海外で活躍する医師で人材確保と地域医療活性化

『月刊自治研』2014年10月に掲載された記事です。

海外で活躍する医療従事者の受け皿となり
人材確保と地域医療活性化を目指す

地方の病院はどこも、医師や看護師の人材不足が深刻だ。北海道も例外ではない。その北海道で、「海外勤務や海外留学の経験者で医師不足を補う」画期的な試みをはじめた病院がある。北海道社会事業協会余市病院(以下、余市協会病院)だ。

地域医療に熱意を持つ医者は限られている。派遣会社からは望みどおりの医師が来るとは限らない。他の地域でがんばっている医者をいい条件で引き抜きぬくようなこともしたくない。

地方の病院に質の高い人材を集める「何か新しい道」を考えあぐねていた余市協会病院の吉田英明院長のもとに二年前、タイから帰国した森博威医師がやって来た。それがきっかけとなり、二〇一三年十一月に「地域医療国際支援センター」準備室が設置され、今年四月から本格的に始動の運びとなった。

今回は、全国的にも珍しい取り組みに挑む余市協会病院を訪ね、吉田秀明院長と森博威医師に、現在抱えている課題や今後の抱負などについてお話をうかがった。

内科医ゼロでも標準レベルの医療を

余市協会病院は、北海道社会事業協会が展開する病院のひとつ。北海道社会事業協会は、一九二二年(大正十一)七月、当時は皇太子だった昭和天皇が来道の際、社会福祉振興のために下賜された五〇〇〇円を基に発足し、初代理事長は北海道庁長官が務めた。現在、余市の他に、小樽、岩内、函館、洞爺、帯広、富良野と七つの病院をもつ。

余市町は、北海道の積丹半島のつけ根に位置する、人口は約二万人の町。この秋放送開始のNHK連続テレビ小説「マッサン」の舞台の地で、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝がスコットランド人妻リサと暮らした町として知られる。

余市協会病院の診療対象は、余市町、古平町、積丹町、赤井川村、岩内町の五か村町の約三万五千人。圏内ではここが唯一、本格的な入院診療に対応できる公的病院だ。一六八床のうち、人員不足でも、急性期六〇床、回復期二五床、障がい者・慢性期中心病棟六〇床を稼働している。

余市協会病院は地域の基幹病院として、標準レベル以上の医療を提供しつづける。余市町は小樽まで車で二〇分強、札幌の西部までは四〇~五〇分で、中心部までも一時間の距離。町民には小樽や札幌の病院に通う選択肢もある。「『田舎で田舎診療』をやっていたら、患者に見放される」と、吉田院長の意識は高い。

余市協会病院に危機が訪れたのは二〇〇四年の新臨床研修制度が施行された年。それまでいた十三人の常勤医師が、婦人科、眼科、脳外科の引き揚げで、五人に減り、内科医がゼロになったのだ。

「通常なら病院はつぶれるか、縮小、あるいは診療所に格下げされますが、ぎりぎり持ちこたえてきました」 吉田院長が外科医でありながら内科も兼任してしのぎ、この地域の医療を支えてきた。

余市協会病院はこの一帯の最後の砦ともいえる、救急医療機関でもある。救急は原則断らないのがモットーで、積丹半島の東半分一帯から来る救急車に対応し、年間八〇〇人以上受け入れている。

救急隊所有の携帯電話を病院で預かり、医師が直接電話を受けるホットラインシステムを導入。二四時間体制で医師が救急応対する。

「統計は取っていませんが、救急隊が傷病者に接触して、病院が決まるまでの時間が日本一短いと豪語してるんですよ。救急隊が『こういう人いますが…』と直接電話してきて、病院側が『はいどうぞ』と返事をすれば、即座に受け入れが決まりますから」と吉田院長。ただ、決して無理はせず、たとえば、生命にかかわる重度の脳卒中や心筋梗塞などの場合は、当直医が迷わないように、最初からしかるべき医療機関に送るよう決めてある。

ひとり分を数名で補う新システム

数多くの手術をこなし、内科も担う毎日は、吉田院長はじめここの医師たちにかなりの負担となっている。しかし、なかなかいい人材には恵まれない。

状況が改善されないなか、吉田院長は一〇年ほど前からある構想をもっていた。「海外留学や海外ボランティアで働いている医師で人材を補えないだろうか」というものだ。

「海外に出た同級生の医師が、『日本に戻ってきたときに安定して勤める病院がなくて困っている』と言うのを聞いていましたので…」

常勤の医師を雇いたいのはやまやまだが、地方でそれは望めない。であれば、三~四人で交代して一人分を一年間暇なく埋めるシステムを構築したらどうか。海外で活躍している医師はすでに一人前。モチベーションが高く優秀で、こちらも学ぶべきことが多いだろう、と。

