恵庭OL殺人事件の動機は”女の嫉妬”?司法精神医学では

20年前、三角関係のもつれから同僚女性を殺害し、死体を焼損したとされる事件が、マスコミでセンセーショナルに報道されました。北海道恵庭市で起きた「恵庭OL殺人事件」(以下、恵庭殺人事件)です。

動機は「三角関係のもつれ」?

この事件で有罪判決を受けた女性は、無実を主張し、冤罪を晴らすために、再審を求めています。これまで2回、再審請求を申し立てましたが、2018年3月20日に第2次再審請求が棄却され、2021年4月、第二次再審請求の特別抗告審も棄却されました。

恵庭OL殺人事件は、2000年3月17日午前8時20分ごろ、北海道恵庭市の農道で、女性会社員Hさんが焼死体で発見され、同僚である当時29歳の女性が殺害したうえ、死体に油をかけて焼損したとされる事件です。

女性(以下、Aさん)は一貫して犯行を否認しましたが、同年5月23日に逮捕され、2003年3月26日、懲役16年の有罪判決を受けました。控訴、上告しますが、いずれも棄却され、2006年10月に有罪が確定しました。

恵庭殺人事件は、犯罪事実を直接証明する直接証拠がなく、状況証拠によって有罪を認定しているのが特徴です。つまり、自白や目撃証言、決め手となる物証などはなく、犯行の存否を判断する根拠となる間接事実を証明する複数の状況証拠を組み合わせて、有罪を認定しているのです。

その状況証拠のひとつが「動機の存在」で、「三角関係のもつれによる女性の嫉妬」が動機とされています。

事件当時、札幌市に住んでいた私は、新聞やテレビのセンセーショナルな報道を毎日のように見聞きし、非常に不快に感じていました。ちょうど7年間の海外生活から日本に戻ったばかりで、ヨーロッパのフェミニズムのようなものにかぶれていたこともあり、この“恋愛がらみの殺人事件”というシナリオに強い違和感を抱いたのです。

嫉妬は恋愛にともなう感情のひとつで、特殊なものではありません。以前暮らしていたフランスでは、嫉妬がよく話題に上りました。恋愛が殺人に発展するケースは意外と少なくないため、そうした観点から、嫉妬をはじめとするさまざまな感情が議論になっていました。

殺人に発展する嫉妬は、日常的な嫉妬とは違い、病的な側面を伴っています。しかし、恵庭殺人事件でいわれる嫉妬には、そうした異常さがみられませんでした。

自分の交際相手Bさんが、被害者Hさんに交際を申し込んだ矢先、AさんはHさんに悪感情を持ち、繰り返しいやがらせ電話をかけ、殺害した。

これが、動機です。

嫉妬心が芽生えてから、犯罪にいたるまでの期間は、10日足らずでしかありません。

海外の司法精神医学で注目される嫉妬殺人

嫉妬(jealousy)はほとんどの人が経験する感情のひとつといえますが、病的嫉妬や嫉妬妄想は犯罪を引き起こす動機となるため、海外では司法精神医学の分野で扱われています。

ストーカーや家庭内暴力、デートDVなどのなかには、嫉妬が動機のケースもあるのですが、日本では、司法精神医学や司法心理学において、嫉妬に関する研究は進んでいないようです。

司法精神学の分野での嫉妬の調査のひとつに、クロアチアの司法精神医学の専門家らの研究論文「Forensic Importance of Jealousy(嫉妬に関する法医学の重要性)」(2003年)があります。この論文は、「嫉妬」が動機となった殺人および殺人未遂の加害者の司法精神学的特徴を明白に定義する目的で、200人に聞き取りを行い、分析したものです。これによれば、嫉妬による殺人犯は、病的嫉妬、妄想性障害、統合失調症と深いかかわりを示すことが判明したといいます。

それでは、恵庭殺人事件の「三角関係」はどのようなものだったのでしょうか。

恵庭殺人事件の主任弁護人・伊東秀子弁護士が書いた『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』によれば、三人の関係は泥沼になっていたわけではないようです。

3人はN社の同じ部署に勤務し、Bさんは、2人の女性の直属の上司でした。Hさんは当時24歳。1998年10月にアルバイトで入社し、1999年7月から契約社員となり、10月に当部署に移ります。Aさんは1998年1月にアルバイトとして入社し、7月から契約社員となりました。女性二人の間で大きなトラブルはなかったようです。同部署の同僚女性は、「お互い良いイメージを持っていなかった」(大意)といった供述をしていますが、特段「仲が悪かった」との証言はないようです。

