放射能汚染の被害額から考える「原発の本当の料金」

Tera-Eco5月号の編集長のコラムです。

事故から2ヶ月、福島原発事故の原因と結果を我々は少しわかってきた。

あらゆる状況でも津波に対応できる備えに関し、事業主である東京電力は明らかに先見の明がなかった。

そして、原子炉の設計ミスに目をつぶっていたとの疑惑もある、東電の無関心さ。さらに、管理文書の改ざん。

これらの要素が、予想外の信じられないほど巨大な津波がこの一帯を襲いかかったときに、不幸にも高額な費用をもたらした。

事故の公衆衛生に関するバランスシートが作成されなければならない。日本政府と東京電力の透明性の欠如が原因で、より巨額な補償金を要請する中身になるであろう。

チェルノブイリ事故から25年経った今でも、バランスシート問題は科学業界を分裂させる議論であり、福島原発についての討論でそれが終わっていないことを考えざるをえない。

我々はすでに、東京の3500万の住民が最悪の事態を逃れたことを知っている。

原発周辺の土地の一部では、多くの農作物が処分された。それどころか、住民は二度とそこへ戻れないかもしれない。

海に関しては、汚染があらゆる生態系に広がるだろう。

社会的、環境的、経済的な福島原発の費用は、少なくとも、非常に大きな工業事故の費用である。1年前にメキシコ湾にBPの石油掘削リグ「ディープウォーター・ホライズン」の爆発のように。

納税者の支持

しかし、今回はより深刻だ。BPとは違い、事故の費用を引き受けるのは東京電力だけではないと思われるからだ。

日本の納税者は、たぶん、費用のかなりの部分を負わなければならないだろう。彼らは二重に支払うことになる。

ひとつは直接の損害に対し、そして2つ目は損害の復興に対し。

ここで疑問がわく。原子力エネルギーの生産者は、不測の工業大事故の料金を受け入れるために経済的に備えていたのだろうか?

もし備えていないのであれば、納税者の並々ならぬ支援なしには機能しないのが原発だと象徴していることになる。

ここで、2つ目の疑問が出てくる。最終的に支払うのは国家だと言うのであれば、事業主はあらゆる不可欠な注意を払わず、そうした注意に対する度はずれな費用を引き受けなくていいのだろうか。

さて、逆に考えてみよう。

最大限の安全対策に関する調査費用のすべてを事業主が負うとしたら、事業主はそれでも原発の開発を行うだろうか?

 

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