2000年3月に北海道で起きた殺害・遺体損壊事件「恵庭OL殺人事件」は、犯行を否認する女性(以下、Aさん)に対する、警察の厳しい取り調べも問題になっています。
初期段階で容疑者に
警察は事件発覚の早い時期からAさんを容疑者として絞り込み、「任意同行」といいながら、5日間、朝から夜まで取り調べを繰り返しました。これが原因で、彼女は「心因反応」と診断され、約1ヶ月間入院しています。そして、退院した翌日に、逮捕されました。
Aさんは、同僚の女性が焼死体で発見された2000年3月17日(金)から、疑わしい人物とみなされていたようです。当日午後2時ごろ、千歳署の警部が被害者の勤務先を訪れ、被害者の指紋を採取し、別の警部が、被害者のロッカーにあったジャンバーの左胸ポケットに入っている被害者の携帯電話を発見しました。この携帯電話に、Aさんからの発着信履歴が残っており、また、三角関係の情報などから、3月20(月)には、彼女は嫌疑をかけられます。
この時点ですでに、Aさんの自宅周辺にマスコミが張りこむようになったといいます。Aさんを小学生のときから知る、当時書道教室&喫茶店を経営していた多田政拓さんは、「3月21日に、新聞記者から、『Aさんが容疑者になっている』と聞かされた」と言います。
「マスコミはすごかったですね。道内だけでなく、本州からもほぼ全部来ました。Aさんが車で会社に行くときには、車2、3台がついて行くという状況でした」と多田さん。
元北海道警察警視長の原田宏二さんは、「警察関係者から話を聞いたりして、たぶんマスコミも知ることになったのだと思います。あれだけマスコミが多く詰めかける異様な事件の場合、警察も恐らくマスコミをコントロールできなくなったのでしょう」と言います。
3月22日(水)、退社後に書道教室&喫茶店へ立ち寄ったAさんに、多田夫妻は「マスコミがAさんのことを聞きまわっているから気をつけるように」と伝えたそうです。
「警察は最初から彼女に目星をつけていました。警察がここに来て言うんですよ。『多田さんはだまされているんだ、あの子はウソつきだから』と」
しかし、小学生の頃から書道教室に通うAさんをよく知る多田律子さんは、「明るく、面白い子ですよ。友だちと仲良くキャッキャと笑い、誰にでも声をかける。おしゃべり好きな、ごく普通の女の子でした。ただ、かたくななところもあり、いわゆる警察にとっては扱いにくいタイプだったのかもしれません」と語ります。
彼女の取調官の証言(第27回公判 2001年11月29日)によれば、3月27日にはすでに、彼女を参考人ではなく、被疑者として行動をうかがっていたそうです。
4月11日(火)からは、帰宅から翌朝出勤まで、Aさんは警部から尾行されていました。
任意同行で厳しい取り調べ
そして、4月14日(金)早朝、事務所の所長が運転で会社に到着したAさんは、待機していた警部に任意同行を求められ、千歳署に連れていかれました。
供述によれば、千歳署の取調室に着いてすぐ、「これは任意なんですか、強制なんですか」と聞いたところ、「任意だ」と答え、「任意だったら帰ります」と拒んだら、警部に「そういうわけにはいかない。俺が納得していないから帰すわけにはいかないんだ」と言われたそうです。
Aさんは知人から、「任意か強制か聞いて、任意だったら断ることができる」と教えてもらっていたため、警部に確認したといいます。しかし、「何がどうしてどうなったのかわけがわからず、頭の中はパニックになってしまった。そのまま椅子に座らされた」と供述しています。
この日以降、朝9時から夜11時まで、千歳署の取調室で自白を強要されました。
初日から取調官に、「お前がやったんだろう。お前しかいないんだ」「会社の人だって、みんなお前がやったと思って疑ってたんだ」「お前は鬼だ」「ごめんなさいって言ってみろ」と怒鳴りつづけられたそうです。
トイレの鍵はかけさせてもらえず、意識が朦朧としてきて身体がふらつくと、警部はいきなり目の前の机をたたき、「まさか寝ているんじゃないべなぁ」と恫喝したそうです。
この日、Aさんが帰宅したのは、夜中の12時近かったといいます。車から降ろされるとき、頭からすっぽり何かかぶせられたと、Aさんは供述しています。
翌日の15日(土)も朝、警部が迎えにきました。このときも、頭から何かかぶせられ、車まで連れていかれたそうです。
前日と同じ取調室で、警部は同じようなことを言い、怒鳴りつけたといいます。
昼に伊東弁護士が面会し、食事を終えて取締室に戻ると、警部の態度が手のひらを返したように変わったそうです。この日は午後7時ごろ、多田さんがAさんを自宅に送りました。
