求めればいいのか 助けてもらえるのか 全然わからなくて 考えなくてもいいと思ったら幸せになりました。甘ったれでごめんなさい」と遺書を残して。

綾さんは2012年3月に札幌市立大学看護学部を卒業し、4月から、国家公務員共済組合連合の直営病院のひとつ、KKR札幌医療センター(以下、KKR札幌)で働きはじめた。

KKR札幌は、1947年に結核対策として創立した幌南病院を、2006年に全面新築して改称した総合病院で、札幌周辺の看護学生の間で人気の病院のひとつだ。公式サイトによると、現在(2019年11月に確認)の病床数は410(綾さんが就職した2012年当時の病床数は450床)、1日平均の外来患者は1,070名、同じく入院患者は345名、全職員786名の規模である。

「KKR札幌は競争率も高いし、娘はここに就職が決まりとても喜んでいました」と母親は振り返る。「本当は、娘には看護師になってほしくなかった」というNさん。仕事で看護師と接する機会が多く、看護師の仕事の大変さを目の当たりにしていたからだ。「でも、受かって、すごく喜んでいる姿を見たら、やめろと言えない。やるんならがんばって、と」

綾さんは、最も歴史の長い中心的な診療科の呼吸器センターに配属された。病床数53床の病棟には34人の看護師が所属し、そのうち7人は綾さんと同時期に赴任、彼女を含む3人が新卒看護師だった。呼吸器センターは重症の入院患者が多く、半分以上がガン患者という病棟ということもあり、ここの看護婦には特に高度な技術と知識が求められた。

綾さんは4月の第3週から自分の担当患者をもちはじめ、それ以降、仕事量が急激に増加した。ゴールデンウィーク後、担当患者は3~5人になり、次の月には7~8人に増えた。

「夜7時ごろ帰ってきたのは、4月の第1週だけで、どんどん帰宅時間が遅くなりました。夜の10時、11時に帰ってきて、すぐ勉強をはじめて、2時間ぐらい寝て、また出かけていく。それを毎日繰り返していました」

朝6時に家を出て、病院に着くのは7時半。勤務時間は8時30分からだったが、「その前にやることを頭に入れておかないと、時間内に終わらないんだよ」と綾さんは1時間前に着くようにしていた。

7月に綾さんから病院の近くのアパートに引っ越したいと言われたとき、娘の身体を気遣い、母親は同意するしかなかった。

綾さんが亡くなった後にNさんが入手した病院の勤務記録によると、綾さんの5月の残業時間は91時間40分、亡くなるまでの月平均の時間外労働は80時間だった。

7月19日のはじめての夜勤で、綾さんは軽度のミスを犯してしまう。このインシデントが綾さんの心の病の引き金になったようだ。

睡眠不足と緊張がつづく綾さんに対し、先輩看護師の態度は冷淡だった。母親が入手した新人看護師振り返りシートには、上司の看護師の厳しい指摘が並び、助言や励ましの言葉はほとんどなかった。

次第にミスの回数が増え、自信を失い、つねに不安に襲われながらも、先輩に相談することができない。綾さんはどんどん追い詰められていった。

亡くなる直前、夜勤明けの11月30日の朝、先輩看護師との振り返りミーティングの最中に綾さんは泣きだしたという。

「号泣に近く、昼頃まで泣いていたと聞きました。そのとき、どんなことを話し、なぜ泣いたのか。何があったのかを知りたくて」とNさん。

労災申請では過重労働が認められず不支給に

2014年10月、札幌東労働基準監督署は綾さんの労災申請を不支給とした。審査請求は認められず、2016年6月に再審査請求も棄却された。

決定理由のひとつは、綾さんがうつ病を発症したのは11月末とし、発病以前の約6か月間には特に何もなく、業務による心理的負荷は、厚生労働省の「心的負荷による精神障害の認定基準」の「強」にはいたらないこと。そして、自宅での勉強やレポート作成時間は残業時間とはみなさらず、時間外労働は月100時間以下と判断されたからだった。

Nさんは2016年12月、労災の不支給決定の取り消しを求め、国を相手に札幌地方裁判所に提訴した。原告側は、自宅に持ち帰った仕事や勉強といったシャドーワークも残業時間に含むべきで、看護師の職種や新卒者という状況も心理的負荷の要因になることを主張した。これに対し、国は過重労働を否認し、争う立場を表明。2017年2月に第一回弁論が行われた。

その当時、Nさんはこう語っていた。

「労基署では、『何を知りたいんだ』『何のために労災申請するんだ?』と責められているようで、自分が悪いことをしているのかと感じました。汚い母親なのかな、と。うまく説明できないし、ゆっくり考える時間も与えてもらえないし」

労基署には、綾さんのSNSへの書き込みを時系列にまとめた資料を提出した。「残業時間が多いときにどういうことを書いていたのか、ミスしたときにどういう内容を友だちに流したのか、それを証拠と照らし合わせることができるように、一緒に渡したんです。でも、目を通してくれる状況ではありませんでした」

さらに、2009年に日本看護師協会が作成した小冊子『看護師の夜勤・交代制勤務に関するガイドライン』も労基署の調査官に渡した。労働基準法では、1か月100時間の時間外労働が過労死ラインとしているが、日本看護協会は看護師の過労死危険レベルを「月60時間を超える時間外労働」と発表し、ガイドラインでもそう警告していた。残業時間の見直しのきっかけになったのは、2008年10月に大阪高等裁判所が、大阪地方裁判所に引き続き、25歳の若さで亡くなった看護師の村上優子さんが過労死と認める判決だった。村上さんは、数月にわたって月60時間前後の時間外労働を続け、脳血管疾患で倒れて亡くなった。

「でも、次の面接で調査官に会ったとき、ガイドラインは後ろの棚に山積みになっていたんです。『これは見てないから』と言われました。『認定基準は100時間だから』と」

看護師は、人間の命を預かり、ナースコールで走り回っている。100時間に満たないからといって、簡単に決めていいことなのか。労働によって認定基準を変えるべき、とNさんは思ったという。「労働を扱っている機関だったら、看護労働の知識を深めて調査をしてほしかったです」

綾さんの訴訟は、2018年6月までに7回の弁論が行われた。10月24日に次の弁論が予定されていたが、その1週間前の17日、国はこれまでの主張を翻し、綾さんの労災を認めた。

代理人弁護によると、綾さんのパソコンに保存されていたレポートなどのデータから、自宅に持ち帰って作業した時間が明らかになり、また、本来は1時間の昼休み時間のうち、休めたのはおおむね1日30分のみで、残りの30分は労働時間として時間外労働に算入されたからだという。

代理人弁護士の島田度弁護士は、「労災認定基準は満たしたが、裏を返すと、労災認定基準をひとつも超えた判断ではない。あくまでも、基準のマニュアル通りにやったら、こういう結果になった、というだけ。看護師の業務は一般的な他の業務とは一緒にできない、新人は慣れていなくて、いろいろストレスも抱える、という我々の主張は、残念ながら、まったく反映されていない。そこも十分審査してほしかった」と述べ、労災の認定基準の欠陥点を指摘した。

(2019年12月1日)

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