この構想は、森医師の派遣赴任でいっきに現実味を帯びることになる。

タイのマヒドン大学で研究をつづける森医師は、「海外に出た医師の日本での働き場」を模索していた。

「僕自身もそうですが、海外と日本を行き来している医師は、帰国したときに働く病院なかなか見つからないんです。病院は一年間働いてくれなければ困るので…」

若くして海外に出た医師は、日本に人脈もなく、帰国後に就職難に陥るという。せっかくの海外での経験を生かす場が用意されていないのだ。

地域医療と国際支援とはあまり関係がないようだが、実は両者には類似点があるそうだ。

「海外の困っている人の役に立ちたい、と思っている医師のほとんどが、日本の地域で役に立ちたい気持ちが強い。海外でも日本でも、困っている地域で一生懸命働くという点でかなり共通しています」と森医師。

余市に来たころ、森医師はちょうど「この先」と考えていた時期でもあった。宮古島で内科医として、タイで研究者として働き、次のステップとして、「若手を育てなければ」との思いがあった。「医師や看護師が日本でスキルアップできる職場があり、そのうえで、海外に堂々と胸を張って行ける。そうした環境を作るのが、自分が貢献できる一番のことだと感じたんです」

余市町と病院を「すばらしい」と気に入ったのも、森医師がここに留まろうと決意した理由だ。人手不足で不完全な状況でありながらも、標準レベルの医療を実施している病院の姿勢に心打たれたという。

「ここで温かく迎えられ、必要とされていた観が強かったですね。役に立てることはあるんじゃないか、と思いました」

ただ、ひとりでは心もとなかったため、海外で知り合った仲間の医師三人に見学に来てもらった。訪れた医師たちの評判は上々で、「また来たい」との声を聞き、「これはいける。仲間が一緒に働いてくれれば、病院は変わっていく」と確信したという。

こうして、森医師と吉田院長の構想が合致し、森医師をセンター長に「地域医療国際センター」がスタートした。

センターの目的の柱は、「国内外の地域で働く医療事業者の支援」「研修プログラムの提供(短期~長期)」「国際支援」「教育活動」。

喫緊の事業は、内科医を補うための、海外経験のある医療事業者の受け入れだ。実際の状況はどうか。

森医師はタイで三か月研究するという契約があり、三~四か月おきにタイに一か月滞在し、残りの九か月は余市病院に勤務する。この十一月にもタイへ行くことになっており、その間、マヒドン大学で知り合った呼吸器の医師が余市で働く。

二〇一四年九月末現在、タイ国境の難民キャンプでボランティアをしている小児科医も勤務している。

先日も「国境なき医師団」の医師から連絡が入り、需要は多いとみている。ただ、三~四人で入れ代わり立ち代わり勤務するのは、言うのは簡単でも、実際に調整するのは難しい。「いろいろ苦労しています」と森医師。

とにかく、余市で軌道に乗せ、ひとつロールモデルを作るのが目標だ。そして、「こういうやり方がある」「やる気のある医師が来る」と他の地域にも広まることを期待する。マンパワーが充実して力をつけていけば、国際支援も展開できる。

一〇月には、アフリカで働く外科医が見学に来る予定だ。紛争地帯で奮闘している医師だが、ここ三年間は外科手術から離れている。「ならば、手術数が多く、腕のいい外科医がいる余市協会病院がベストだと思ったんです」

緩和ケアやプライマリーケアであれば、余市協会病院以外に紹介する病院の当てがある。いずれは、目的に合わせて病院をマッチングさせるのが理想だ。「海外に理解があり、医者不足で困っている病院と手を組み、ネットワークを作りたいですね」

余市で数人雇っても頭打ちになるのは明らかだ。他に困っている地域はたくさんあるため、北海道だけでなく、関東ではここ、九州だったら、沖縄だったら、と受け皿を増やさなくてはならない。

