パリのセーヌ川沿い古本屋「ブキニスト」の歴史 1/2

フランス・パリのセーヌ川沿いに軒を並べる古本屋「ブキニスト(Bouquinistes)」。セーヌ川両岸に並ぶ約1000軒の店は、1991年にユネスコの世界遺産(World Heritage)に登録されています。

17世紀からパリの風物詩となっている、深緑色の売店の露天書店の歴史をたどってみます。


1450年にグーデンベルグが印刷技術を発明する以前から、書籍の販売は13世紀の大学の設立に重要な役割を果たしてきました。大学の「書店ギルド組合」は、1259年にはじめて作られました。年1回、6月10日のサン・ランドリー祭では、書店ギルド組合が移動式売店に、それぞれの店が手作りした書籍を販売しました。

印刷技術の発達にともない、書籍ビジネスは拡大し、16世紀からは、許可もしくは無許可の書店や闇の商人、行商人、露天商が増えてきました。

商人たちは、本を架台にのせたり、地面に布を広げたりして、通行人に本を販売しました。また、木製の箱を備えたり、革バンドを首から下げて胸のあたりに本を抱えて、道をブラブラ歩いて売っていました。

権力者たちは、法を逃れようとしている多くの書籍商人の増加を良く思っていませんでした。彼らは、あらゆる社会階級に新しい考えを広め、領主や宗教の古い組織を倒壊させるとして、印刷と同様の状況に追い込まれたのです。

本の販売は、正式に規制されることになりました。トリエント公会議の翌日、1559年に書籍の発禁目録が作られ、1571年には、発禁する書籍と著者を排除する専門の委員会が設置されます。

こうして、書籍商人は、暦、勅令、命令、8ページ以下のパンフレットしか販売できなくなってしまいます。それであっても、禁止の書籍は発行されつづけ、商人が減ることはなかったのです。

1577年6月27日の勅令では少数の古本商人が盗賊や隠匿者とみなされ、翌年の裁判の判決には10人の行商人の存在が確認できます。書籍の行商人は指定された場所でのみ商売ができました。16世紀末から17世紀の初頭、すべての書籍商人、特に行商人は、勅令、命令、判決に脅かされていたのです。

セーヌ川にかかる橋ポン・ヌフは、約3世紀の間、書籍ギルド組合と権力者に対して、書籍ビジネス(行商人、書籍商人など)の闘いの場となりました。それは、橋が完成した1606年7月に始まりました。数年後、ポン・ヌフは、そこに定着した商人が訪問者をひきつけるのに一役買い、通行人が増加しました。

1614年頃、重なる判決の後、毎年納付金を支払うことで、書店は、ポン・ヌフとその周辺の岸に移動式の店を持つ権利を手に入れました。しかし、1620年頃、日曜日と祝日の商売は禁止になりました。当時、24人のブキニストが存在していました。

1628年、書籍行商人は、移動式書店とともにポン・ヌフから追われ、1640年になるまで、彼らはポン・ヌフに書店を持つことができませんでした。そのとき許された条件は、日の出から夜までの開業でした。

書店は不安をいだきながらも、商売は繁栄しましたが、1649年、露天商は商売が傾き、ポン・ヌフに露天を開くことも、本を売ることも禁止すると規制されることになります。これは偶然にも、フロンドの乱の時期と重なり、ポン・ヌフの上では、宰相マザランへを批判したパンフレットや三面記事新聞が売られていました。そのときは、露天商への反対は少なく、それどころか、オーストリアのアン王妃の役人は、彼を批判する記事を売りたいという書店を支持しました。

しかしその後、書店や印刷屋は店の中に退散し、書籍商人は行くところがなくなってしまいます。

年数が過ぎ、少しずつ、本がポン・ヌフや、セーヌ川岸、サン・ミッシェル橋の周りに再び現れはじめました。

17世紀末から18世紀初頭、ブキニストは、人権宣言に厳しく弾圧されながらも、倍増していきました。古本や新刊本が架台や歩道の上に積み重ねられ、橋や岸、道のいたるところに、新刊本や古本の商人がいたのです。

この時代、一般本、風刺、政治や宗教のパンフレット、初期活字本といった、あらゆる種類の書籍が、手ごろな価格になりました。

しかし、ブキニストは、今回も窮地に追いやられます。権力者たちが、印刷屋、製本職人、書店主、特に露天のブキニストに対して再び規制を厳しくしはじめたのです。1721年10月20日にルイ15世の勅令が発令され、公共の場での新刊本および古本の販売が禁止されました。

それから数年間、ブキニストと警官との闘いがつづきました。新しい露天商が現れるたびに、新しい命令が発令され、警官は反抗分子を刑務所に収監しました。

1740年4月9日、警察の命令により、ポン・ヌフの露天商は、夜間に露天を置きっぱなしにすることを禁じられました。

1756年7月15日、ポン・ヌフでのあらゆる商売が禁止されました。このとき初めて、この命令は完全に尊重され、広く行き渡りました。ほんの少しの商売がポン・ヌフで再びはじまったのは、1775年になってからです。

ブキニストという言葉は、1789年のアカデミー・フランセーズの辞書に記載されています。

ルイ16世の穏健な体制下、ポン・ヌフの露店商人の数は増え、自分たちの売り場を確保していきました。ポン・ヌフ、ドーフィーヌ地域、セーヌ川岸は、社交と文学の場でとなり、露天のブキニストにとっても平穏な時代となったのです。

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