香水の一流を知りたくて 5月のバラの香水の街グラース

『Frau』1996年10月8日号(講談社)「香水の一流を知りたくて ヨーロッパ香りの超伝説紀行」に掲載された記事です。

香水の一流を知りたくて ブルガリアの秘境「バラの谷」
ブルガリアンローズの産地「バラの谷」と呼ばれているカザンラク。5月に毎年開催されるバラ祭りの時期に、摘み取りからローズオイルができるまでを取材した。『Frau』1996年10月8日号(講談社)「ヨーロッパ香りの超伝説紀行」に掲載された記事。

世界の香りと「鼻(nez)」を16世紀から育んできた南仏・グラース

青くカラリと晴れ上がった空、明るくふりそそぐ太陽。南仏コート・ダジュールのニースから40キロほどのところにあるグラースは香料となるもう一つのバラ、ローザ・センチフォリア「ローズ・ド・メ」の産地だ。

豊かな水、温暖な気候、水はけのいい地質と、花の栽培に必要な条件がすべてそろう街グラース。早春のスミレ、ミモザ、オレンジの花、初夏から秋にかけては、ジャスミンやラベンダーと、一年中やさしい花の香りで満ち溢れている。なかでも、5月のバラ「ローズ・ド・メ」は、この街で最も愛されている花。花が咲くのは5月初旬から約1か月。開花期間が短いため、昔から高価なバラとして珍重されてきた。

丘の斜面のバラ畑にたたずむと、甘いソフトな香りが鼻をくすぐる。プロヴァンスの娘のように、あどけない淡いピンクの小さな花ローズ・ド・メが、一人前の洗練された香水へと成長するのだ。

朝摘まれたローズ・ド・メを追って、グラースにある香料会社へ。これらの工場では、近郊の花はもちろん、世界各地から香料植物が集められ、香りのエッセンスに加工される。

ロベルテ社に足を踏み入れると、花の匂いとともに、人工的な香りともいえぬ奇妙な匂いが機械の合間を漂っている。香りの完成品とはほど遠い匂いだ。ここに運ばれたローズ・ド・メは、溶剤抽出法でアブソリュートオイルに加工される。香りのオイルをアルコールを主成分とする薬にとかし、そこから不純物を除去し、純粋なオイルを採取。複雑な製造過程を経て生まれた高級品のオイルは、華々しいデビューを待つことになる。

半世紀の歴史を持つ優雅な香りの伝統

標高350メートルのなだらかな丘の中腹にあるグラースには、南仏特有の薄い桃色の壁を持つ家が並び、イチジクやオリーブの木のグリーンと美しい調和をなしている。古い石畳の坂道が迷路のようにめぐり、中世の面影を残す街は、500年以上もの間、香り産業の中心地として注目されてきた。

斜面を利用して牧畜を行っていたグラースは、12世紀頃から革工業が発達していた。ここに、イタリア、スペインから香りつき革手袋の製造法が伝わったのは16世紀のこと。香りをたっぷりつけたグラース産のキッド革手袋は、貴族の間で大流行となった。

17世紀に入り、香りに敏感なルイ14世が香料産業を積極的に育成し、グラースが脚光を浴びることになる。その後、フランス革命で革製品の製造が下り坂になるが、反対に香水の生産が増えたこともあり、この地方の人々は、ますます香料産業に力を注いでいった。

1850年には、国から香料用花の独占栽培権を与えられ、香料や香水の開発に携わる会社、科学者や技術者、調香師が集中する「香水の街」として世界中に名を知られるようになっていった。

貴族文化の中で洗練された香り

今でこそ、世界一の香水の国といわれるフランスだが、香りがヨーロッパに入ってきたのは、11世紀以降のことだ。アラビアから伝わった香りは、急速な勢いでヨーロッパの人々を魅了していった。香水第一号は、1370年、ハンガリーの女王エリザベスのために作られた「ハンガリー香水」で、ローズマリーをベースに、ラベンダーなどのオイルをアルコールに混ぜたもの。

一歩遅れをとっていたフランスでは、1533年、イタリアのメディチ家カテリーナがアンリ2世と結婚し、彼女のお抱えの香料商がパリに店を開いたことで、本格的な香り文化が始まった。

13世紀の華やかなロココ時代、ベルサイユ宮殿は、貴族たちの愛用する香水でむせかえるようだったという。ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、香料に関心を深く抱き、王妃マリー・アントワネットは、伝統的なバラやスミレの香水を好んだ。この頃から、フランスには続々と香水会社が創立され、香水の国として世界から注目されることになっていった。

18世紀の香水は、ジャスミン、ネロリ、アンバーなど、ひとつのノート(香調)しかもっていなかった。高度な調香により、個性的な「香水」として登場することになったのは、19世紀のことだ。

鋭い感性を持つ香りの芸術家たち

様々なエッセンスのハーモニーから生まれる「香水」。この芸術を創造するクリエーターが、調香師である。フランスで”nez(ネ=鼻)”と呼ばれる一流の調香師。フランスの香水史に輝かしい名を残してきた調香師は、ほとんどがグラースで修業を積んでいる。

調香師は、原始人より優れた嗅覚を持っているという。天然香料200種、合成香料200種を嗅ぎ分け記憶。それぞれの香料の香りだけでなく、組み合わせの量による効果も覚えていなければならない。

原料の香料が所狭しと並ぶ調香室は、厳格な雰囲気が漂い、化学室のようだ。調香師の数だけ調香台が置かれ、香料を入れた大小さまざまな瓶が、4~5段にわたって整然と並んでいる。各調香台で一滴ずつ慎重に調合しているのは、調香師の助手たち。ほんの一滴の差にも、調香師の鼻は気づいてしまうため、間違いが許されない。

調香師は、個室のオフィスで新しい香りのイメージを描きながら頭の中にインプットされた香料名と分量をコンピュータに打ち込み、処方箋を作成する。それぞれの助手が、処方箋に書かれた香料を、指定された数字どおり調香していく。一回でイメージ通りの香りができあがることはなく、100~500回、半年から1年がかりで一つの香りができあがる。

香水産業が現在ほど複雑ではなかった時代、調香師たちは芸術家としての誇りをもち、伝統的な香りを創造した。売れる香水を創り出さなければならない今日、調香師の世界も変化している。芸術品であるとともに、大衆を引きつける香りを創ることが、現代の調香師に要求されている。マーケティングの感性も欠かせないようだ。

選りすぐった素材は、高度な技術で加工されたエッセンス、香りを知り尽くした一流の調香師。伝統が育んだ誇りと、時代の変化に対応する柔軟性で、グラースは新時代の香りに挑戦している。

 

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