フランス5月革命から30年の女性解放:避妊と中絶

1968年5月、パリの学生たちからはじまり、フランスの大規模な運動に発展したMai 68(5月革命)は、女性解放運動の出発点にもなりました。

1998年、仏版『マリー・クレール』が掲載した「男女平等へ向けた歩み」の特集記事を参考に、フランスの女性たちが歩んだ30年を追ってみます。

フランス5月革命から30年の女性解放:夫婦間の平等
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、ナポレオン法典の家父長制度を変更させ、夫婦間における平等を勝ち取る過程を追った。60年代時点では、日本の女性のほうが、夫婦の平等は保証されていた。

2回目は、避妊と中絶です。

5月革命のはじまりは、パリ大学ナンテール校で起きました。22時以降は男子が女子寮に入れない国際大学都市(パリ14区の学生寮地域)規則を大学当局による性の抑圧だと感じた学生たちが、1968年3月22日、女子寮を占拠したのが発端です。

「禁止することを禁止する」といったスローガンを掲げた自由を求める運動は、性的解放の希求も伴い、女性解放運動に火をつけました。

この時期、複数の女性グループが設立され、フェミニストたちが総動員して闘い、ピル(経口避妊薬)の普及、人工妊娠中絶の合法化を実現させていったのです。

1968年の時点では、避妊や人工妊娠中絶に関して、日本はフランスと同レベルだったといえますが、それからの30年で大差がつきました。その隔たりは、その後20年でさらに広がっています。

フランス5月革命から30年の女性解放:夫婦間の平等
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、ナポレオン法典の家父長制度を変更させ、夫婦間における平等を勝ち取る過程を追った。60年代時点では、日本の女性のほうが、夫婦の平等は保証されていた。
フランス5月革命から30年の女性解放:教育と仕事
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、教育の男女平等、仕事の男女差別撤廃、政治への女性参加の過程を追った。90年代までフランスは「男は仕事、女は家庭」という日本と似たような状況だった。

避妊へのアクセス

フランス

1968年
1967年12月19日、国民議会で避妊薬(ピル)の使用を認めるヌーヴィルト法が可決された。しかし、ド・ゴール大統は、「享楽に保険の払い戻しはしない」と社会保険(セキュリテ・ソシアル)の適用を拒否した。

日本

1990年
日本では厚生省に、1990年7月より、9社から低用量避妊薬ピルの承認申請が行われている。一方、HIV感染者が次第に増加し、コンドームの使用促進を図る厚生省は、1992年にピルの審査を停止。
1974年
避妊に社会保険(セキュリテ・ソシアル)が適用される。未成年の女性も、親の許可なくピル(避妊薬)を購入できるようになった。

 

1991年
避妊目的ではなく、エイズ予防のためのコンドームの広告が解禁される。

 

1998年
避妊薬ピルの広告は許可されておらず、いかなる産児制限に関するプロパガンダも禁止されている。研究機関は、妊娠中の検査を呼びかける大々的な公共キャンペーンを難なくに行うが、処方箋なしに精子を殺す薬品の公共キャンペーンは実施しない。
社会保険で払い戻しされる避妊、たとえば避妊リングなどは、実際の価格にかかわらず、社会保険料(セキュリテ・ソシアル)に基づき、大部分が相互保険(任意に加入)によって補助される。
婦人科医が1998年10月に発表した、若い女性の知識不足の実態に関する報告書がきっかけとなり、1999年6月からモーニングアフターピル(緊急避妊薬)が販売開始となった。
1999年
日本では、低用量避妊薬ピルが1999年9月にようやく販売を開始した。

 

人工妊娠中絶の闘い

フランス

1968年
多くの女性が、非合法の苦痛を伴う方法で人工妊娠中絶を行っていた。中絶は禁止されており、1940年代のヴィッシー時代はギロチン刑に処された。

日本

1948年
日本では、1869年に明治政府が堕胎禁止令を出し、1880年の旧刑法、1907年の現行刑法で「堕胎罪」が規定されている。ただし、1948年に公布された「優生保護法」により、一定の条件を満たせば人工妊娠中絶が認められた。
1971年
この年、『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌が、「私たちの腹は私たちのもの」と題した「343人のマニフェスト」を掲載し、中絶解放運動盛り上がりの端緒となる。『マリー・クレール』のジャーナリストたち、カトリーヌ・ドヌーヴなども参加。性暴力によって妊娠して中絶した高校生が懲役2年を求刑されたが、無罪を勝ち取った。

 

1975年
1974年12月、女性議員が9人しかいなかった国民議会でシモーヌ・ヴェイユ厚生大臣は中絶解禁法案を提出。大奮闘の末、刑罰を廃止した。人工妊娠中絶を合法化するヴェイユ法は5年の時限立法だったが、1979年12月に恒久法化された。

 

1982年
中絶手術に社会保険(セキュリテ・ソシアル)が適用されるようになる。
日本では、人工妊娠中毒手術に健康保険が適用されない。
1993年
「Commandos anti-IVG」(人工妊娠中絶反対ゲリラ」とよばれる複数の団体が、医療施設に侵入したり、業務を妨害するなど過激な行動に出て、逮捕されるといった事件が発生。

 

1998年
「Commandos anti-IVG」は活動を止めたわけではなく、裁判所は刑の宣告するのをためらっている。
病院で人工妊娠中絶を行っている医師は、法的な身分を与えられておらず、報酬も十分ではない。病院は、人工妊娠中絶よりも、不妊治療への予算を増やしている。
フランスでは妊娠10週間未満の中絶が可能で、これはヨーロッパのなかで最も短く、他の国では12週間の中絶が認められている。
フランスの人工妊娠中絶の3割は、経口中絶薬RU486を使用。RU486は1980年に開発され、1988年から販売されている。しかし、アメリカの中絶反対運動家らによるメーカーの他の薬の不買運動がおき、この中絶薬の生産は1997年に中止になった。政府は、この問題を深刻にとらえ、支援の決断をした。製造は再開されたが、1998年当時は、1999年に在庫が底をつくのを恐れ、病院はRU486の処方を制限していた。
※その後、別の製薬会社が製造を引き継ぎ、2000年にはアメリカでも承認され、各国で認可されている。
母体保護法により、日本では妊娠21週6日まで中絶手術を受けることができる。
人工中絶手術ができるのは、母体保護法指定医のみ。
日本では、経口中絶薬は承認されておらず(2022年5月現在)、輸入も禁止されている。
2021年12月に、イギリスの製薬会社が厚生労働省に、経口中絶薬の承認申請を行ったと発表した。
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