原発震災離婚 原発事故が引き裂いた男女の絆

『週刊金曜日』2011年10月21日号に掲載された記事です。

【座談会参加者】
当山恭子(仮名、25歳)
3月の地震直後から避難生活。4歳の息子が一人。夫とは離婚協議中。

立花遥香(仮名、30歳)、立花光男(仮名、30歳)
結婚1年目、7月に夫妻で避難。

久米聡美(仮名、38歳)、久米隆俊(仮名、48歳)
妻は6月、夫は8月に避難。

藍田英恵(仮名、29歳)
3月の地震直後から各地で避難生活。3歳の娘が一人。夫とは離婚協議中。

当山 原発事故が起きた時、最初は夫も一緒に避難してきました。でも、事故があまりにもダラダラと続くし、政府は「大丈夫だ、大丈夫だ」としか言わないし。そうしたら、夫が「一旦帰る。福島には仕事あるから」って言い出したんです。避難生活では180万円があっという間に消えてしまいましたから。それでみんなで帰ろう、って決めたんです。でも、ちょうどその時に2回目の大地震が起きて……。それで私は、やっぱりまだ様子を見たいと思い、子どもと残りました。それからは福島との二重生活。夫は「オレが福島で働いて、仕送りするから」って。

藍田 私は、地震後すぐに娘と一緒に東京へ避難しました。夫とは電話も通じなかったし、仕事の邪魔もできないと思ったから、告げずに避難したんです。東京にいる1カ月間、夫は一度も来てくれなかったし、「そこ(東京)から危ないと言われても困る」って、話しを全然聞いてくれなかった。でも、私も仕事を中途半端にしたままにしてきたこともあって福島に帰りたくなったんです。それで、4月の終わりに「避難生活やめる」と言ったら、夫は結局それを待っていたみたいですごくうれしそうでした。

当山 やっぱり、別居生活が2カ月、3カ月と続くと精神的に追い詰められていくんですよね。これまで家族で暮らしていた家にポツンと一人。仕事して家に帰っても料理作って待っててくれる人もいないし、子どもの賑やかな声もない。友だちはみんな福島で普通に生活し始めたので、「どうしてうちだけこんな生活しなきゃいけないの。寂しいよ」と夫からは言われました。

藍田 私も一度は福島に戻ったんです。でも、五月下旬に娘が鼻血を出して、それで心配になって、夫に「鼻血出したんだよ、おかしいよ」と言ったら、「医者に行けばいいだろ」って真剣に聞いてくれなかった。外に出たら被ばくしちゃうのにって、涙がボロボロ出てきて……。それで、翌日、また娘と一緒に逃げてきました。夫には、ひじきの煮物作って置いてきたまま……。
立花遥香 私は、被ばくが心配だったから、夫に「仕事やめて」と言いました。「(福島では)子どもも絶対に産まない。耐えられない。安心して子どもを育てられるところに移ったほうがいいんじゃない」って。

立花光男 妻と私は、お互い二男・二女で、アパート暮らしだったから、身軽だったというのはあります。ただ、できれば避難はしたくなかった。地元に愛着や想い出がたくさんありますから。でも、福島でいろいろと気にしながら生活するよりは、違う土地で健康な生活を送れればいいのかな、と。

当山 放射能って見えないからわからないんですよね。夫からは「自分が生まれ育った町が汚れているとは思えない。俺は残りたい」と言われました。でも、客観的に福島を見ると、私にはもう無理なんです。生活していい場所だとは全然思えない。福島のアパートの部屋は、空気清浄機をつけてやっと0.2マイクロシーベルトまで下がるんですよ。夫には「健康が保証されないところに子どもを連れて帰れない」という話をして「仕事も見つけておいたから、こっちへおいでよ。私も働くから」って言ったんですが、彼の踏ん切りがつかなかった。それで夫から「もう耐えられない」と離婚を切り出してきました。

避難指示があったら…

久米隆俊 そもそも、福島県から出て暮らした経験がある人が少ないと思います。だから、県外で暮らすのは不安でしょうがない、と思ってしまう。

藍田 私も福島にいるときは、地域に根っこが生えていたみたいでした。

当山 そうなんですよね。夫は福島でずっと暮らしていくって思ってた。私もそう。友だちもいるし、地元大好きだし。これがもし避難指示が出ていたとしたら全然違ったと思います。避難指示がないから、みんな苦しんでいる。「健康に直ちに影響はない」って言われ続けているけど、屋内退避勧告が出されて、子どもたちは外で遊べない。子どもも自分も被曝しながら、涙流して我慢してる。「避難しよう」って言ったら家庭が壊れるかもしれないって、みんな考えていると思うんです。でも補償もない、避難指示もない。それでも「逃げるの?」って、回りから非国民扱いされたら、避難なんてできないですよね。

