2014年5月6日、「今、伝えたいこと(仮)」をはじめ、福島県立相馬高校放送局が制作したラジオドキュメント、テレビドキュメントの上映会に行ってきました。
当放送局は、2013年度JCJ(日本ジャーナリスト会議)特別賞を受賞しています。
仙台で2012年12月、原発をテーマにした演劇「今、伝えたいこと(仮)」のライブを観ました。
DVD上映とは違い、女子高生たちの生の叫びは強烈でした。
上演後のトークショーでの彼女たちの会話もまた、深く胸に突き刺さりました。
以下、彼女たちのお話です。
芝居をやることで、当時のことを思い出し、つらい。
後半の観客席に向かって叫ぶシーンは、練習の時も本番の時も、毎回つらい。
思い出すのがつらくて、本当は忘れてしまいたいぐらい。
忘れたら、原発とかどうなるのかと考えると、忘れるわけにいかなくて。
シナリオは実体験を集めて書いた。普段言わなくてもいいようなことも言って。
自分のつらいことを掘り起こして他人に話すのは、聞く側もつらい。
「地デジ買った?」という普通の会話でさえ、そのひとつひとつの会話が地雷になるかもしれない。
普段の会話で、使わなくてもいい気をつかうようになった。
つらかったことは話すのも聞くのもつらい。
私は被害が少なかったので、「自分はどうしてこんなに幸せなんだろう」と思ったりする。
音響を担当しているが、毎回涙が出る。
観客が涙を流している音が聞こえ、真剣に聞いてくれているのがわかり、うれしかった。
家の中も毎時0.2マイクロシーベルトで、放射能は本当に怖いです。
原発に関しては、しょうがないかな、とあきらめた部分もある。
普段あたりまえのもののありがたみ、価値観が変わった。
いつも「おはよう」と言っていた人がいなくなって…。
日常の幸せをかみしめている。
さて、5月の今回は、「相馬高校から未来へ」と、NHK・Eテレ『東北発☆未来塾』でこの4月に4週にわたって紹介された、映画監督の是枝裕和さん監修によるドラマ「これから。」とテレビドキュメント「見えぬ壁」も 上映されました。
「今、伝えたいこと(仮)」と「これから。」にたずさわった簑野由季さんと藤岡由伊さん、顧問の渡部義弘教諭が絶妙なかけあいで裏話を披露してくださいました。
脚本・演出をした簑野由季さんは、なぜタイトルに「(仮)」をつけた理由について、「『今、伝えたいこと』は、これだけではなく、状況が変化するにつれて、『伝えたいこと』は移り変わり、これからもつづいていく」と説明。
この作品では、望ちゃんという高校生が自殺をしてしまうのですが、「酪農家が『原発さえなければ』と遺して命を絶った話を聞いたので。原発のせいで死を選んだということを、世の中の人は知らないし、震災のことも忘れている」との思いで、脚本を書いていったそうです。
初挑戦となったテレビドラマ「これから。」は、女子高生3人が卒業前にタイムカプセルを埋めるお話。
「震災ものはもういいかな」と思ってたそうですが、「3年経って、日常に震災がある、という現実、素朴な日常生活の今を伝えようと、この作品を作りました」
このドラマでは、「5年後にタイムカプセルを掘りだそう」と決めたのに、「福島には行けない」と友人の親に言われるシーンが出てきます。これは、簑野さんの実体験だそうで、「現地に住んでいる人はどうなの? と腹立たしい気持ちになる」と複雑な心境を吐露。
タイムカプセルを掘り出すのは30年後。女の子のひとりは、まだ復興していない街の写真を、「これが私たちの今。30年後はもっと良くなっているかも」と言って、カプセルに収めます。
福島の知り合いの娘さん(高校生)が、「『40歳になったら相馬の海に行きたいね』と友だち同士で話すんだ」と言っていたのを思い出しました。
福島の高校生とっての30年は、単なる時間の問題だけでなく、放射能という呪縛につきまとわれた、長く重い年月であり、それが彼ら/彼女たちの未来であるのです。
仙台で学生生活をはじめた藤岡さんは、「宮城県にいても、福島のニュースは入ってこない」と風化してしまうことに危機感を抱いていました。
また、今年2月に神戸の高校生と被災地を訪問したときの印象として、「石巻には高校生が運営するカフェがあった。津波の被害にあった地域は、力を合わせて復興しようとしているけど、福島は分断されて、一緒にやろうという雰囲気になっていない」と述べました。
テレビドキュメント「見えない壁」は、「語ることのできない」福島の現状を伝えています。
簑野さんはもどかしそうにこう言いました。
「津波や原発は同じでも、それに対する思いはひとりひとり違う。イヤだという人もいるし、もっと掘り下げたい人もいる。同じ震災を経験したのに、わかりあえない…」
(2014年5月7日)