職場でいじめを受けて パワハラに苦しむ若者たち

『Vital』2013年春号(15号)の「さようなら、いじめ」特集に掲載された記事です。

体育会系の日本企業になじめず働く意欲を失う

「働くのが怖くなってしまったんです。金輪際、働きたくないです」

そう話す西田信さん(24歳、仮名)は3年前から生活保護を受けている。アスペルガー症候群と診断されたのは22歳のとき。それまでの間、どの職場でも、仕事が遅い、不器用と蔑まされてきた。

強烈なトラウマとなったのは、新聞販売所での「いじめ」だった。

岩手県出身の西田さんは、高校においてあったパンフレットを見て、新聞奨学生に応募した。

「地元に仕事はないですし、専門学校に通いながら働けるのであれば何でもよかった。とにかくお金を稼ぎたかったんです。誰でも無条件で受け入れてくれて、高収入。だから、飛びついちゃったんです」

配属されたのは、東京23区の20人規模の販売所で、10人ほどいた専属はみな20代のアスリート系。

初日から「仕事のできないのはダメ人間」と叩き込まれた。配達は1~2日で覚えられる。できて当たり前。そう仕込まれるが、運動が苦手で物覚えが悪い西田さんは、配り忘れなどミスを連発。すぐに「いじめ」の対象になってしまう。

「ぶきっちょで要領が悪いんです。とろいという理由だけで、蹴られたり、殴られたり。『いじめられたくなければ、完璧に仕事をこなせ!』と怒鳴られました」

虐待も根性で乗り越えられる。それがまかり通っている職場。

「先輩がよく口にしていたのは“努力精進”。勝利主義の最たるものでしたね。人生は勝ちつづけることが絶対で、休むことも、負けも許されない。『自分に勝て!』と」

鉄道の旅が趣味の西田さんは、五月の大型連休を利用して遠出した。それを知った先輩からは、『そんな遠くへ行く気力があったら、何でそれを仕事にまわさないかなぁ』と言われた。

販売所内では誰も助けてはくれず、奨学会も耳を貸さなかった。たまりかねた西田さんは、「労働環境の改善」を求め、店長に直談判する。しかし、返ってきた言葉は、「やる気がないからだ。そんなに辛いなら辞めろ」だった。
結局、3ヶ月で退職。親に援助してもらい、2年契約の前借分は一括返金した。

「心の傷を癒そうと、労働局、占い師、精神科医とか、いろいろなところに相談したんですよ。どこも決まって言うんです、『ふるさとに帰れば』と。東京の人は、挫折したら田舎に戻るのが当たり前だと思ってますからね。継ぐべき家業などないですよ。帰ったら、引きこもりかニートになるしか道はない。ただでさえ、岩手の求人は少なく、県外の製造工場の派遣だけで占めている状況ですから」

東京にとどまった西田さんは、専門学校に通いながら、バイトを転々として食いつないだ。試食販売、新聞の集金、宅配便の仕分け、派遣会社からの単発の日雇い。比較的簡単に稼げる仕事は、皮肉なことに体育会系ばかり。どこへ行っても、いじめられ、人格否定された。
生活費のためにがまんしつづけたが、2009年に派遣村に参加し、生活保護を申請することに。

「いじめから解放され、楽になりたかったんです」

働く意欲をすっかり失った西田さんは、うつろな表情で言う。

「『早くしろ』とせかされると、かえって手元が狂っちゃうんです。こんな自分を大目に見てくれるところがあればいいけどね。日本企業はどこも体育会系なので……」

大学の就職課で勧められたのはブラック企業

「営業電話をバンバンかけてました。号令のもとに、体育会系のノリで」

新卒入社したブラック企業について、井上夕美さん(27歳、仮名)もまた、“体育会系”という表現を用いた。昼夜休まず電話しろ、出向いたら何時間でもねばれ。こうしたやり方に、井上さんはすぐに違和感を抱いた。

「大学の就職課にその企業を勧められたんです。私の大学は、就職率の高さと面倒見のよさで評判でした。でも、後になって、『問題の企業であることを隠していた』と真顔で言われました。そこに入社した卒業生のなかには、精神疾患で寝たきりになった人もいるそうです」

7月末で退社したTさんは、故郷の福島に戻り、親も薦める地元有名企業で、8月から働きはじめる。

「会社をたった3ヶ月で辞めてしまい、そのままずっと家に引きこもっていたくなかったんです」

正社員を希望したが、まずは試用期間としてパート採用だった。井上さんは、ここでパワハラを体験する。

「『接客の態度がぎこちない』『愛想がない』『笑顔が足りない』と、経営者から怒鳴られました。教えられた通りやっているのに」

経営者が面接し、適性検査も受けての採用だった。それなのに、井上さんの仕事ぶりだけが、あら捜しの対象となった。

営業担当者からは、「しゃべり方がおかしい。売り上げが悪くなったらどうするんだ」と責められた。

掃除の仕方を母親に習ってこい、結婚能力がない。暴言はプライベートの面にもおよんだ。

12月に入ってからは、仕事量を減らされ、退職を促す言動はエスカレートする。「みんなに嫌われているのだから、この会社にいてもしかたがないじゃないか」と経営者に言われ、井上さんはついに辞表を提出。クリスマスの日に退職した。

「本当に無愛想なのか、自分を疑ってしまいました。この会社を辞めて数年後に、発達障害かも、と不安になり、心療内科を受診しました。結局、発達障害は見つからなかったのですが…」

それでも、パワハラにめげず、井上さんは仕事を求めた。職業訓練校に通いながら、就職活動の資金を稼ぐために、飲食店でも働いた。しかし今度は、中傷に悩まされる。

「『大卒なのに、正社員じゃないのはおかしい』『未婚でパートなんて』『最初の仕事を3ヶ月で辞めてる』と言われました。田舎は、家柄や学歴など、個人情報が透明なんですよ」

2度のパワハラで福島を去る決意を固め、2010年8月、今は夫である恋人のいる東京へと居を移した。

「東京では試用期間切りになり、団体交渉を行いました。その職場でも、怒鳴られてばかり。そのたびに焦って、小さなミスをしてしまうんです」

辞めさせられたとき、労働契約について尋ねたら、「試用期間には関係ない」と言われた。それに納得できず、労働組合に相談。復職はできなかったが、解決金を受け取り、保険にも加入してもらった。

「団体交渉というのを、そのときはじめて知りました。労働の権利とかも知らなかったです。大学の就職課では、履歴書の本人希望欄に、『御社の条件に従います』と書くように指導されます。採用に不利になってしまうから、と」

上京して正社員になったものの、企業の倒産や譲渡などの不運に見舞われ、仕事は安定しているとはいえない。履歴を見て、飽きっぽい性格だと思われるのが悔しいという。

「パートでも正社員でもかまわないから、長く勤めたい。“お局さま”になりたいです(笑)」

 

パワハラか?釧路の男性看護師がわずか半年で自殺(1)
高校時代からの夢だった看護師として第二の人生を踏み出した村山譲さんは、北海道釧路市の釧路赤十字病院に入職後、たった6ヶ月で自ら命を絶った。本人がA4の紙に綴った自筆の遺書には、パワハラの告発ともとれる文章が記されていた。母親が心境を語った。

 

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