フランス5月革命から30年の女性解放:教育と仕事

1968年5月、パリの学生たちからはじまり、フランスの大規模な運動に発展したMai 68(5月革命)は、女性解放運動の出発点にもなりました。

1998年、仏版『マリー・クレール』が掲載した「男女平等へ向けた歩み」の特集記事を参考に、フランスの女性たちが歩んだ30年を追ってみます。

フランス5月革命から30年の女性解放:夫婦間の平等
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、ナポレオン法典の家父長制度を変更させ、夫婦間における平等を勝ち取る過程を追った。60年代時点では、日本の女性のほうが、夫婦の平等は保証されていた。
フランス5月革命から30年の女性解放:避妊と中絶
フランスの女性解放運動の出発点となった1968年5月革命。1998年の仏女性誌の特集記事を参考に、ピル(経口避妊薬)の解禁、人工妊娠中絶の合法化という女性の解放の過程を追った。フランスは同レベルだった日本だが、30年の無策で大差がついた。

3回目の最後は、教育と仕事です。

教育の場の男女平等

フランス

1968年
フランスの学校は男女別学で、中学校が共学になったのは1963年のこと。男女の成績の比較を禁止していたが、1960年代初頭は男子より女子のほうが成績がよかった。

日本

1971年
この年初めて、男子と同じ数の女子が、バカロレア試験を受け、大学に進学した。1975年以降、大学は女性学生のほうが多く、1990年には、バカロレア合格者(大学入学資格者)の過半数は女性となった。
1968年
日本の大学において、大学生に占める女子学生の割合は、1968年が18.2%、1975年が21.6%、1993年が30.9%、1993年が45.1%。

 

1975年
1975年のアビ法(教育基本法)により、全学校において共学が義務化となり、女子が男子と成績を比較することができるようになった。男女どちらもすべての情報へのアクセスが可能になる。そして、1982年のサヴァリ通達で「教育機会の完全なる均等」が再確認された。
1947年
1947年の教育基本法では、第3条で男女平等、第5条で男女共学が規定されている。

 

1998年
男子学生より大学の課程が優秀でも、大多数の女子学生はいまだに女性的なステレオタイプの教育を選んでいる。グランゼコール(高等教育機関)準備級と就職に有利な科学分野で学ぶ男子学生は、女子学生の3倍。
15~24歳の女性の29%は失業者で、同じ年齢の男性は21.9%である。
1986~1996年では、女性の職業は、一部の分野に集中している。機械工や配管工になりたいという女性はほとんどいない。
労働人口のうち、女性は45%しかいないが、全年齢の失業者のうち、56%は女性である。

 

職場における男女平等

フランス

1968年
数年前から働く女性は次第に増加してきたが、医療、社会福祉、教育といった社会的地位の低い仕事をしている。教師だけが男性の同僚と同等の扱いを受けている(1908年以降)。

日本

1972年
男女同賃金法案により、同一価値の仕事に対する男女の同一賃金が定められた。
1947年
男女同一賃金は、1947年制定の労働基準法の第4条において規定されている。
1975年
1975年の性差別禁止法により、雇用者は、女性という理由で採用を拒否したり、妊婦を拒否できなくなった。
1985年
男女雇用機会均等法により、採用・昇進などでの差別の禁止を規定した。
1982年
職人や商人など家内労働者の夫と働く妻は、社員または共同経営者といった正式な共同パートナーとして登録することができるようになった。それまでは、離婚した場合や夫が死亡したときに、事業権がなく、労働許可証がない闇の商売となることがあった。

 

1983年
男女職業の平等に関する1983年7月13日法(ルディ法)により、職場におけるいかなる性差別も禁止し、同一賃金を再確定した。

 

1984年
1977年7月12日法により、200人以上の従業員を雇用する企業において、母親を対象とした育児休暇(親教育休暇)が創設される。1984年には、母親と父親のどちらも、子どもを育てるための育児休暇を取得できるようになった。
1992年
日本では、1991年5月15日に育児介護休業法が公布され、1992年4月1日から施行された。

