″歴史を掘る”日韓の若者交流-浅茅野遺骨発掘調査

『週刊金曜日』2010年9月10日号に掲載された記事です。

北海道宗谷郡猿払村「浅茅野飛行場前」。バス停がその記憶を残すこの地は、戦中に旧陸軍浅茅野飛行場が建設された場所だ。広々とした牧草地と化したその先に、工事で犠牲になった朝鮮人労働者が埋葬されている墓地がある。

2006年、本格的な遺骨発掘がはじまった。遺骨返還問題に取り組む市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が主体となり、これまで3回実施された。

「民族うんぬんではなく、人骨をぐしゃっと埋めておく行為そのものに、怒りというか、やるせなさを感じました」

考古学を学ぶ東京出身の岩黒和也さん(22歳、仮名)は、昨年はじめて人骨を掘った。

旧共同墓地は、国道から二キロ以上入ったところに位置する。戦後に改葬し、植林されて雑木林になった。発掘のために、一部だけが伐採された。切り株を掘り起こすと、根にからまった状態で骨が見つかる。

石黒さんが発掘に加わった動機は「戦争遺跡への興味」だった。

「そうじゃなかったら、悩むこともなく、参加しなかった。今の大学生ってくくってもいいぐらい、自分たちが当事者で、加害者の立場のものには、積極的にはかかわらないですよね」

中学生のときに原爆被害者と元日本兵の戦争体験を聞いたが、「強制連行の事実はあまり知らなかった」そうだ。昨年、強制労働体験者と対面した。「まだ現在進行形。日本に住んでいる当事者」と自覚し、その一方で、「加害者側が謝罪の気持ちをずっと持ち続けるのは難しい」とも感じたそうだ。

「日本国民は共通して謝罪する気持ちを持ったことがない、と思うんですよね。『謝罪し続けるのがいいのか』と聞かれたら、必ずしもそうでないと思いますが」

2010年は5月1日から、北海道大学と韓国の漢陽大学の考古学チームによる共同調査が行われた。「来年はちょっと…」と口ごもっていた石黒さんが、現場で先頭に立って測量を指揮していた。

「韓国の考古学の学生と交流したい」

これが今年参加した一番の理由だ。前回、「まだその…、差別意識を持っている人もいると思うんですよね。それをなくすには、お互いの考えていることがわかるような交流が一歩になるかな」と述べ、「(韓国人と)あれだけ会話を交わしたのははじめて。ただ、そんなにいっぱい話したかというと…」と残念そうな一面をのぞかせていた。

今回は、韓国の学生10人と1週間ほど共に過ごした。一緒に飲み、ざっくばらんに語り合う機会も持った。「同世代だし、普通に共通の話題で盛り上がりました」と満足げだ。「過去について忘れてはいけないけれど」と前置きしながらも、「加害者と被害者という意識をもたずに交流できたのがうれしかった」と明るい答えが返ってきた。

メールアドレスの交換をし、今後も互いに研究を重ねていく道筋ができた。戦争遺跡を通した「つながり」に期待を膨らませている様子だ。

「誰かが背中を押すというか、踏み出してしまえば、『自分にはかかわりない』と抜けられないと思います。『俺は知らない』はもうできない。特に、全身の遺骨を見てしまったので」

遺骨の発掘が行われている近くでは、運ばれてきた土をふるいにかけ、骨を探す作業が繰り返されている。どんなに小さな骨の破片も見逃さない。選り分けられた人骨は、アセトン液で丁寧に洗浄される。

韓国人留学生が中心になり、骨を洗っていた。リーダー格は毎回出席している呉智秀さん(35歳、仮名)だ。済州島出身で、2001年から札幌に暮らしている。

「骨が怖いという気持ちはまったくないです。どうすれば少しでも亡くなられた方に気に入られるかな、と思いますね。韓国人か日本人かわからないけど、亡くなった人は悲しかったんじゃないでしょうか。せめて成仏できるといいな、と思います」

