『Frau』1996年10月8日号(講談社)「香水の一流を知りたくて ヨーロッパ香りの超伝説紀行」に掲載された記事です。
首都ソフィアから黒海へ向け、車で東へ走る。黒い壁のようにそびえるバルカン山脈とブルガリアの中央に連なるスレドナ・ゴラ山脈を左右に配し、広大な平地が続く。ブルガリア独特の赤い屋根の家と、山羊の群れを引き連れた農夫、畑仕事をするエプロン姿の女性たちが、思い出したように現れ、野性的で単調な風景に温かさを添えてくれる。
風とともに運ばれてくるのは、微かなバラの香り。この二つの山脈にはさまれた一帯は、ブルガリアンローズの産地「バラの谷」と呼ばれている。サルビア、ディル、ヒソップなど野生のハーブが咲き乱れる荒れ地に点在するバラ畑には、芳しい香りを放つ鮮やかなピンクの花が咲いている。
ラテン語par「通す」とfumum「煙」に由来し、煙の発散を意味する香水perfume。芳香を発散する香水の要がエッセンシャルオイルだ。バラから得られるローズオイルは、貴重な香りとして古代から愛されてきた。
至極の一滴を求めて、ブルガリアの小さな街カザンルックへの旅が始まった。ブルガリアは純度の高いローズエッセンシャルオイルの最大供給国。これを収めた壷は、極上の品質を保証するBularska-roseと記されている。17世紀の昔から、フランスをはじめとするヨーロッパの人々は、ブルガリア産を求め続けてきた。ごく少量で香りをソフトに仕上げるためローズエッセンシャルオイルは高価な香水のほとんどに含まれているという。
ローズオイルを抽出できるバラは、ブルガリアンローズで知られるローザ・ダマスセナと、フランスのグラースに咲くローザ・センチフォリア。この2品種は、一般に栽培されている観賞用現代バラの祖先、古代バラだ。小アジアが原産のローザ・ダマスセナは、シリアやダマスカスを通り、17世紀、トルコ人がブルガリアへ伝えたという。その後改良を重ね、「ローザ・ダマスセナ・カザンルスカ」という最高の香料用バラとなった。
カザンルックは、バラの谷のほぼ中央に位置する。1210年にはカザンルック周辺の広い地域でバラが栽培されているのを、十字軍が目撃している。本格的なバラの栽培が始まったのは、1664年頃のこと。水はけのいい肥沃な砂利を含む土質、曇りがちで湿気の多い春の気候など、バラ栽培には欠かせない条件がここにはそろっていた。独自に開発された栽培技術は、300年以上たった今でも続けられており、原種のバラの特徴やローズオイルの品質を変化させることなく保っている。
昔からの製法でバラは精油になる
3月につぼみをつけ始めるバラは、5月の中旬頃に開花する。摘み取り期間は平均20~25日間。5月末から6月10日頃までが花摘みの最盛期となる。摘み取りの朝は早い。暑くなると香りが失われるため、朝5時から9時までが重要な作業時間となる。
なだらかな斜面一面に、バラ畑は広がっている。到着した朝7時には、花摘みはすでに開始されていた。高さ1mほどのバラの木が、規則正しく列をなして植えられている。朝日の中で目覚めたばかりのバラは、朝露にきらめきながら、主張的な香りを放っている。この朝露が、香りを包み込み、良質のオイルを守る大事な役割を果たしているのだ。
深い皺を刻んだ老人や少しねむたげな少年は、もくもくと花を摘んでいく。花摘みは家族総出で行われる。機械に頼ることができたいため、ひとつずつ人間の手で摘み取り、袋状にしたエプロンに入れていく。一人1日25~30キロの花を摘み取るという。
朝摘んだ花は、すぐに近くの蒸留所に運ばれ、ローズエッセンシャルオイルへ変身する。ブルガリアでは、蒸留法が中心。11世紀初頭、アラビア人によって発見されたアルコールの蒸留法を応用し、13世紀頃に誕生したエッセンシャルオイルは、17世紀の中頃、カザンルックに伝わった。
当時、ヨーロッパでは香水が流行し、ローズオイルの需要が高まっていた。カザンルックの人々は、苦心の末、純粋なエッセンシャルオイルを抽出する蒸留法を産み出したのである。200年ほど続いたこの方法は、やがて現在の主流である水蒸気蒸留法にかわり、短時間でより良質のエッセンシャルオイルを抽出できるようになった。
1930年代の蒸留器を使い、伝統的な抽出法を受け継いでいる蒸留所を訪ねた。巨大な釜に、摘みたてのバラの花を入れ、水蒸気で香りのオイルを蒸発させ、冷却して純粋なローズオイルを抽出する。3トンの花から抽出されるローズエッセンシャルオイルは、たったの1キロ。ローズオイルが「金と同じぐらいの価値がある」といわれるゆえんだ。抽出だれたエッセンシャルオイルは、ブリキの丸い容器に収められ、首都ソフィアで品質チェックを受け、輸出される。
古めかしいこの蒸留所に、イギリスの最新ヒット曲が流れていた。アメリカに留学中の21歳の後継者が、花摘みの季節に戻ってきたのだ。「将来は大好きなカザンルックに戻る」ときっぱり。ローズオイルの魅力は、時代が変わっても、カザンルックの人々に根づいている。
バラに感謝する踊りと音楽の祭典
バラの摘み取り期間は、カザンルックの街が最も活気あふれる時。そのクライマックスといえるのが、ローズ・フェスティバルだ。豊作を祈るバラの祭りは、バラ栽培が始まった中世から行われている。花摘みの初日、最初に摘んだバラを耳に飾り、歌い踊るというシンプルなものだった。1903年に開催された公式のローズ・フェスティバルは、1967年から大規模になり、それ以降、毎年6月最初の日曜日に開かれている。
フェスティバルは、金曜夜の前夜祭で幕を開ける。美しい刺繍をほどこした色鮮やかな民族衣装に身を包んだ少女たちのフォークダンス。“ブルガリアの宝”バラを撒き散らしながら、地元の人々は広場で踊り続ける。
日曜日のフィナーレでは、ローズウォーターを吹きかけ、空からバラを舞い散らす。会場は、贅沢な香りに包まれ、“バラの楽園”と化す。バラに感謝を込め、ローズオイルの生産を祝う祭り。バラを愛する人々の笑顔が耐えないひとときだ。
バラを愛する心が極上の一滴を創る
オスマン・トルコの属国、共産国支配と、厳しい過去を持つ国ブルガリア。政治の変化に、バラ産業も大きく影響されてきた。しかし、どんな状況下でも、カザンルックの人々の、バラにかける愛情は変わることがなかった。
花摘みが始まる2週間程前には、道具の準備、まき作り、水の用意などたくさんの仕事が待っている。以前、男たちは近くの村々を訪ね、花摘みをする女性たちを集めたという。働き者で、しかも歌が上手な女性が、花摘み娘の条件。花摘みの若い娘と商人との恋。世界中で愛の物語を生んだバラは、ここカザンルックでもロマンスの花を咲かせたようだ。
花摘みの帰り、バラの花を1つもらった。「今日もいい一日でありますように」と、ポケットに花をひとつ入れて帰るのが、昔からの習慣だという。人々に温かく見守られ、エッセンシャルオイルとなるブルガリアンローズ。力強い生命力を感じさせる可憐な花は、やがて極上の香水となり、人間たちの甘いドラマに彩りを添える日を待ちわびて、また花を綻ばせる。