日本の報道で、「フランスは原発推進ですから」というコメントを聞くたびに、首をかしげます。
確かに、フランス政府は推進だろうけど、全政党が賛成しているわけではなく、市民が推進を喜んでいるわけではないです。
この原発の問題は、国単位で推進か反対かを語るのは無理があります。
推進側(政府や経済界など)と脱原発側は、国を超えて、共通しているのです。
メディアはどこに軸足をおいて伝えるか。
原発問題の報道を比較することで、その国のメディアのあり方が明確になるのではないかと思います。
中東地域で起こった運動に関する報告書(「北アフリカ・サヘル地域の政治変容と安全保障」ITEAS・AAFDHS・JCMS共同報告書)に、抵抗運動とメディアについて、次のような記述がありました。
中東地域に広がる政治的抗議運動を「フェースブック革命」と名づけるのは、魅力的な誘惑である。……しかしインターネットは、全体の中の一つの部分に過ぎない。これまでも存在していた、いわば「古めかしい」テレビのほうが、政治的抗議運動を大衆運動に変化させる上で、おそらくより重要な役割を果たしている。
……
フェースブックとツイッターが果した役割は確かに存在する。チュニジアとエジプトでは、若者たちがこれらのツールを用いて考えを共有し、若者たちの何人かを新たなリーダーとして登場させた。……若者らはインターネットを使って、互いに結び付き、抗議運動を計画する。数百万のフォローワーらによって、メッセージが伝達されることで、多くの人々が通りに出てくることになった。
しかし、これらの若者らが革命をおこなったのではない。……
抗議に参加する人々の声は、数百から数千へと増加した。しかし数千は、まだ数万ではなかった。数万人が通りに繰り出すためには、もうひとつの変化が必要であった。2つ目の変化、これがテレビである。
テレビが登場してからも40年以上の間、中東・北アフリカの地域では大きな政治的変化がもたらされることはなく、1990年代に衛星放送が登場したことで、政府の情報管理制政策が形骸化したものの、アルジャジーラや類似の衛星放送がデモを引き起こしたということは、この15年の間ほとんどなかった。……
しかしチュニジア、そしてエジプト、バーレーン、リビアで抗議運動が始まった時期、前述したようにテレビが社会に変容をもたらした。テレビによって、それまで数千人規模だったデモ参加者が、数万人規模に膨れ上がったのである。それまで、抗議運動の起きた国々では、当局の検閲によって、抗議運動はそれぞればらばらにしか起こすことができなかった。検閲をかいくぐり、地域のテレビ局の開設が相次いだ。そしてあらゆるローカルな抗議運動は、全国ニュースそして国際ニュースに取り上げられることが可能になった。抗議運動について連日報道され、全国の視聴者は悲嘆の感情と危機感を抱いた。チュニジアとエジプトでは、数週間のうちに、軍が介入し、それまで批判することさえ難しいように感じられていた長期政権の座にあった大統領を追い出すにいたったのである。
まさに、抗議は、よいテレビをつくり、良いテレビは良い歴史をつくった。この抗議運動を拡大させたという歴史は、インターネットとテレビの間の相互作用によって生み出されたものである。リビアやイエメンのようにインターネットアクセスが比較的限られており、ソーシャル・ネットワークも普及していない国々でも、人々は同じように通りに繰り出した。これらの国々では、小さな抗議運動を一つの大きな運動にまとめる役割を果たすうえで、テレビの影響は大きかったと言える。
明日の脱原発アクションがマスコミでどのように報道されるか、楽しみです。