それぞれの当たり前を尊重するのが人間中心主義

2013年元旦の東京新聞の社説を読み、共感と疑問を抱いた。

「人間中心主義を貫く」のは大賛成。

でも、途中のある文章で首をかしげた。

「結婚し、子どもをもち家庭を築く、そんな当たり前の願いが叶わぬ国や社会に未来があるはずがありません」

“結婚し、子どもをもち家庭を築く”のが、当たり前の願いなのだろうか?
ここでの“結婚”には同性愛者は入ってないだろうし、何らかの事情で子どもがもてない人はいるし、家庭を築くのに入籍する必要は特にない。

日本が範とするヨーロッパで、「“結婚し、子どもをもち家庭を築く”のが、当たり前の願い」と言ったら、失笑を買うだろう。
「結婚はしてないが、子どもをもち、家庭を築いている」ほうが当たり前だったりするからだ。

これら3つの願いが叶わないから、未来がない、というのは、おかしい。
当たり前の願いは、人それぞれ異なる。
法と倫理に反することなく、社会的責任と義務を果たすという条件で、それぞれの人がそれぞれの当たり前の願いを達成してもいいと思う。
そして、多様な“当たり前の願い”を尊重しあうのが、人間中心主義の社会なのでは。

これを読んで、今年の目標を決めた。
日本のいろいろな“当たり前”にいちいち疑問を持ち、問い直してみよう、と。

この社説でもうひとつ。

「結婚し…」の文章は、「若者や働く者に希望を与えなければなりません。まず雇用、そして賃金。」につづいている。
雇用や収入が不安定だから、結婚して家庭が築けない、という意味なのだと思う。
でも、これは男性に限った問題で、女性はあまり関係がない。
女性は、夫や子どもを養う必要がないからだ。

先日、20代のパートの女性が、「どうしたら金持ちと結婚できるかな~」と言い出した。
同じくパートの女性たちのアドバイスは明快だ。
お金持ってる年寄りを狙えばいい。
40代からアラ還ぐらいでも、正社員で小金もちの独身男性はたくさんいる。
女性の肩書きがパートでも派遣社員でも、男性はいっこうに気にしない。
逆に、「外資系企業のデキるキャリアウーマン」より、パートのほうが結婚相手として望ましい。
雇用や収入が不安定でも、女性の場合、結婚にはさほどひびかないのだ。

残念ながら、日本女性はこのように育てつづけられている。
男性だけが、「妻や子どもを養わなくては」と、誰が決めたかわからない“当たり前”の重責を負いながら。

そんな“当たり前”から、いい加減解放されたらいいのに。

雇用と賃金の問題は男女とも深刻だ。
にもかかわらず、「結婚・子ども・家庭」を理由に、男性のみの問題として語られるのは、おかしい。
女性はパートでも“当たり前”で、その状況が「結婚・子ども・家庭」の障害にならないのも、おかしいに違いない。

まずはこのあたりから考えてみようかなぁ。

(2013年1月29日)

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