女は武器を使いたいか?

突然の首相辞任にはあっけにとらたが、次の総裁が女性かもしれないという動きにも唖然とする。
なにより驚いたのが、「人材より女性であることのほうが大事」とのコメント。
一国のリーダーは人材で決めてもらわなければ困る。
女なら誰でもいいなど、女たちは思っていない。

一度、「若くて女性」という理由で、ある依頼を受けたことがある。
それでしか評価されていないように感じ、ショックだった。

ただ、それを利用して上昇気流に乗る女性もいるのは事実だ。
女性がのし上がるには、大きく2つのタイプがあると思う。

ひとつは、いわゆる色仕掛けを使うタイプ。
「涙」を使うのかもしれないし、もっと大胆な手段で迫る場合もある。
こういうやり方は悲しい。チープだ。

もうひとつは、人間的な魅力で、周りをうなずかせてしまうタイプ。
色気がないわけではなく、だからといって、やりすぎず、はかなすぎず。
母でもなく、妻でもなく、愛人でもなく、という多様なキャラクターで、ガツリと人心をつかむ。
こういう女性は、男性だけでなく、女性にも圧倒的に支持され、息の長い活躍をする。

ところで、「女の武器」という言葉があるが、これを使うのは、前者のタイプだと思う。
しかし、「武器」を使わなければ人を説得できなかったり、魅了できないのは、卑怯な感じ。
「女性の武器」とされているモノやコトは、本来、大切な人、愛する人のためのものであり、武器と同格にされるべきものではないはずだ。

どのような分野であろうと、「武器」は用いないほうがいい。

話は飛ぶけれど、戦う場での男女平等について、どうしても賛同できない。
女は武器など持ちたくない。私はそう思っているけど、違うだろうか。
「男は戦争、女は平和」という考えはステレオタイプとの批判があるが、女性が平和を望む体質だとしたら、それは肯定的に受け入れたい。
戦闘的な女性がいてもいいが、その人たちを正当化するために労力は使いたくないかも。

それよりも、武器を持ちたがる男性や女性に、戦うことの意味を考えてもらいたい。
戦う場での男女平等を主張するのは、先進国の女性たちではないかと思う。
そして、犠牲になるのは、たいがい途上国の女性たち。
女性の権利を主張するとき、恵まれた国に暮らす自分たちだけがよければ、それでいいのだろうか。
武器を向ける相手が権利を蝕まれている女性だとしたら、やはり私は武器を持ちたくない。
自分が権利を守ったことで、他の女性が犠牲になるのは耐えられない。

(2008.09.04 13:36)

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