ストーカーを作らない社会

昨日、ストーカー行為に対する捜査怠慢に関するニュースを見て感じたのですが、ストーカー殺人を事前に防ぐ方法として、警察に頼るより、ストーカーにさせない教育や社会環境についてもっと議論すべきだと思います。
ストーカー殺人もまた、親殺し同様、日本特有の現象のようです。
フランスではストーカー殺人が少ない気がします。
イタリアに住む知り合いも、「イタリアではあまり聞かない」と言っていました。
イギリス在住の知り合いは、「イギリスにはけっこうストーカーらしき人がいる」との意見。
感情表現が激しいフランスやイタリアはストーカーが少なく、イギリス人のようにポーカーフェースを装わなくてはならない場合、ストーカーに走ってしまうのかもしれません。
日本はイギリス型に近いともいえます。

「イタリアは全員ストーカーのようなものだから、女性も応対の仕方を心得ている」と言う人もいました。
「日本女性は思わせぶりな態度で、イエス・ノーをはっきり言わないのも、ストーカーを助長させる要因では?」と思うこともあります。
決してストーカーの被害に遭った方を非難しているわけではありません。
でも、「少々気の弱い男性が、女性に優しく微笑まれて誤解してしまい、突然冷たくされてキレる」というのは、わからなくもないのです。

英語やフランス語には、“上手な断り方”という定例句があり、嫌だからといっていきなり“ノー”と突っぱねる言い方はあまりしません。
拒否表現は子供でも学校で教うようです。少なくとも、大人の語学学校では必ず学びます。
日本はますます会話ベタになっているし、人を傷つけない断り方など教えてもらう機会もない。
とにかく、ノーと上手に拒否するのが苦手な人も多いと思います。
現代社会のギクシャクした人間関係が、ストーカーに走らせているともいえます。
ストーカーを庇護するわけではないのですが、ストーカーになりたくてなったのではないのではないでしょうか。
すべての人がストーカーになるわけではないので、育った環境、家族や学校にも問題が潜んでいるはずです。
今、1990年にイギリスで発行されたデトックスの本を読んでいるのですが、それによると、汚染された空気や食品は人間の精神や肉体に影響を与えるそうで、そうした要因も全くないとはいえないような気がしていきました。
ストーカー犯罪を阻止することも重要ですが、それよりなにより、ストーカーを作らない社会の実現について考えてみる必要がありそうです。

(2006.08.31 20:08)

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