地域医療を担う人材育成のための研修を

地域医療国際支援センターは研修プログラムにも力を入れる。余市協会病院はもともと「地域医療研修協力病院」でもあり、平均して一か月に二人ほど研修医を受け入れてきた。

研修医に関しては、都市の研修機関病院は見学型の研修がいまだ多いといわれ、ここに来た研修医は、「はじめて医者になったと実感した」などの感想をもらすそうだ。

「研修医にもひとりで当直をさせてます。ただし、僕ともう二人の医師の住居が病院敷地内にあるため、研修医ひとりのようで、実際はつねに二~三人の上の医師が病院にいる状況にしています」と吉田院長。

「地域医療はこんなもの」と少し見下していた研修医も、できる範囲で精いっぱいの医療をやる姿を見て、九割は満足して帰るという。

全国的にも北海道の地域医療が厳しい状況にあるのは、「専門性を重視した研修システムに問題があるのではないか」と森医師は見てとる。北海道の医療は専門性に固執しすぎる傾向がある。たとえば、心臓医のところに肺炎の患者が来ても、「専門ではないので」と断るケースが少なくないという。

「どこの地方も高齢者の割合が高いので、外来で一番多いのが肺炎の患者です。まずは肺炎の診断ができないと、話にならないのですが」と吉田院長は苦笑する。「整形外科でも、手だけ、膝、もしくは指先だけの専門医が、冗談ではなく存在します。都会はそれが成り立ちますが、地方で効率化を図るのは不可能です。いろんなものが雑多に突然きますから」

森医師も、「この悪いシステムを変えないと、根本的な解決になりません」と指摘する。

「僕が研修した沖縄の県立病院では、アメリカ式の臨床研修が導入されていました。沖縄は、離島で働く医者の育成がベースになっていて、一般内科を幅広く診る文化があります。ですから、四年間の内科研修の間に、救急と集中治療も含め、一応全部診ることができるようになります。一通り学んだうえで、専門性をつけていく。僕の場合は、消化器と感染症を選びました」

研修制度は看護師にも導入している。「地方にいても国際的な活動ができたり、海外に行く可能性があるのが魅力のひとつになるのではないか、との下心考えもあるからです」と吉田院長は本音をもらす。

「看護師のなかには、スキルアップしたい、どこか外へ出てみたい、という人もいます。質の高い看護師を呼び込み、離職を防ぐ方策のひとつです」

森医師は、「医師や看護師だけでなくて、事務職を含め、あらゆる職種の人が海外に行くべきです」と言う。

「海外や他の地域に行くことで見えるものは、けっこう多い。若い人はどんどん外に出てほしい」

そう森医師が強調するのは、自らの体験からきている。宮古島で働き、マヒドン大学の修士課程や博士課程のコースで学んだ森医師が最終的にたどりついたのは、「宮古島もタイも、結局は地域医療」だった。

「もちろん病気の種類など、違う点はありますが、地域で暮らし、文化があり、一生懸命生きている、という部分はあまり変わらなかったんですね。同じ地域医療だな、と」

タイの田舎と北海道の余市町では、共通点もあれば違うところもあり、その比較のなかで、できることが明確に見えてくる。

「困っている地方の病院ほど、常勤医師しか雇おうとせず、医師が外に行くのもいやがりますが、それでは閉塞感が募るだけ。人手不足だからこそ、風通しを良くして、やる気のある人にはチャンスを与えるべきです」

国際的にも、欧米で勉強するより、アジアやアフリカで支援しながら学ぶほうへとシフトとしているという。日本もその流れに乗るのが大切だ。

外に出て、いろいろ学び、自分の地域のいい面を見つけ、戻ってきて変えていく。地域医療を担う人材を育成する意味でも、海外に気軽に行ける土台作りが必要だという。

余市協会病院の今後の課題は、プライマリーケアの充実だ。現在のところ、そこまでは手が回っていない。

「住民が一番困った救急事態のときだけでも、少ない人数でカバーする。いまはそれで手いっぱいです。やっと少しずつ伸びてきたので、これから力をつけていこうという戦略です」と吉田院長。

住民が求めている地域医療を実践するには、マンパワーを強化しなければならない。質の高い人材を確保するには、魅力のある病院であるべきだ。

「お金をかけたからといって、魅力的な病院になるわけではなありません。海外から医師が来て刺激を受けたり、海外に限らず外に出て行けるのも魅力になるでしょう。病院ベースでのプライマリーケアについても、いろいろ構想を練っているところです」

余市協会病院の挑戦ははじまったばかりだ。

 

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