地域に根を張る島根県の保健所 保健師の数は全国トップ

『月刊自治研』2014年6月号に掲載された記事です。

人と人とをつなぎ合わせて地域の健康を支える

地域住民の健康や公衆衛生を支える保健所は、都道府県などが設置する公的機関。近年は、市町村の保健課と混合されがちで、その業務内容は地域の人になかなかわかりにくい。

そうした現状のなか、島根県の保健所は、市町村と連携し、地域に根差した活動で知られる。島根県の保健所は、長年、七か所すべての保健所で、公衆衛生の専門医が保健所長を務め、地域特性を生かしながら脈々と活動してきた。

もうひとつの大きな特徴としては、市町村の事業である健康診断を受託し、保健所の専門職種が公民館や集会所に出向き、行政担当者と一緒に健診してきたこともあげられる。市町村の保健事業にかかわりながら、「どのような病気が多いか」「生活の状況はどうなのか」といった地域性や健康課題を把握し、市町村とともに対策を検討してきた背景がある。

今回、全国的にも注目されている益田保健所を訪問した。県庁から最も遠い圏域に存在し、益田市、津和野町、吉賀町をかかえる益田保健所は、「益田圏域健康長寿しまね推進会議」の事務局として、「第二次益田圏域健康長寿しまね推進計画」を進めている。第一次計画は、一九九九年に県が打ち出した「健康長寿しまね推進計画」を受けて、二〇〇一年度にはじまった。

これを基盤に、益田市、津和野町、吉賀町の三市町も健康増進計画を策定。市町の健康づくり会議と、公民館単位の健康づくりの会が、健康長寿日本一を目指し、「健康づくり」「生きがい活動」「要介護状態の予防」という同じ目標を掲げて活動を展開している。

途切れかけていた関係を再びつないで
ー市町村と保健所、互いの活動を重ね合わせる

保健所のモデルケースとして取り上げられることが多い益田保健所だが、村下伯所長は、「保健所と市町村の関係がギクシャクした時期もありました」と苦笑いする。

保健所の活動を歴史は大きく三期に分けられるという。まず、保健所が地域に出かけて健康診断を行っていた時期。次に、一九九四年の地域保健法により市町村との関わりを模索していた過渡期。そして、「益田圏域健康長寿しまね推進協議会」の活動がはじまって以降。

市町村との関係がこじれたのは、地域保健法の制定が原因だった。「身近な保健サービスは市町村、専門的な取り組みは保健所」と仕分けされ、厚生労働省からは「市町村と都道府県の役割分担」をかなり強く指摘されたのだ。

これにより、難病や結核といった専門分野が保健所固有の事業として残り、健康診断や母子保健、三歳児健診の実施主体は市町村に移行した。これまでのように保健所の保健師が健康診断に出向く機会が減り、市町村とのつながりが遠のいてしまったのだ。

「国のほうからのこうした議論のなか、現場では保健所も市町村も、『これまで築いてきた関係を大切にしていこう』との意見がありました。役割を分担するのではなく、市町村と保健所の活動を重ね合わせ、最終的には地域の健康に責任持って取り組んでいく。そうした新しい協働関係が構築されてきています」

市町村は、子どもから高齢者まで、あらゆる年代、さまざまな職種の人が生活する地域に束ねる。一方、保健所はより広域的視野を持ち、医師会、歯科医師会、薬剤師会、栄養士会、労働基準監督署、教育委員会、JAといった関係機関と連携していく。こうした役割分担のもと、保健所は圏域全体を見つめ、各市町村の課題も提起していく。市町村のほうも、圏域の課題を承知したうえで、具体的どう取り組んだらいいのかを考える。保健所と市町村が地域の問題をしっかり把握し、地域の解決すべき課題を共有することで、効果的な対策を進めるのが理想だ。

それを実現するべく、益田圏域健康長寿しまね推進会議を母体とし、圏域内の保健、医療、福祉、教育、企業などが連携するネットワークが構築された。推進会議の構成員は、当初の二八関係機関・団体から、二〇一二年度には三八に拡大。保健所は、構成団体の会員や職員への研修や啓発など、健康を支援する環境づくりをてがける。市町のかかわり方としては、市町の健康づくり会議がこの推進協議会とともに、「食と歯」「運動とこころ」「高齢者の健康づくり」「たばこ」のワーキング部会を設置し、具体的な健康づくり計画を進めていく。