前述の原田さんは。「4月14日と15日の任意の調べが、伊東弁護士の著書(『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』)に書いてある通りだったら、ひどい話です。本人は、取調室で、『これは任意なんですか? 強制ですか?』と聞いています。警察は、『任意だ』が『帰らせるわけにはいかない』と言っていますが、これは完全に手続き違反です」と言います。
「『任意同行』というのは、任意に同行すること、つまり、出頭することの意味を理解して、自分の意志で行くのが、任意同行です。したがって、どういう理由で、どういうことを調べるために、どこへ行くのかを知らせてもらい、同意して『行きます』というのが任意同行なのです。でも、そんな手続きはいっさいありません」
その後も、Aさんの任意同行はつづき、4月19日(水)にやっと、「しばらく取り調べを休む」と千歳署から伊東弁護士に電話が入りました。このとき、伊東弁護士は、2日間の出張予定を千歳署に告げています。
取り調べが原因で精神疾患に
伊東弁護士の出張中の4月20日(木)、「聞き漏らしたことがあるので千歳署に来てほしい」との連絡が入り、翌日21日(金)、Aさんは父親の運転する車で千歳署へ行きました。
供述では、「同じ刑事がいたが、部屋の雰囲気も空気も全然違う」「威圧的な態度で迫ってくる」とあり、取調官は執拗に自白を強要し、恫喝したそうです。
警部は調書を机の上に置き、「お前がやったんだろ?」と繰り返し、首を横に振りつづける彼女に、「横に振れるんだったら縦にも振れるだろ」と怒鳴ったそうです。
帰ろうとするAさんを、警部はドアをふさいで阻止し、無理やり席に戻そうとしたといいます。Aさんは必死で抵抗し、その後、意識を失って倒れたそうです。
千歳署には、多田さんが迎えに行きました。
「抱え込まないと、2階から階段を歩いて降りられないぐらい、精神的にダメージを受けていました。手をはなしたら、目の前で倒れたんです。警部は『演技だ』と言いましたよ」と多田政拓さん。
「とにかく、座って起きてられなかったんです。涙をポロポロ、ポロポロこぼしていたんですよね。『大丈夫? 大丈夫?』と聞いても、口をきけず、食事もできない状態でした。だから、そのまま家に帰すわけにはいかなかったので、喫茶店の長椅子に寝かせました。1時間ぐらい経ってから、ご飯を食べられるようになり、話しもできました。自宅に戻ったのは、夜中の12時近くでしょう」と多田律子さんは言います。
「ひどかったです。そのとき救急車を呼べばよかった、と後悔しています。そうすれば、症状判断をしてもらえたし、すぐ入院できたかもしれません」と多田政拓さん。
Aさんの父親も、「はじめのうちは、車の中でしゃべってたけど、最後の何日かはもうぐったりしていたね」と言います。
「21日に千歳署に送った際、『疲れが出てきたから、早く帰してやってほしい』と言ったけど、そうとうに痛めつけられたのは確かです。家に連れて帰るとき、多田(律子)さんに寄りかかるようにして出てきました。自宅に戻って、そのまますぐ横になり、母親と一緒に、朝までストーブのそばで、布団も敷かないで寝ていました」
4月24日(月)、Aさんは、札幌市内の精神神経科を受診。過度の緊張による「心因反応」と診断され、これ以上の取調べ継続は無理とドクターストップがかかりました。翌日の診察で、「静かな環境下に身を置く必要がある」とされ、26日(水)から入院することになったのです。
原田さんは、「病院に入院して、診断書がとれているのなら、まさに、違法な調べだったといえるのではないか」と言います。
「警察側は、病院に逃げ込んだな、証拠隠滅の恐れがある、という判断ですよ。病院から無理やり連れだす、ときには、強引にわざわざ病院に来て、本当に入院の必要があるのかと、医者に尋ねたりする場合もあります。このケースでは、警察はそこまでやらなかった。その間に、証拠固めをしたのではないか」
Aさんは約1ヶ月入院し、5月22日(月)に退院しました。この日の夜、伊東弁護士と多田夫妻とともに食べた夕食が、Oさんが塀の外での最後の晩餐となったのです。
Oさんの陳述にはこうあります。
22日、退院祝いに友人からプレゼントをもらった…みんな枕元に並べ、ぬいぐるみも、服も、みんなからの手紙も、お守りも、他にもたくさんの気持ちがうれしくてみんな並べた。あんなに安心して夜眠れたのはあの日が最後だった。翌日の朝6時に刑事が来た
5月23日(火)の午前6時、Aさんは自宅で逮捕されました。
(2020年8月25日)