フランスでは、離婚・別居者が再びカップルになり、モザイク家族が増加しています。連れ子や子供の親、新しい親や兄弟などが入り乱れ、関係は複雑になりますが、その分、家族が増えます。
そして、みんなで子供たちを育てていこうという考え方が一般化しつつあるようです。
1990年代後半に女性誌に掲載された、社会学者イレーネ・テリーのインタビューです。
今読んでも新鮮。
というか、日本は、フランスの10年前にも追いついていない(もちろん、追いつくのが正しいとはかならずしも言えませんが)。
現在の家族の価値観の変化を、崩壊ではなく、転換(革命)ととらえているのが好ましい。
現在の状況は、危機ではなく、転換である。男女平等と子供への多大な配慮が新しい基準となったという、喜ばしい転換だ。
伝統的な家族が崩壊を嘆く人もいるが、以前の家族には、女性の権利がほとんどなかった。親権においても、性差別があったことを忘れてはいけない。
家族の危機を指摘する人は、懐古趣味的に、1945~65年の家族モデルを取り上げる。戦後のこの時期は、あらゆる面で特別な時代だった。例えば、60年代の女性就労数は、19~20世紀初頭より少ない。1911年の女性就業率は36%で、1988年にやっとその数に追いついた。
第2次大戦まで、専業主婦は、貴族やブルジョワ階級にしかいなかった。地方の農家では、女性が働き、仕事と家庭を両立し、育児でも手一杯だった。
また、女性の多くが未婚だった。下女として働いたり、婚姻せずに同居する労働者カップルがたくさんいたのだ。
専業主婦は、60年代に作り上げられたモデルであり、戦後にすべての社会階級に普及しただけ。今日我々が話題にする “理想的”家族は、60年代のモデルを基準にしている。このような家族を、本当に懐かしがるべきなのか。
家庭崩壊やモラルの喪失を唱える人と、私は違う見解を持っている。新しいモラル作りに直面しているのだと思う。
「モラルがある」というのは、夫婦の要求に適合していかどうかであり、離婚がモラルに反するのではない。お互いを尊重せず、子供を虐げ、道に外れたことをするのが、モラルに反するというのだ。同棲か結婚か、離婚か結婚かが問題ではない。
長年、再婚には悪い印象があった。再婚に否定的なのは、一妻一夫の理想に矛盾していたからだ。再婚は性交渉のためという考え方が定着していたのだ。
家系という論理は、遺産や所有地と結びついている。60年代はまだ、伝統的な家族に愛着があり、義父が、子供の実父の代わりになることができた。実父が元気なら、義父が実父の所有権を奪うのを断念もした。
再構成家族が、交換家族ではなくなってきているのが、新しい現象だ。親、父、母の権利、そして義親の権利を、並列で理解するのは当然のことである。
私が願うのは、それぞれの立場での複数親権である。両立するが違う立場、上下のない立場である。一人から複数の親権を認めるのだ。
昔は、「家族の長が必要だ。権利を持つ人が二人いればトラブルが起きる」と信じられていた。その後、二人の親は同等の親権を認めた。今後は、一人の子供を、複数の大人で保護する時代といえるだろう。
多分、最初は少し複雑だろうが、ケンカの耐えない夫婦が一緒に暮らすよりもこの方法はシンプルで、無害である。
義親の多くが、義子に対して、親としての役割を演じたいという思っている。だからといって、本当の親の代わりになりたいのではない。
再構成家族は、調和のとれた社会変革から生まれるのであり、過去と同じモデルをなぞるわけではない。
家族の変化を「価値」という言葉で語るとき、その価値とは、「伝統的なモデル」や「各自が自分勝手に決めたもの」ではなく、「秩序」を意味するのである。価値は、「夫婦の自由」「親子関係の責任」をよく理解することである。
「あなたは価値がある」というのは、伝統的な家族モデルから外れた人たちを励ますことでもある。
これからは、伝統的なモデルから外れた人たちを非難する時代は終わり、責任をもつべき人が転換した時代になったと考えるべきである。
最後のあたり、訳していて、もわかるようなわからないような。
たぶん、父、母といったステレオタイプの役割を超え、家族としての責任のあり方を考えていくべき、ということだと思います。
(2005.03.01 00:45)