それぞれの部会は、約一〇の機関の代表者と各市町担当者で構成され、年二回の会議で、それぞれに特化した健康づくりを検討する。六月頃の会議でその年度の活動方針を決め、二月頃に結果を報告し、次年度の計画に生かしていく。また、それぞれの部会の活動内容は「まめなかね通信」に掲載し、それを配布して情報発信もする。

ストレスチェック票を取り入れた自死予防の取り組み
ー職場と地域、双方からのアプローチが生んだ相乗効果

試行錯誤の末、保健所と市町の“重ね合わせ”の活動が軌道にのってきた。その成果が、「運動とこころ」のワーキング部会が取り組んだ自死対策といえる。

益田圏域は県内でも自死が多いという問題を抱えていた。そこで、働き盛りから心と身体の健康づくりを考えようと、商工会議所、地域産業保健センター、労働基準監督署、青年会議所、益田市体育協会、若がえり会、健康運動指導士会などの関係機関とともに、自死予防に取り組んだ。

「運動とこころ」部会ではまず、ストレスチェック票を作り、自分のストレスに気づいてもらうところからはじめた。ストレスチェック票は一三の項目に答え、自分のストレス度を判定できる用紙。裏面には相談窓口の一覧を載せ、高ストレスに該当した人は早めに専門機関に相談するよう記してある。

関係機関を通して、この取り組みがどのように展開されたのか。商工会議所を例にすると、こういう流れになる。保健所側は、商工会議所など関係機関には、「このストレスチェック票を会員さんも活用してくださいね」と促す。そこから、各地域の商工会に情報が伝わり、職場で自死の課題を理解してもらう。

働く世代への啓発は、そもそも市町村の苦手な分野だった。というのも、市町村の保健師が日中出会うのは、高齢者や子どもが中心で、その中間層とはなかなか接点がないからだ。そこで、保健所のほうから若い層への呼びかけ、空白を埋めていく。
「以前は、商工会議所やJAとともに健康づくりに取り組むといった連携は弱かったですね。関係機関とのつながりを強化していくなかで、『この団体はこうした取り組みをしていた』『こういう形でもっと活動が広がるんだな』と私たちもたくさん学びました。自死のことでも、私たちが及ばないところで理解が広まりました」と村下所長。

それと並行して、部会での検討事項をもとに、市町も地域で自死予防計画を進める。商工会の会員や企業の従業員は、生活の場である地域でも、市町が取り組む自死予防活動を認知することになる。

また、市町はストレスチェック票などを活用し、老人クラブや自治会長、食生活改善推進員など地域のキーパーソンを通して、地域で自死予防を呼びかけていく。

こうして、最終的にはそれぞれの地域の各年代の人に自死の課題が浸透していく。家族の会話のなかで、「こういう話を聞いたよ」「自分も聞いたわ」と広がっていく仕組みが作られるというわけだ。

この部会のメンバーである保健師の大場裕子さんは、「心がしんどいのは、周りになかなか見えません。『怠けている』と思われたりするので言いづらい。『自分で気づき、周りも気づいてあげよう。気づいたときには、適切なところに相談しよう』と、私たちが音頭取りをして、各団体に広げてもらいました。職場の上司が、『相談にのってもらえませんか?』と保健師に電話をかけてきたり、精神科にかかりやすくなったなど、予防につながっていると思います。実際、自死の件数が減ってきているんですよ。いろんな要因があると思いますが……」と言う。

二〇〇〇年には四二人だった圏域の自死者数が、二〇一〇年には一四人に減少した。このストレスチェック票を取り入れた自死予防は、県でも高く評価され、県下全域に広めて活用することになった。

保健所と市町村が異なった視点で、それぞれ役割分担しながらも、お互い両輪になり、地域に根ざした健康づくりを実施していく。個人情報の問題や自治会に所属しない人の増加、限界集落による疎遠化など、コミュニティーが希薄になっているだけに、保健所と市町村の重層的な活動は今後さらに重要になる。

