フランスのネットメディア・メディアパルトに掲載された、IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)のジャック・ルプサール所長のインタビューの一部(かなり省略してます)翻訳です。記事は有料です。
日本へ行った際、福島原発へ近寄ることができたか? 現地の状況は?
作業員以外、誰も福島原発の施設内に入ることはできない。正確な状況については情報が不十分だ。たぶん、第2、第3原子炉の格納器がもれていると思われるが、それがどの位置なのかわからない。タンクなのか、原子炉の底の部分なのか、パイプなのか。
東京電力が現状を伝えないのは当然のことか?
状況を理解しなければならない。施設の状態はひどく悪化している。放射線量が高いエリアが多く、そこには誰も近寄れない。停電がつづき、ヘルメットの電灯で作業していたほどだ。多くのセンサーが壊れてしまっている。原子炉に近づくことができない。スリーマイル島のときも、炉心が溶融しているのを調査できたのは事故から6年後だった。
日本は情報公開を控えているのではないか?
「「控えている」という言葉は批判的であり、それには応じられない。ただ、東京電力のトップが全情報を提供しているとは思わない。社員の責任や階級といった日本文化も関係している。情報の透明性において、日本はフランスと同じ文化ではない。福島原発に関しては、事故初日に技術者が何をしたのかまったく知らされていない。原子炉がどのぐらいの時間停止したのか。壊れる前に使える時間がどれだけあったのか。活用できる時間が十分になかったのか、と考えることもできる。危機管理にきわめて重要な最初の数時間、原発で何が起こっていたのか。我々は何も知らない。
他に情報不足な点は?
プルトニウムが施設内で検出され、炉心の大規模な溶融の可能性が発表された。しかし、その後に入手した情報では、プルトニウムは一部の場所でしか検出されていないことがわかった。炉心溶解の論理は成り立たない。たぶん、プルトニウムは事故以前に存在しており、最近まで発見されていなかったのだろう。それを証明する資料は手に入れていないが…。
まだ情報が不足しているか?
コミュニケーションをとるには、人的資源が必要とされる。東京電力の技術者たちは収束しない事故との闘いをつづけている。それに専念しているのだ。危機的状況下でのコミュニケーションは、事前に組織化されている場合にのみ可能である。うまく組織化されたコミュニケーション体制は、人々のショックに対応するための本質だ。手段と準備の問題である。
住民にどのようなリスクがあるか?
原発周辺の20km圏内が避難地区となり、その判断は正しいと考えることができる。20~30km圏内の屋内退避区域は複雑だ。この地域は問題がないと私は言い切ることができない。日本政府は屋内退避するよう言っているが、いつになったら外に出ていいのかは言っていない。24時間か48時間たったら、あらたな決断をしなければならない。それがされていないようだ。必需品の供給がない状態で生活するのは不可能である。その区域内にスーパーはあるが、誰も食料の供給に行きたがらない。人々は汚染された食品の摂取についても恐れているが、他に選択肢がない。
日本は海外からの支援をもっと求めるべきではないのか?
アメリカの存在が大きい。核拡散や日米同盟の理由で、日米協力は非常に重要だ。アメリカは我々より情報を持っている。日本とフランスの協力関係は、特に核燃料再処理にあり、安全についてではない。
危機的状況において、協力関係は、事前に用意されていたときにのみ効果を発揮する。日本政府とIAEAの間でさえ、危機的状況での関係は準備されていなかった。このタイプの協力は、危機が起こる前に、事故の場合の措置への備えに同意していたときにはじめて機能する。
日本はなぜフランスが送ったロボットを受け入れなかったのか?
これも同じことで、ロボットを機能的に使うには、事前に準備が必要だったのだ。フランスのロボットは操作するための技術者がいなくてはならない。緊急の際に簡単にできるものではない。
ロボットが必要であれば、あらかじめ準備すべきだったと?
事前の備えは、原子力の危機管理で重要なカギとなる。適確な手順を事前に知っていたら、成功するチャンスは高くなる。福島原発事故の初日は、適確な対応策がとられず、失われた一日だったのだろう。たぶん、備え不足だったと思われる。津波が施設の管理を乱した以上に不利益を与えている。
地震や津波のある地域に原発を建設することが、まずもって事前の備え不足といえないか?
原発は地震には耐えうるが、津波は過小評価されていた。非常用発電機がずぶぬれになり、冷却を確実に行うことができなくなった。
安全基準を強化しなければならないか?
本質的な防護予測に関して、基準は十分ではない。事業者は、基準を、達成すべき目的のように考えている。基準を超える可能性がある、という基本からはじめなければならないだろう。それを実現するには、事業者と専門家の議論が必要だ。レベルの国際基準に関する原子力安全計画も、まだ多くの改善の余地が残されている。
福島事故の後、状況は変わるか?
障害があるときだけ大きな進歩がある。そう言ってしまうのは悲しいが、そういうことなのだ。