北海道の朝鮮人強制労働者遺骨発掘と沖縄戦没者遺骨収集

2013年8月19~20日、北海道の旧忠別共同墓地で行われた、「江卸発電所・東川遊水地工事 朝鮮人強制労働・動員犠牲者遺骨発掘」に参加しました。
旧忠別共同墓地は、旭川空港から車で20分ほどの東川町を抜け、天人峡に向かって進み、忠別ダムを越えた先の山側に位置します。

途中、東川町あたりで、北海道では珍しいゲリラ豪雨にあい、お天気はいまひとつ。
道に迷ったりして思っていたより時間がかかり、夕方4時ごろ現場に到着。ちょうど発掘作業が終わったところでした。ぬかるみの坂道を登っていくと、狭い現場には、日本人、韓国から来た韓国人、在日など、大勢の人が集まり、後片づけをしていました。

今回の発掘は、忠別に暮らしていた住民の証言をもとに行われました。証言によると、「終戦の年1945年の2月、墓地の入り口に穴を掘り、朝鮮人の遺体を埋めた。棺桶はニシン箱を再利用したもので坐棺だった」そうです。この旧墓地の遺骨は、1980年代末に新しい墓地に移されました。
戦時中、江卸発電所および東川遊水地の建設のために、朝鮮半島から朝鮮人が強制動員されました。遊水地は水田用の水温を上昇させる目的で、東川に3か所、東神楽に1か所、東旭川に2か所の計6か所造られました。

宿泊は、東川町のキトウシ森林公園内ケビン・キャンプ場。かわいらしい(ケビン)ログハウスが並ぶキャンプ場です。私が1泊させてもらったケビンは、韓国人4人と日本人4人。日本語が上手な韓国人が2人、韓国で暮らす日本人が1人いて、通訳してもらいながら、夕食時間まで、自己紹介したり、女子会っぽいノリでおしゃべりに花が咲きました。

夕食後は、沖縄県那覇市真嘉比地区で遺骨発掘をされている具志堅隆松さんの講演会。

真嘉比地区は米軍が最大の激戦地と呼んでいる地区。具志堅さんここで生まれ育ち、「山に行けば鉄兜をかぶった骸骨がある」と子どものときから知っていたそうです。

この地区にあった米軍基地の返還にともない、新都市開発されることになったため、那覇市に遺骨収集を要求。なかなか自治体が動かないため、2007年12月に工事現場で発見した遺骨をマスコミに公表し、その報道が反響を呼び、2008年6月22日に、那覇市平和事業として「那覇市真嘉比地区・市民参加型遺骨収集」を実施するにいたりました。

発掘をつづけるにあたり、自治体が遺骨収集をゼネコンに委託すると知り、企業のお金儲けに利用されるのは納得がいかず、自分の団体ガマフヤー(遺骨を掘る人)、ホームレスを支援するNPOプロミスキーパーズ、那覇市NPO支援センターで連絡協議会を作り、遺骨発掘を失業者の雇用対策にするよう厚労省に要請。2009年に、ホームレスやハローワークを通して人を集め、作業をはじめました。

これまでに発掘した遺骨は171体。具志堅さんは小さな骨も1体に数えているといいます。「数えなかったら、いなかったことになる。人の生きた証を“数”で認めたい」と。

著書『僕が遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ』が吉川英治文学賞を受賞したときは意外だったそうで、受賞理由を尋ねたら、「遺骨を家族に返すのは日本の文化だから」との答えが返ってきたといいます。これに対し具志堅さんは、「遺骨を家族に返すのは、日本の文化というより、人間の文化であり、自然の摂理」と述べました。