祖父は強制労働者だったが、詳しい話は聞いていない。北海道に来たとき、「『そこはおじいちゃんが働いていたところだよ』と母に言われた」そうだ。

通訳のボランティアを頼まれ、遺骨問題にかかわりはじめた。「日本人がこうした活動をしていることに、びっくりしました。将来はそんなに暗くはないかな、と」

ただ、日本人の歴史認識には憤りを覚える。「植民地について日本人は知らない。それをものすごく感じます。戦争だけで語られていて、それまでの過程を全然知らないんです」

日本語に長けた呉さんは、あちこちから声がかかり、通訳に忙しい。発掘調査には、日本人や韓国人をはじめとする多民族・多国籍の人が、世代を超えて集まった。若者も少なくない。活発とはいえないまでも、作業の合間に会話が交わされる。

呉さんはこれまで、若者のワークショップにも何度か出席した。だが、「どこもマンネリなんですよ」と表情を曇らせる。「ただ集まるだけになってしまっていて。古株が主導権を握り、初参加の人たちとは距離があるんです」

さらに、日本の若者に対しては、「一度参加して、感動して、それで終わっているような印象を受けるんですよね。何かしたいなぁ、と思いながら、ずるずるずるずる何もしないですよね」と物足りなさも抱いているようだ。

呉さんは「お互いの歴史を見直す勉強会が必要」と痛感している。「内容もわからずに、『カワイソウだから話を聞いてあげるべき』というのには反対なんです。意見交換にならないし、それを超えないと…。深く知るようになったら、責任感も出ると思うんです」

大小の人骨は次々に出土する。大腿骨、背骨、頭蓋骨…。これらの骨を組み合わせると、不完全ではあるが、人の姿ができあがる。最終日の午後、周囲がざわめいた。土の中から一体が完全の形で見つかったのだ。この調査では、少なくとも19体が確認された。そのうちの5体が朝鮮人の遺骨とみられている。

「骨を洗ったのははじめて。抵抗はなかったです。骨を掘ることが使命、だからじゃないですかね。埋もれている真実を掘るというか」

そう語っていた中野亮さん(25歳、仮名)は、就職が決まり、今年の発掘には参加できなかった。「仕事を持ったら、使える時間とか余裕とかないじゃないですか。関心があってもなかなか動けない。でも、何かつづけていければいいなぁ」 昨年の彼の言葉だ。

道北出身の中野さんは、札幌の大学に入り、北海道朝鮮学校でサッカーを教えたのがきっかけで、韓国・朝鮮に関心を持った。「在日の問題とか全然知らなくて…。すごく無関心に育っちゃった。そういう教育だったのかな。日本社会が恣意的に見えなくしている、というのもあると思う」

大学院では「朝鮮学校の民族教育」を研究テーマに選んだ。強制連行について「身に迫る形でハッと気づいた」のは、3年まえに遺骨問題のシンポジウムに出席したとき。その翌年、韓国に住む生存者の聞き取りにも同行した。

親や祖父母から戦争体験を聞いたことはない。「戦地に行ったのかな?」と首をかしげる。「戦争の悲惨さはわかるんですけど、切実には受け止められない。感覚がないんです」 発掘を通して、「本当にあったということを体験できて良かった。紙の上だとフィクションになってしまうけど」としみじみ述べる。

「友だち同士で戦争の話はしない」し、「遺骨発掘ぐらいディープになると、『一緒に行く?』と誘いづらい」。しかし、「戦争遺跡は面白い。ああいう形で続けていくのがいいのかなぁ」と目を輝かせる。

浅茅野遺骨発掘調査は、市民サイドからの呼びかけで、大学や猿払村自治体が連携してつづけられてきた。今後は浅茅野旧共同墓地の維持活用に向けた取り組みに移る。飛行機を格納した掩体壕や営門、防水水槽などの戦争遺跡も手つかずのまま残っており、これらの保存も次の課題だ。

「いろんな国の人が一緒になって、戦争とか歴史の場所に一緒に立ってやる。そういうプロセスに意義があると思うんですよね。謝罪は、会って『ごめんなさい』ではなくて、まさに遺骨発掘のような活動だと思うんです。何があったかをはっきりさせて、お互いに協力する、という。隠したまま、わからないままじゃなくて」

 

北海道から韓国へ朝鮮人労働者の115体の遺骨返還の旅
戦時に北海道で強制労働させられた朝鮮人115体の遺骨が、世界第二次大戦後70年を経て、ついに韓国に返還された。政府や企業が責任を逃れるなか、日韓の市民団体の手で実現した。『The Japan Times』2015年11月18日に掲載された記事。

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