AさんとBさんは、交際をはじめて1年ほど経った1999年暮れごろから関係がギクシャクしていました。

BさんがHさんと二人だけで会ったのは同年3月4日。

3月8日、Aさんは、Bさんの車が被害者の自宅に入るのを、偶然見てしまいますが、同日、Bさんから連絡があり、「勘違いだったのか」と思い直します。それでも、二人が交際しているのではないか、と落ち着かない気持ちはつづいていました。

3月11日、BさんはHさんに交際を申し込み、快諾を得ます。その深夜、Aさんはドライブの途中でたまたま、BさんとHさんの車らしい2台が駐車しているのを発見します。

3月12日の夜、BさんはAさんに会っていますが、別れ話を切り出してはいません。

Aさんは、BさんがHさんと会っているかを確かめたくなり、Hさんの携帯電話に電話しつづけます。Hさんの携帯電話へのリダイヤルは、3月12日4時51分ごろから、16日午前7時40分ごろまでの間に220回。そのうち、コール前に切ったのが100回、コールされて相手が出る前に切ったのが82回、相手が出て3秒以内に切ったのが26回、通話料を支払ったのは12回分です。

繰り返し電話をするのは良いことではありませんが、女性の嫉妬が、浮気相手の女性への憎しみに向けられることは、心理学で知られており、わからないでもありません。

Aさんは、以前からBさんとHさんの関係を疑っていた可能性はありますが、二人が会っているのを知ったのは、3月8日です。

つまり、この事件の認定では、三角関係がわかって1週間で絞殺・焼損を計画し、周到に実行したということになっているのです。

『Forensic Importance of Jealousy(嫉妬に関する法医学の重要性)』では、嫉妬心が最初に現れてから実際に犯行におよぶまでの期間も書かれています。

アルコール依存症と診断された加害者は、嫉妬心が生まれてから犯行までに5年以上の潜伏期間を持つ人が多い(9%)といいます。

パーソナリティ障害と診断された加害者は、1年で過失を犯すケースが最も多く(19%)、次が5年以上経ってから犯行におよんでいます(18.5%)。

統合失調症および妄想障害では、最も多いのが1年未満(8%)です。

すべての分析結果が記載されているわけではないため、嫉妬心が現れてから数日の短い期間で罪を犯したケースもあったのかどうか、わかりません。

ただ、「病的嫉妬の症状のない加害者は、多くの場合、加害者と被害者の間に長い葛藤がある」と記述されています。

嫉妬は、腹立ち、激怒、憎しみ、恐れ、不安、悲しみ、失望といった感情がからみあい、そうした感情が繰り返されて、長期間にわたって苦しみ、悩むのが一般的なパターンといえます。

それを考えれば、たった10日で殺人を決意して実行するという恵庭殺人事件の設定は、あまりにも常識から外れています。

海外論文にみる嫉妬殺人の実態

嫉妬が動機の殺害が最も頻繁に起きる現場は、家の中(50%)で、次が公共の場です。

被害者となるのは、配偶者が62%、もしくは結婚していないパートナーが19%で、既婚者が70.5%と多く、未婚でパートナーがいる人が11.5%となっています。

病的嫉妬の症状のない加害者のうち、配偶者かパートナーの恋人に危害を加えたのは9.5%でした。
被験者200人のうち、女性は11人で、男性は189人。男性が圧倒的に多いのですが、「男性のほうが女性より嫉妬深いという意味ではない」とあり、「女性は統合失調症の病的嫉妬が、男性はアルコール関連の精神病が多い」そうです。また、「病的嫉妬は、男性のほうが多くみられ、危険な状態であり、殺害や自殺の行動に走りやすいため、精神科医は注意を払うべきである」と忠告しています。

論文からは、病的嫉妬の加害者と、そうではない加害者の割合がわからないのですが、病的嫉妬の症状がない加害者は、解離性パーソナリティ障害(45人)、神経症を含むパーソナリティ障害(43人)、妄想性パーソナリティ障害(数名)の診断を受けているとあります。

