1990年の避妊薬解禁の取材

日本女性の意識は根本的にあまり変わっていない感じがします。

15年ほど前、低用量ピルの取材をしたことがあります。

その年、厚生省に低用量ピルの製造・輸入承認申請が提出され、「ピル解禁か」と話題になり、小さな記事を書くために、申請した企業に出向いたのです。

何を話したかは詳しく覚えていませんが、そのときの状況は今でも鮮明に思い出すことができます。

広い会議室で中年男性社員5人に囲まれ、避妊薬について話したからです。
仕事とはいえ、20代だったので、いやーな気持ちでした。

しかも、途中から男性社員から質問ぜめにあい、まるで面接試験状態。

彼らとしては、日本女性にピルを受け入れてもらおうと必死だったのでしょうが、息苦しい雰囲気でした。

低用量ピルという女性が主体の避妊薬なのに、あの場に女性社員がひとりもいなかったのも不自然です。
女性にかかわる重要でデリケートな問題が、男たちが勝手に決めているという印象も受けました。

それは、現在も同様で、会議の場面がテレビに映るたびに、ため息が出てしまいます。

15年前のあの一室のように、生真面目そうな男性ばかりが集まる会議。
不妊治療や育児問題といった話し合いでも、過半数以上が男性です。

そういう意味でも、日本はあまり変わっていません。

低用量ピルの認可は、結局、1999年まで延びましたが、フランスの記事の通り、浸透している様子はありません。

日本は世界一中絶が多い国? フランスの雑誌記事より
日本でピルが解禁された当時(1999年)、フランスの雑誌でその状況が取り上げられました。特に、中絶については、痛烈に批判しています。以前も少し書きましたが、中絶に対して、西欧と日本には大きな考え方の差があるようです。1999年の記事の抄訳です。

当時書いた低用量ピルの記事を読み返してみたら、「男任せにしていた避妊を、もっと女の立場から検討してみるにはよい機会だ。ほんとうのオンナの時代に一歩でも近づくために!」と書いてあり、今でもそっくりそのまま使えそうです。

やっと実現しそうな“ピル解禁”女性の活躍が避妊を変える
男女雇用機会均等法が施行された年1986年に厚生省の研究機関が「低用量ピルの導入」に関するガイドラインを発表。4年後の1990年7月、3社から厚生省に低用量ピルの製造・輸入承認申請が提出された。『サリダ』1990年9月14日号に掲載された記事。

同じページには、出生率低下の記事もあり、「女性を大切にしない社会」「仕事と育児の両立は困難」といった内容で、これもまた流用できるかもしれません。

インターネットで情報収集してみたところ、「婦人科には行きにくい」という女性が多いのですね。

15年前の取材で、私も「婦人科に行くのは抵抗あります」と答えました。
「どうしてですか?」と聞かれたときには、どうしてだかうまく返事ができませんでした。

婦人科へ行く後ろめたさ。その原因はどこにあるのでしょう?

(2005.07.21 01:04)

1990年代の日本の女の子:フランス女性誌の記事より
1999年にフランス版コスモポリタンに掲載された記事の抄訳です。タイトルは、「集団で遊びたがる日本の女の子たち」。少女たちは、男を求めてグループで遊ぶ。デイブ、コギャル、原宿ベービーズ、OL。年齢で分類されたグループは、部隊のように機能している。
日本は世界一中絶が多い国? フランスの雑誌記事より
日本でピルが解禁された当時(1999年)、フランスの雑誌でその状況が取り上げられました。特に、中絶については、痛烈に批判しています。以前も少し書きましたが、中絶に対して、西欧と日本には大きな考え方の差があるようです。1999年の記事の抄訳です。
フランス5月革命から30年の女性解放:避妊と中絶
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、ピル(経口避妊薬)の解禁、人工妊娠中絶の合法化という女性の解放の過程を追った。フランスは同レベルだった日本だが、30年の無策で大差がついた。
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