 

1992年
1992年7月22日法により、職場でのセクシュアル・ハラスメントを罰することができるようになった。
1997年
男女雇用機会均等法の1997年改正で初めて、女性労働者に対するセクハラ防止について、事業主に雇用管理上の義務を規定し、配慮義務の内容を具体的に示す指針が策定された。しかし、セクハラを明確に禁止する法律はない。
1998年
25~49歳の女性の8割が働いている。
同一労働同一賃金に関して、男女の給料の差は、フランスよりタンザニアのほうが少ない。フランスでは、女性の賃金は男性より平均27%低い。高い役職ほどその差は大きい。
中央官庁の官僚のなかで女性は7.3%のみ。支店では男性従業員より女性従業員のほうが2倍多い業界でも、女性管理者は19%だけである。反対に、昇進が対象外のケースがあるパートタイム労働者では、女性が85%を占める。

 

女性の政治進出は?

フランス

1968年
女性初の大学の学部長は、ブレスト大学文学部に就任したアリス・ソーニエ=セイテさん。彼女はその後1977年に、高等教育大臣を務めた。

日本

1960年
中山マサさんが日本初の大臣(厚生大臣)となる。

 

1972年
女性初の特命全権大使は、パナマ大使のマルセル・カンパーナさん。
1980年
高橋展子さんが日本初の女性大使として駐デンマーク特命全権大使に任命
1980年
マルグリット・ユルスナールさんは女性として初めてアカデミー・フランセーズ会員に選出された。

 

1986年
1986年3月11日に、職業の名称を女性形化する新たな規則が通達される。

 

1998年
女性大臣たちが女性定冠詞(la)を用いて「madame la ministre」(女性大臣)と呼ぶよう要求したことに眉をひそめたアカデミー・フランセーズの会員3人(ひとりは女性)が政府を批判。会員たちによれば、シャネルのスーツを着ていたとしても、上級役職は男性形の活用形しか認められないという。
彼らは、17世紀のアカデミー・フランセーズ創立当時の会員ジル・ボワローの「耳障りの悪いものは精神にも悪い」を再読しなければならないと述べた。
アカデミー・フランセーズは、フランス語の保存と純化を目的とし、1694年から「アカデミー‐フランセーズ国語辞典」の編集・改訂を行っている。
時代遅れのアカデミー・フランセーズは、大使の女性形についてなぜ議論しないのか。
ベリーズ(中米)、セントルイス(フランス領アンティル)、リュクサンブールなど8人の大使が女性だが、女性の国民議会議員は10.2%、上院議員は5.9%のみだ。
このとき、新聞「フィガロ」とラジオRTLの幹部は、男性形定冠詞「le」をつけて大臣と言うよう命じている。
1998年3月6日の通達(3月8日の官報で発表)で、職業や肩書に表す名詞を整備し、公文書では女性には女性名詞を使うよう忠告した。独身女性を表す「マドモワゼル」に関しても、「マダム」と使うことを推奨している。
日本の女性議員の割合は、1996年の衆議院が4.6%、1998年の参議院が17.1%。

 

家事の分担

フランス

1968年
フランスの半分の世帯は、洗濯機を持っておらず、食器洗い機と冷凍庫も持っていなかった。

日本

1965年
洗濯機 78.1%、1968年に日本初の卓上型食器洗い機が発売されたが、まったく売れなかった。1960年代は日本製の冷凍庫付き冷蔵庫はほとんどなく、冷蔵庫の普及率は68.7%。
1986年
1975年以降、男性の家事参加が11分増加し、1日1時間5分になった。女性は6分減少し、1日3時間9分。

 

1998年
58.4%の男性が家事にいっさい参加しないことを認めている。彼らは買い物はときどきする(妻同伴ではない)が、子供を学校に連れていく男性はめったにいない。これらは1991年の数字である。1986年以降、更新されていない。
1996年
男性の家事関連時間は24分、女性は3時間34分。

 

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