藍田 娘と避難した当初から、夫はこのまま残ったほうがいいのかもと思ったんです。夫が会社を辞めるというのは、男としてのプライドが根底からひっくり返っちゃうことになるんじゃないかなって。しばらくして、私から「離婚したい」と告げました。そうしたら夫は、「保険のこととかあるから、籍は抜かないほうがいいだろう」って言うんです。「男ってそんなもんじゃねぇ」って。

立花光男 私が「会社を辞める」と言ったら、「俺も本当は避難したいんだけど、家のローンもあるし、無理だから。ここにいるしかない」という人が大半でしたね。子どももいて、家も持っていて、実家は農家という人が多い。実際に被害が出ていない、ということもあると思いますが「補償してくれれば」避難するという人はたくさんいます。

久米隆俊 仕事を辞めることで、不安がないと言ったらウソになります。でも私は、避難するという選択をした人が身近にいることを知って貰えれば、他の人も避難できるのかな、と思ったんですね。避難先で仕事があるかどうかを考えたら、やっぱりためらいがある。全くのゼロから探すわけですから。

藍田 私の夫も、もっと自分で考えて動くことができればよかったんだと思います。でも、自分で考えられる人って一握りですよね。どんな組織でも「おかしい」と思っているのは少数派。みんな放射能が不安だったとしても、今いる会社や社会から外れることには勇気がいる。社会から会社辞めたら収入がなくなるし、生活できなくなる、って。自分に自信のある人じゃないと、新たな土地で一から生活することを選べないと思う。

経済を優先する男性

立花光男 あと、男には「自分のことは別にいいんだ」みたいな感覚があると思います。自分は健康を害してもいいけど、家族を守りたい。そのために生活費を稼いで、みんなを食わせていかなきゃいけないって。最初にパッと、健康より経済的なことが思い浮かびますね。たぶん女の人は、「健康に暮らしていかないとダメだ」という考えが先にくると思うんですよ。

当山 体を壊したら、お金さえ稼げないんですよ。

立花光男 でも、そうは思わないんですよね。お金稼げばいいやって。

藍田 「娘を連れて福島に帰っても、健康に育てあげる自信があるんだ!」と夫に言われました。なんか根拠のない大丈夫、みたいなものがある。

立花遥香 病気になるかもしれないってことを、リアルに考えてないですよね。独身の人の場合は「彼氏もいないし」って。でも、みんな怖くて考えたくないのかもしれません。

久米聡美 だいたい、お母さんが避難しようと言い出しますよね。

立花光男 家庭のことは妻に任せて、夫は仕事の方に向いているからじゃないでしょうか。

当山 男女で家庭の役割が決まっているというか。

立花光男 男はどうしても経済を優先して合理性を考える。多少健康を害してもいいから普通に住めるようにしようと。もし、自分が福島じゃなくて、全然違う場所に住んでいたら、「大変なんだな」ぐらいの感じだったと思います。

久米聡美 共働きでも一家を支えているのは“お父さん”という気概があるんですよね。「最悪、オレだけ残って、子どもたちを避難させるつもりでいる」って何人にも言われました。原発が爆発したときは、車に荷物を積んだお父さんもたくさんいたんですよ。あの時は逃げようと思った。でも、情報は全然入ってこないし、すぐに「安全」宣言が出た。そうすると、男性は仕事に行かざるを得なくなってしまった。

藍田 男は「闘える」とか思うんじゃないんですか。一緒にいることで女を守ろうとする。「こういうときは家族でいるもんだ」と言う男性が多かった。

当山 でも、私は、将来子どもに、「何で避難してくれなかったの?」って言われたら、生きていけないなと思ったんです。だから、福島に「帰る」という考えは思い浮かばなかった。子どもを守るのは親だから。親が守ってあげなかったら、彼ら自身ではやっていけないから。子どもの将来の芽をつぶしてしまうのが、私は怖い。日本の未来を支えていく子どもたちを、今守らないで、いつ守るんだって、そう思います。

 

2011.3.11福島原発事故直後の地元女性たちの訴え
2011年6月、東京での集会で福島からの3人のお母さんの訴えを聞いた。不思議なほど、福島からの声は、私たちに届かず、福島の方々がどのような思いで日々暮らしているのか、その実状を直接耳にするのははじめてだった。お母さんたちのお話の一部を紹介。
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