「行政だけでは補えない部分を、保健所の組織力を活用して、末端まで情報が届くようにする。そういった保健活動は意義があることがあると思います」と大場さんも期待を込める。

ただ、保健所がかかわっていた業務が市町村に移行し、保健師は現場に出る機会が少なくなったのはマイナス点だ。健康診断を担当していたときは、三歳児健診で母親から普段の生活状況や生活習慣を聞くなど、住民と接して得られる情報が多かった。しかし、業務が移った現在、データをもらったり、市町村から相談を受けることはあっても、地域住民に直接かかわるには工夫が必要になった。大場さんは、「実際に現場に出られないなかで、調整や企画作りをしつづけなければならないのが難しいところです。机上でずっと仕事をしているのではなくて、現場で何が起こっているのか、何が課題なのか、情報を集めようと意識して動いています。保健所の働き方は変わってきていますね」ともらす。

現場が見えていたからこそ支援が可能に
ー災害救援活動で保健所が果たした役割

状況はどう変化しても、地域密着で活動するには、“顔の見える関係づくり”が欠かせない。保健所がつねに心がけている“つながり”は、昨年の津和野町の水害時に大いに発揮された。

保健所の役割は、健康づくりだけではない。災害時の危機管理にも力を入れており、行政には不十分な後方支援を保健所が担う。

津和野の災害時に中心になって動いた大場さんは、保健師になった翌年に起きた阪神淡路大震災で支援活動に加わり、「災害のときには保健師の仕事は大事、いろんな技術や知識を高めなければ」と痛感したという。「東北大震災の際も救援活動に加わり、その二つの経験が役に立ちました。災害のときは、保健活動が盛んなところほど、手を取り合って地域でがんばることができるんです」

大場さんは津和野町の健康相談窓口を担当しているため、現地の保健師の状況や活動を熟知していた。役場の保健課課長とも顔見知りだったこともあり、いざという時に、保健所からの支援の申し入れや、市町村からの救援依頼が遠慮なくできたという。

益田市は県庁からJRで二時間半、車なら三時間かかる。広島県、山口県と隣接し、両県とも連携しなければならない。そうした状況下、益田保健所のスタッフは、津和野の被災地で支援体制を整えながら、県の応援を受けつつ、対応に明け暮れた。

益田保健所は災害当日から直ちに保健班を組織し、各課がそれぞれ活動を開始した。災害対策本部との連絡調整は総務が担当し、医事難病課は現地に駆けつけ、医療機関・薬局の被災状況を調べ、被害医療機関の入院患者の安否確認などを行った。衛生指導課は、断水に備えて給水車を手配し、水質検査や食品衛生の指導、被災家屋の消毒、ペットの一時預かりを実施。環境保全課は、廃棄物の管理や仮設トイレの設置などを行った。大場さんの所属する健康増進課は、避難所に配置する保健師のシフト表を作成し、避難所での健康チェックや訪問相談に奔走した。

「これもやはり、地域を知っていたからこそ。どこを頼りにしたらいいのか、わかっていたので、いろいろな方々に助けてもらいつつ、協力し合うことができました。保健師ひとりでは動けない。いろんな人をつなぎ、見てきたことを実際動かす。それが私の仕事だな、と思いました」 そう話す大場さんは、看護学校のときに益田保健所で実習し、「病院の外に出て、地域の人と接して働くのは面白いな」と保健師になったという。

保健所の仕事は多岐にわたる。その活動を支えているのは、他でもない保健師だ。

島根県は人口あたりの保健師の数は全国トップを誇る。これは、島根県の市町村がその活動を認めている表れでもある。保健所側は、健康づくりや医療介護を担う保健師を増やすよう要請しているそうだ。村下所長は手前味噌と前置きしつつ、「これもまた、保健所と市町村が友好的に活動している象徴かと……」と述べ、最後にこう抱負を語った。

「保健所はこれからも地域の保健活動の砦として、市町村との信頼関係を保ち、ともに重層的な活動で地域の健康が守り、充実発展していきたい。それが、保健師をはじめ、保健所の思いです。

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