チョコレートの歴史 中南米からフランスへ

カカオのルーツは、アマゾン川上流地帯及びベネズエラのオリノコ川流域、中南米地帯のメソアメリカ。

メソアメリカのオルメカ文明、マヤ文明、アステカ文明では、カカオは生活の中心でした。古代メソアメリカでは、カカオは豊饒のシンボルで、神々に捧げられていました。

また、通貨としても利用されていて、1520年頃には、カカオ100粒が奴隷ひとりの値段に相当していました。

カカオには優れた薬効成分が含まれ、先人たちは、歯痛、炎症、強壮、解熱などにカカオを利用していました。

カカオ豆を生のまま食べていたのですが、ローストしたときの芳香と味の良さを知り、焼いたカカオ豆をすりつぶして飲用するようになりました。これが飲むチョコレートの始まりです。

当時のチョコレートドリンクは、カカワトル(カカオの水)と呼ばれていて、すりつぶしたカカオ豆に水を加え、とうもろこしの粉、トウガラシ、アチョテ(食紅のようなもの)や数種のバニラを混ぜて泡立てた、ドロドロした飲み物でした。

アステカの人々にとって、カカワトルはパワードリンク。皇帝モクテスマは、一日に50杯ものカカワトルを飲み、ハーレムに入るときにも必ず携えていたといいます。

16世紀、スペイン人のエルナン・コルテスがメキシコを征服します。彼はアステカの都を発見し、カカワトルに出会いました。そして、カカオを国に持ちかえり、カルロス1世に献上したことから、カカオはヨーロッパへ伝わります。

1570年代にメキシコで「チョコラテ」という言葉が使われるようになり、今でもスペインでは「チョコラーテ」と呼んでいます。これが英語読みの「チョコレート」になったのです。

スペインでは、お湯で溶かし、砂糖を加えます。スペインでカカオの栽培も始めますが、その製造法は門外不出で、長い間、スペインから多国に伝わることはありませんでした。

1世紀にわたり、スペインの秘法とされていたチョコレートは、17世紀に国外に流出します。スペインの宮廷に出入りしていたイタリア商人アントニオ・カルレッティによってイタリアへ伝わります。

その後、フランスのルイ13世が、チョコレート愛飲家であるスペインのアンヌ・ド・オートリッシュ女王と結婚。その際、チョコレートのシェフを一緒に連れて行ったことで、フランス貴族の間に広まりました。

ルイ14世も、チョコレート愛飲家であるスペイン王女マリア・テレサと結婚。彼女は、「王とチョコレートは我がただ二つの情熱なり」という言葉を残しています。これにより、フランスでもチョコレートが定着し、ヴェルサイユ宮殿で好まれました。

1745年、ジャン・エディエンヌ・ルオタールは「チョコレートを運ぶ少女」 を描きました。この原画はドレスデン美術館に所蔵されています。

イギリスでは、貴族だけでなく、チョコレートハウスと呼ばれる専門店で飲むことができる、身近な存在でした。1657年、イギリスの新聞「パブリック・アドバイザー」に、当時オープンしたチョコレートハウスの広告が出ました。「ビショップゲート街クインズヘッドにある店で、チョコレートという西インド諸島のドリンクを売っている」というもの。チョコレートハウスは、社交場から政治経済を討論しあう場所へ、やがては売春婦などの溜まり場となり、ついに姿を消しました。

1828年、オランダ人バンホーテン(1801~1887年)が、脂肪分を大幅にカットする技術と、カカオの酸を中和させる技術を発明します。搾油用のプレス機を開発し、脂肪分28%の低脂肪ココアケーキ(脂肪分を取り除いたあとの固まり)を作ることに成功しました。これを粉末状にしたものがココアです。さらに、ダッチングというアルカリ処理をしてカカオ豆の酸を中和する方法を発明。これにより、色調に深見が出て、ココアパウダーの溶け方がよくなり、味がマイルドになりました。

1847年、イギリスのフライ社が、カカオのペーストに砂糖を混ぜたものを食べるチョコレートとして発売します。ココアバターを混ぜ合わせることで、口溶けのよさをアップしました。ただし、かなり苦味が強かったといいます。

1866年には、イギリスのキャドバリー社が粉末ココアを発売し、たちまち評判に。

1876年、スイス人のダニエル・ピーターが、カカオペーストと砂糖、ミルクを混ぜ合わせた液体のものを乾燥させて粉末にし、そこへココアバターを加えるという画期的な製法を発明し、ミルクチョコレートが誕生します。彼が使ったミルクはネスレが開発しました。

1879年、スイス人ロドルフ・リンツが、味をまろやかにするコンチェと、チョコレートの粒子を細かくすりつぶすレファイナーという2つの機械を発明。コンチェは、生地を時間をかけて練り上げクリーミィに仕上げるもの。コンチングと呼ばれる製造工程で、発明当時は72時間かけて行われました。余分な水分や匂いが取り除かれ、味が均一になり、なめらかな舌触りがでてきます。レファイナーは、粒子をミクロンのおおきさまですりつぶすことが可能な近代機械でした。

18世紀、チョコレートはアメリカへ渡ります。ハーシーの創業者、ミルトン・S・ハーシーも、この頃チョコレート作りをはじめています。

1981年、フランスには、「クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ」という愛好会が誕生しました。設立の中心人物は、料理評論家のクロード・ルベ。ジャーナリスト、デザイナー、俳優や芸術家などがメンバーで、会員数は150人に限定です。年に数回チョコの試食会を行い、4年に1回程度、チョコをランク付けした本『Guide des Croqueurs de Chocolat』 (Stock)を発行しています。

 

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