また、病的嫉妬ではない73人の加害者には、一時的な精神障害がみらました。

病的嫉妬の加害者では、統合失調症が16人、妄想障害が16人、アルコール関連の妄想が9人にみられました。

病的嫉妬の場合、そうではない加害者に比べて、過去に精神科病院に入院した経験がある人が多く、統合失調症が最も多い入院理由です。

病的嫉妬の症状のない加害者も、アルコール依存症およびパーソナリティ障害/神経症で入院しています。

アルコールは、病的嫉妬の症状のない被験者の犯罪の大きな要因になっています。飲酒中に犯罪におよんだ人は、病的嫉妬ではない加害者の43.5%にのぼり、病的嫉妬の加害者21.5%の2倍です。
女性のアルコール依存症の場合、過失を犯すまでに数年間の慢性的嫉妬妄想が認められる人と、急性の妄想を発症する人がいるそうです。

病的嫉妬の症状のない加害者の67%は、犯罪につながる特別な情動状況が存在しましたが、病的嫉妬の加害者にはほとんどありませんでした。病的嫉妬の加害者は、責任能力がないとみなされ、病的嫉妬ではない加害者の37.5%が、明らかに精神能力が低いことが示されました。

この論文では、「“通常”および病的嫉妬は明白に線引きできない」としながらも、「①通常」「②病的ではない嫉妬」「③病的嫉妬」の3つに区別することを提案しています。

  1. いわゆる通常の嫉妬で、人間がみな経験し、精神疾患と診断されず、周囲の人、特に恋人および性的パートナーとの相互作用による嫉妬。
  2. “アブノーマルな”嫉妬で、パーソナリティ障害レベルの精神障害の一面を持ち、精神的に引き起こされた障害、精神的情動反応、アルコールまたは薬物依存症などが含まれるが、精神障害には至らない嫉妬。
  3. 病的嫉妬で、妄想または妄想と同等の性質を持つ嫉妬。

論文は、「正確な嫉妬の区別および評価は、司法精神医学の専門知識および様々な治療法の両分野において重要である」と結んでいます。

”女の嫉妬”は根拠のない動機づけ

司法精神医学の面から恵庭殺人事件を検証すると、何を根拠に「嫉妬」を動機にしたのかが明らかではなく、その動機づけは客観性に欠けるといえます。

犯人とされる女性は、病的嫉妬と診断されてはおらず、精神疾患の病歴については、少なくとも勤務先では特に問題にされていたという話は出ていません。

車内での犯行とされていることから、アルコールの影響ともいえず、アルコール依存症についての指摘もなかったと思われます。

その一方で、この事件が「嫉妬」を動機とする可能性は否定できまず、その場合、加害者と被害者の関係がいまとは異なり、まったく別のストーリーが推定できます。

ちなみに、恵庭殺人事件では、被害者Hさんの交友関係や関係者のアリバイなどの全容が明らかにされていません。

被害者の死体は、目隠しされ、下半身、特に局部の焼損程度が激しく、開脚状態で発見されました。

弁護人らは複数による性犯罪の可能性を主張しましたが、被害者の死体が開脚状態だったことなどは「性犯罪が行われたとの根拠としては甚だ乏しい」と確定判決で否定しています。

ところが、第2次再審請求では、性暴力の可能性を示す新証拠が提出されました。吉田謙一氏(東京医科大学教授)の意見書によれば、被害者の死因は、「頸部圧迫による窒息死」ではなく、薬物使用による中毒死が推測されるというのです。吉田氏は第2次再審請求中の記者会見で、「薬物などを使って、女性を動けない状態にして、それから性的な暴行を加える、というのは一般的に非常によくあるケース」と述べていました。

現在であれば、性犯罪に強く抗議する動きになるのかもしれませんが、事件当時は、大きな声は上がらず、性犯罪を疑うマスコミ報道もほとんどありませんでした。

被害者が性暴力を受けているのであれば、命を奪われただけでなく、屈辱的な深い傷も負ったことになります。

2004年3月に札幌市内で開催された恵庭冤罪事件被害者支援会のシンポジウムに参加し、私はアンケートにこう書きました。

「『三角関係のもつれ』云々という、警察やマスコミの見方は男性側からの決めつけであり、その中にも日本社会のひずみを見ることができます。この冤罪事件は、冤罪と言う重大な過失とともに、弱い者いじめや差別なども含んでいるのではないでしょうか。報道のあり方についても深く反省させられました」

この思いは、いまも全く変わっていません。

(2020年7月24日)

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