講演会の後は、旭川大学の学生と韓国の若者が、3つのグループに分かれてディスカッションし、その内容を発表。次のような意見が出ました。

「日本人はこの問題に無関心。話す機会が少ない。学校や友だちと気軽に議論できない。親も否定的は発言をする」
「日韓関係が悪いのは、個人の問題というより、政治や歴史にある。『実際に会う』のが一番の解決」
「解決はできない。話し合っても結果がでなかった。知識がないと感情的になる。知識がないことを自覚し、意見を持ち、対等な関係でコミュニケーションをとるようにする」
「日本人は歴史を知らない。受験勉強としか受け止められない。深く掘り下げない。国家で分類すると、そこからもれる民族もでてくる」
「日本人、韓国人、在日、それぞれ解決の目的が違う。教科書や他人の意見から離れて、自分で考えるのが解決の一歩」
「領土問題は無関心が問題。『島をあげちゃえばいい』と言ったら、それは上から目線だし、無関心だ、と韓国人に指摘された。この考えが無関心だったんだな、と思った」
「情報があふれているが、マスコミの情報をうのみにしないで、問題意識を持っている人との輪を広げる」

翌日20日の午前中、ユンボを入れて作業することになり、私はフィールドワークのグループに合流しました。遊水地見学と旭川の自衛隊第2師団(旧陸軍第7師団)に併設する北鎮記念館を見学。
東川の遊水地は、埋め立てられ、パークゴルフ場になっていました。
北鎮記念館の見学中に、発掘現場で小さな骨片が発見されたとの連絡が入りました。
参加者一同、12時ごろ旧共同墓地に集合。

ユンボで掘った穴より一段上がったところに、坐棺の底の部分の跡が残っていました。骨片は人骨かどうか不明とのこと。
でも、証言通りの場所に、坐棺が埋められていたことがわかりました。

 

旧共同墓地で、アイヌ儀式イチャルパを行い、一同は聞名寺へ。
墓地を出るとき、忠別湖の向こう岸の山の上空に、虹がかかっていました。
遺骨発掘に参加するのは3回目ですが、いつもはじめに雨が降り、最終日は晴れていたような気がします。
湿った重い土から掘り出されることで、亡くなった方の悲しみや口惜しさが少しでも癒されたら…と思います。

昼食後、この寺で発掘報告会と追悼式が開かれました。
追悼式は、まずキリスト教式に讃美歌を歌い、牧師さんによる説教。

韓国式につづいて、仏教式のお経が流れるなか、参列者が献花もしくはお焼香をしました。

そして、韓国から来日した明盡和尚が次のようなお話をされました。

誰かに行けとか来いとか言われたわけでもないのに、雨と雷のなか、強制労働のように土を掘り続ける姿に感動しました。
損をするとか、罰せられるわけでもなく、ほめられたり、財産や地位を手に入れるわけでもないのに、みなさんが遺骨を掘る理由を考えてみたいと思います。
日本の帝国主義には批判しますが、日本人の正直さ、礼儀正しさは評価しています。
韓国でもベトナム戦で民間人虐殺がありました。
これからは、東アジアの善良な人が、軍国主義を進める権力と張り合っていく時代です。
韓国と北朝鮮、日本の善良の人たちが連携し、平和を作っていくのです。
今回の遺骨発掘は、その礎を作る土をスコップですくう作業だったと思います。

この日の夜は「人よ、人よコンサート」が開催されましたが、私は帰路につきました。

具志堅さんらの沖縄の遺骨発掘は、沖縄の方のものとはかぎらず、沖縄だけの問題ではありません。
戦争により沖縄で亡くなった方は、沖縄の方に次いで、北海道出身者が2番目に多かったといいます。10年前までに、1万人以上の北海道出身者が判明したそうです。
また、江卸発電所・東川遊水地工事の朝鮮人強制労働・動員のような、労働不足を補う朝鮮人連行は国策であり、地方自治体によって行われたのではありません。
にもかかわらず、こうした問題が全国的にはほとんど報道されず、多くの日本人は知りません。戦争責任を地方に押しつけているようで、釈然としない気持ちです。

(2013年8月27日)

北海道から韓国へ朝鮮人労働者の115体の遺骨返還の旅
戦時に北海道で強制労働させられた朝鮮人115体の遺骨が、世界第二次大戦後70年を経て、ついに韓国に返還された。政府や企業が責任を逃れるなか、日韓の市民団体の手で実現した。『The Japan Times』2015年11月18日に掲載された記事。

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